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第3話:断れない傘
放課後、空はまたしても裏切るように泣き始めた。
窓の外を叩く雨粒。愛菜はそれを見て、心臓が冷たく縮み上がるのを感じる。
(雨……。また、あの人が機嫌を悪くする)
叔父は雨の日、決まって酒の量が増える。そして、濡れて帰宅した愛菜を「汚らしい」と罵り、その不快感を暴力に変える。
愛菜は図書室で時間を潰し、雨が上がるのを待とうと足を進めた。
「……あ、愛菜!」
背後から飛んできた、聞き慣れた明るい声。
廊下の向こうから、大きな黒い傘を二本抱えた真蓮が駆けてくる。
「やっぱりここにいた! これ、予備の傘。貸してやるよ」
真蓮は屈託のない笑顔で、一本を愛菜に差し出した。
普通の女の子なら、「ありがとう」と笑って受け取るはずの親切。
けれど、愛菜は凍りついたようにその傘を見つめ、細い指を震わせた。
「……いらない」
「えっ? だって外、土砂降りだぞ? 濡れて帰ったらまた風邪ひくし……」
「いらないの! ……いらない」
愛菜の声が、悲鳴のように鋭く響く。
真蓮は、差し出した手の行き場を失い、目を丸くした。
愛菜の脳裏には、以前、親切な隣人に傘を借りて帰った日の光景がフラッシュバックしていた。
『誰に色目使って借りてきた! 貧乏人の分際で、施しを受けやがって!』
そう怒鳴られ、傘をへし折られ、自分も痣ができるまで叩かれた。
「……傘を、持って帰ったら……怒られるから……」
掠れた声で呟き、愛菜は俯いた。
真蓮は、その言葉の異常さに、一瞬で顔を強張らせた。
ただの厳格な家庭ではない。その「怒られる」という響きに含まれた、底知れない恐怖。
「愛菜……お前、家で……」
真蓮が愛菜の肩に手を置こうとした、その時。
愛菜はビクッと肩を跳ね上げ、弾かれたように彼を拒絶した。
「触らないで!!」
廊下に、愛菜の叫びと雨音だけが残る。
愛菜は自分の失言と拒絶に絶望し、真蓮の顔を見ることができないまま、雨の中へと飛び出した。
「おい、愛菜! 待てよ!」
真蓮の声が背中を追ってくるが、彼女は止まらない。
泥を跳ね上げ、視界を雨に奪われながら、地獄のような「家」へと走る。
残された真蓮は、手の中の傘を強く握りしめた。
赤色の瞳が、かつてないほど鋭く、そして悲しげに揺れている。
「……怒られる、かよ」
真蓮の中で、昨日感じた「違和感」が、確信という名の怒りに変わり始めていた。
彼の中に眠る、情熱的で正義感の強い魂が、静かに、けれど激しく|鳴動《めいどう》し始めていた。
🔚