【鏡逢わせて、アリスは嗤う】

始めに、国が造られた。 愛しい我が子に愛を求めた嘘吐き聖母は、悪魔にとり憑かれて地獄に堕ちた。 そうした奇妙で恐ろしいことは聖母を蝕んで、一つの歪みを造り出した。 人の想いは、呪いのように強く、力を持つものだ。それが具現化したと言っていい。 国は小さくて、片側が常に対比するような世界だった。 次に鏡の女王が生み出された。鏡の女王はまだ、割れていない純粋な鏡で姿だけは無垢の少女のようだった。彼女は外見だけは少女のようだが、中身は醜悪な母親だった。夫に見放され、娘を一人で育てあげたというのに、その娘ですら母を見放した。ただ、一方的に執着心の強い愛を注いでいたからだ。何もかも制限される娘にもそりゃ見放されるだろう...なんて、彼女には口が裂けても言えない。いつ、狂われるのか分からないから。 そうして次に生まれたのは〖アリス〗である娘の次に愛しい夫だった。女性らしい裸体の、頭部のない夫。見てほしくないのか、見たくないのか分からないが、それは確かに女王を敬愛し、鏡を拭いていた。 これは正直のところ、いらないのではないかと思っていた。だって、愛を無尽蔵に欲しがるような人にたった一人の愛で足りるのかなんて分からないし、なにしろ、彼女に未練があるのが心底、気味が悪かった。 最後に僕と｜兄弟《ブラザー》が造られた。 お互いの顔を見合わせて、瓜二つな顔で全く違うその姿に互いに笑い合った。 女王は最初は聖母らしく振る舞った。僕達はそれにとやかく言うことはなかったが、鏡磨きの王様はその振る舞いに磨く手を動かしながら諭していた。 しばらく、国には何もなかった。僕達が生まれた理由もなかった。 --- 一番目の〖アリス〗はひどく横暴で物静かだった。 顔にべっとりと赤いペンギをつけて、奇妙なまでにかしこまった服を着た男と、同様な様子の女。 女の方の〖アリス〗はすぐに壊れてしまった。それが、男も気が触れたのか腰に下げた刀をぶん回し、皮肉好きな卵や従順なトランプ兵を壊し尽くしてしまった。 約1980回のループで壊れた〖アリス〗を見て、女王は何を思ったのか男を檻に入れていた。 役目がなくなった僕は檻の中で自由だ、暖かみだと呟く男の耳が兎のように長くなるのを見た。 --- 二番目の〖アリス〗は最初から死にかけていた。 お互いに手足のない達磨のような格好で、水を奪われた魚のように地面の上で僅かに躍り、やがて静かに生き絶えた。この〖アリス〗は1回目のループだけで、意志が非常に弱く、使い物にならなかった。 ｜兄弟《ブラザー》が｢火に通したら、旨そうだ｣と言ったのが原因か、彼らはソゾウやニワトリの食べ物として命を変えることになった。 後にそれを食べた｜兄弟《ブラザー》が｢あまり美味しくないね、皆...同じ味だった｣と曖昧な表情で教えてくれた。 その辺りで国の中は賑やかになり、奇妙な狂気に満ちた奴等が笑っていた。 --- 三番目の〖アリス〗は優しさに溢れていた。一人は物を造ることが趣味なこと以外、何もかもが平凡な男。一人は言動があやふやで、奇妙な男。 前者は劇場でぶくぶくと太ったセイウチに潰され、骨のはみ出た肉塊が腹の中へ収まった。 後者は三月兎の話を真に受けて、風船のように膨らんだ脳ごと破裂した。ゾクゾクとした喰い破られる感覚に浸りながら飛び散るさまは実に見事だった。汚ならしく飛び散った淡い桃色の細かな破片を除いて。 それぞれ、優しい大工と芋虫へ変貌していた覚えがある。 --- 四番目の〖アリス〗は幼い双子だった。ただ、一人はよく動く子供で常に｜兄弟《ブラザー》が傍にいなければならなかった。この小さな子供はベビーオイスターへ身を投じたが、会話の中で気になることがあった。 それは飛び跳ねキノコの小道で、木聞に偶然にして実った菓子パンを見ていた時だった。 ｢ダイナ、菓子パンって好き？｣ ｢菓子パン？...まぁ......そうだな、好きに入るかな｣ ｢ほんと？ボクも、好きで袋に入った菓子パンを食べるの。菓子パンって楽しいよね｣ ｢それは...どうして？｣ そういった問いに双子の一人が屈託のない笑顔で口を開いた。 ｢...菓子パンって、誰もいない部屋で食べると袋が擦れるカシャカシャした音が響いて、とっても楽しいんだ！｣ その言葉にうっすらとズキズキとした痛みがした。 この双子は無知な故か、何一つとして理解せずに無事に`【アリス】`として夢から醒めていた。 後から聞いたが、双子の片割れの方も似ていたが、やけに片割れを非難していたと聞いた。 仲の良い双子では、なかったらしい。 --- そうして、五番目、六番目、七番目......三桁以上を越える番数になる程、似たようなことを繰り返した。 そんな中で、皆が更に狂い、女王は得られなかった愛を〖アリス〗に要求するように、子離れのできない母のように想いを募らせていった。 〖アリス〗は皆から認められて愛されるのに、何故、自分は愛されないのか。 そんな話を何度も聞いた。嘘の吐けない本音しか綴れない本物の鏡なりの苦悩だった。 ｜世界の歪み《不思議の国》に囚われたそれは醜く、美しく、恐ろしく、女王と名のついた愛を欲しがる器に人を呼び込んで、愛を与えるしか方法を知らなかった。 まるで、我が儘な子供の為に、玩具をあるだけ与える親のように。 --- 何も、不満があるわけではなかった。 だからと言って、退屈しているわけでもなかった。 同じことを繰り返し、本音を隠して比べたがる世界で生まれたのだから、その｜規則《ルール》に伴って行動した方がいい。 ただ、それだけのことだった。 そうであるから、今もこうして愛を求める少女の為の茶番劇を結末を知っているとしても、何回も何回も、繰り返す果ての結末にたどり着くまで鏡へ案内する。 --- 僕は、やけに曲がりくねった木聞の上へ座り伸びをするような低い声で、 ｢これまた美男美女が二人も揃って......憎たらしいねぇ｣ そう片側の対比する正反対な場所でもう一人の〖アリス〗を導く｜兄弟《ブラザー》を考えながら、選ばれた〖アリス〗へ言葉を投げた。