公開中
波
「ねえねえ!明日の土曜日、また写真部の皆んなでカラオケ行くんだけど来る?」
「いや、私はいいよ」
「え~!もしかして、また海行くの?そんなに“sea”が好きなの?」
「まあ…そうね。」
「そんなに良いかなあ〜?いつも同じ海の写真ばっかりで地味じゃない?」
「いやいや、同じじゃないよ」
「う〜ん…まあ、気持ちはわかるよ。“正体不明の写真家”だなんて、気になっちゃうもんね」
「だね」
「ま、気が向いたらいつでも連絡してね、そんじゃ!」
「じゃ!」
---
今日は、風が強い。
見つけられるかな、
“sea”。
名前の通り、彼はいつもSNSでこの海の写真を投稿している。
それらはまさに天才の所業。
同じ海でも、画角、構図、時間帯、日付などを変え、その雄大さ、美しさ、荒々しさ、静かさなど様々な良さを引き出している。
誰も知らない彼にその技術を教わるべく、毎週毎週この浜辺で彼を探している。
今日は、人が少ない。
突如、スマホが鳴った。
「津波注意報…」
恐らく、今朝の弱い地震によるものだ。
顔を上げると、波が強くなっていくのが見えた。
しょうが無い。
白波に背を向け歩こうとした時、誰かとすれ違った。
「あれ…あの人、そっちは海なのに…」
風が強い。
彼の黒く長い髪が、まるで波のように激しく靡いた。
「待って」
脚が動く。
目の前には、白と黒の波がある。
雲に囲まれ、吸い込まれるような大きな波音がする。
「待って!」
カシャッ!
咄嗟に手が届いた。
同時に足元が冷えた。
さざ波が戻ると足元の砂も持っていかれ、転びそうになる。
カシャッ!
彼は手を止めない。
レンズの向こうに意識が飛んでいる。
「危険です…一旦戻りましょ!」
そこまで叫んでようやく黒い波は私に気づき、諦めたように防波堤のところまで移動した。
---
波音の聞こえなくなる場所。潮風がまだ届く場所。
木に囲まれた、錆びたボロ屋が“sea”の家らしい。
蛍光灯がつくと、彼の顔がよく見える。
その目には、まだ潮の香りが残っている。
部屋を見渡すと、そこかしこに海の写真が貼ってある。
夕暮れ時、沈みゆく太陽の半身が見える橙色の海。
懐中電灯に照らされ、真夜中のほんの一部のみが見える黒い海。
水平線の彼方まで、静かな凪と大きな雲がただ在る青い海。
光の消えた灯台に打ち付け、飛沫の舞う灰色の海。
全て傑作だが、SNSで見たものとは少し異なる雰囲気を醸し出している。
「ごめんな、お前まで波に呑まれそうになっちまったな」
低い、黒い波にふさわしい声だと感じた。
「上手いだろ、その写真たち。俺の彼女…初代seaが撮ったんだ」
初代…そう聞いて、口が塞がる。
「驚いてるな、俺は2代目。今のSNSの写真は俺が撮ってる。初代は永遠に行方不明だ」
彼は、自分の黒いカメラを確認しながら、まるで私以外に話すようにそう述べる。
「アイツは天才だった。憧れた俺は、よく撮り方を教えてもらっていた…」
彼の目に残る潮の香りが、鮮明さを取り戻していく。
「ある夜、アイツはこう言った。『海に呼ばれてる』と。津波警報が出て、土砂降りだったのにもかかわらず、アイツはカメラ片手に走り出した」
彼の意識は此処に無い。
「アイツ、脚が速かったんだよ。それで、浜辺に追いついたときにはカメラしか無かった。中を見たら、その写真が入ってたんだよ」
2代目の指が指したのは、やはり海の写真だ。
どす黒い夜空と大量の白い飛沫に囲まれた、化け物の口の中から観る景色のようにブレた写真。
塞がった口は、ようやく弱々しい息を吐く。
「彼女の最後の写真ってことですか?これが?」
彼の意識は、遠くから返事をする。
「さあな。アイツは天才すぎて、そもそも人間だったかどうかも怪しい。海底で個展とか開いてるかもしれないぜ」
正体不明の天才の、誰も知らない過去。
そこに隠された初代の存在に、思わず息を飲む。
「で、お前も写真の撮り方を教えてもらえに来たんだろ」
飲んだ息が回収不可能な場所まで行く。
「俺が彼女を訪ねた時もそんなんだったからな、分かるよ。今日は気をつけて帰りな。そんで明日、カメラ持って海へ来い」
胸が高鳴る。脳の整理もつかないまま、私は確かこんな返事をした。
「はい…!」
---
それから何週間か、私は彼と共にカメラのシャッターをきり続けた。
友人の誘いは全て断った。
それだけ海を撮りたかったのだ。
穏やかに、安らかに、寄せては返す波が煌めく海。
吹きすさぶ風、形を崩す雲、その映し鏡のように荒れる海。
早朝の、彩度の薄い霧がかった海。
黄昏時、金色に輝く広すぎる海。
晴天の空と水平線で繋がりを絶たれた海。
雨が降り、飛沫飛び跳ね濡れる海。
星空の下、星か、カメラのライトか、弱々しい光を返す海。
私のレンズにも、段々多様な海が写るようになった。
彼のアドバイスには、あまり具体的なものが無い。
初代もこんな教え方だったらしい。
ちゃんと技術を得られているのか怪しいが、関係無い。
今こうして考えている隙にも自然は形を変えてしまう。
それに、私の写真は確かに表情豊かになっていくのを感じてる。
ある日、彼に訊いてみた。
「どうしてあなたが、海の写真を撮るの?」
彼は数秒考えて、視線をこちらに向けた。
「…アイツに会いたいんだよ。色んな海撮ってたらさ、俺もいつか海の声が聴こえるようになるかもしれねえだろ」
彼の写真は、私よりもずっと魂がこもっている。
いつしか、写真を上手く撮ることではなくいかに海の良さを引き出すかに目的が変わっている気がする。
そんなことを思いながら、またレンズの向こうに意識を飛ばす。
カシャッ!
---
今日は、寒い。
“sea”には関係無い。
いつも通り、私より先に黒い波が立っている。
しかし、カメラを構えていない。
その目はまるで、ありもしない幻想を見ているような。
待ち合わせ場所に自分が遅れ、それでも相手が信じて待ち続けてくれて、ようやく震えながら手を振って待っている相手を見つけた時のような。
彼の意識は、海の向こうにある。
「…__ばれてる__」
低い音が、今度はハッキリ私の耳にも届く。
「彼女に呼ばれてる」
その瞬間、スマホが鳴った。
「津波警報…」
嫌な予感がした。
顔を上げると、黒い波はもう波打際、白波と手が届く場所に居た。
「待って!」
カシャッ!
彼の意識は、もう波に飲まれている。
私の声も、聞こえない。
手が届いても、今度は顔を向けない。
カシャッ!
力いっぱい引いても、海の引力には抗えない。
私にも随分水がかかる。
大きな大きな波音が耳を埋めていく。
カシャッ!
直感が叫ぶ。
「これ以上は駄目です!本当に!」
波にかき消された。
カシャッ!
突然、彼が私を蹴飛ばした。
同時に、一際大きな波が黒い波を呑み込んだ。
波の中から飛んできた黒いカメラを拾い、私は確か走って逃げた。
遠く、遠く。
海の反対側、どこかの高台まで。
その頂上で、いきなり抱きつかれた。
「大丈夫!?また海行ってたの?」
友人だ。心配かけたっぽい。
それからは、結局津波が防波堤を越えることは無く。
皆んな家へ帰っていった。
一人、“sea”を置いて。
---
今日は、いい天気だ。
雲一つない。
「ねぇ~!泳がないの?楽しいよ!」
彼女も楽しいなら良かった。
勿論、泳がない。
私は写真を撮りに来たのだ。
3代目seaとして。