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episode2【sideカオル】
『薫、新しい服買っておいたからね』
『薫はこれが好きでしょう?これにしなさい』
『友達?どんな子なの?…そんな子はやめておきなさい。○○君の方が薫に相応しいわ』
『おかえり薫。ああそうだ、ダンス教室に申し込んでおいたから、準備しておきなさいね』
『薫、このオーディションに応募しておいたからね。…え、理由?だって、薫ならできるでしょう?』
『薫、全部お母さんが決めてあげるからね』
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「……」
夜風がカーテンを揺らす。今の部屋には、昼間は気にならない時計の針の音だけが響いていた。
(嫌な夢だ…)
以前のように飛び起きることはなくなったが、目覚めたときの不快感は未だ消えない。溜息をついて時計を見ると、午前3時を指していた。
もう一度寝ようと目を閉じても、睡魔はやってこない。諦めてベッドから降り、カーテンを開けて月明りを浴びる。
「…あれ?」
会社の練習室に、明かりがついていた。誰かがいるのだろうか。しかし、こんな時間に練習室を使う人は思い当たらない。このまま部屋にいてもすることが無いので、見に行ってみることにした。
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※宿舎と会社は向かい合わせになっています※
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「あれ、セナ君?」
練習室の扉を開けると、そこに一人セナ君がいた。セナ君も驚いたようで、「カオル兄さん」と目を見張った。
「どうしたの、こんな時間に。もう3時だよ?」
「あー…。ちょっと眠れなくて」
そう言って笑うセナ君は汗をかいていて、響いている音楽は次のカムバックの曲だった。どうやら練習していたらしい。
「そういう兄さんは、どうしてここに来たの?」
「僕も同じような理由だよ。練習室に電気がついてたから来てみたんだ」
そっか、と笑うセナ君の目の下には、薄らと隈ができていた。
(まさか、いつもこんな時間に練習を…?)
「…頑張るのもいいけど、程々にしときなね。またイユニ兄さんに怒られちゃうよ?」
冗談めかして注意しても、セナ君は「うん」と頷くだけで練習をやめる気配はない。このまま部屋に戻ってもやることはないし、何よりセナ君が心配になる。ちょっとだけ考えた末、練習室に足を踏み入れた。
「え」
「僕も練習するよ。セナ君を放っておいて、倒れられたら困るしね」
「…む」
「あ、不満げだ」
セナ君は、不満な時に「…む」と言う癖がある。感情を表しにくい彼の為に叔父さんが考えてくれたらしい。
「そんなこと言ったら、カオル兄さんだって」
「僕は自分の体調管理はできるからね」
「…」
納得いかないと言った顔をしながらも、セナ君は渋々頷いた。一応シューズを持ってきておいて良かったと思いながら靴を履き替え、鏡の前でストレッチする。
「どの辺練習してるの?」
「とりあえず全部覚えたから、細かいところを確認してる」
「おぉ…」
流石メインダンサー、とぼやくと、セナ君は照れたのか「…このくらい当たり前だし」と下を向いた。
「兄さんは?」
「僕はまあまあかな。大体はできるけど、完全ってわけじゃない感じ」
「…じゃあ一回全部通そう。その方ができてないところ分かりやすい」
「そうだね」
セナ君は、ダンスの時だけすごく頼りがいがある。何がそんなに彼を駆り立てているのかは知らないけれど、人一倍この職業に対して思い入れがあることは間違いなかった。
スピーカーから流れる曲に合わせてステップを踏む。テンポの速い音楽と靴が床を滑る音だけが響いている練習室の鏡には、いつになく真剣な顔をしたセナ君が映っていた。
「疲れたぁ…」
結局2,3回通して踊った後、二人で床にへたり込む。大体のディテールはできたものの、完璧には及ばない。もう一度練習しようとするセナ君を無言で引き止め、壁に寄りかかって息をついた。
「セナ君は、いつもこんな時間に練習してるの?」
「…眠れないときは、たまに」
‟眠れないとき”ということは、僕のようなことがセナ君にもあるのだろうか。少し気になったけれど、うまく丸め込まれるような気がしてやめておく。その代わりに浮かんだ疑問を聞いてみた。
「―セナ君は、どうしてそんなに一生懸命なの?」
彼の身体が一瞬強張り、持っていた水筒をゆっくり床に置く。彼の目は、どこか遠くを見ているような瞳をしていた。
「…セナ君?」
不思議に思い、顔を覗き込む。セナ君ははっとしたような素振りを見せ、少し俯いて言った。
「……約束、したから。絶対アイドルになるって」
表情は見えないけれど、どこか寂し気なトーンだった。
(…もしかしたら、何かあった…?)
表情の隠し方や、妙に抑えた声に既視感を抱く。
―…僕自身に、似ている。
「そっか」
気付かないふりをして相槌を打つ。セナ君は水筒を一口だけ飲み、髪を結び直して立ち上がった。
「…兄さんは、今、楽しい?」
「え…」
突然の質問に驚く。
(なんで…)
「楽しいけど、どうしたの?」
何度も練習した笑顔で、当たり前のように答える。彼は何かを感じ取ったのか取っていないのか分からない表情で、「…そう」と言った。心臓の鼓動が静かに早くなる。
そんな僕の動揺がなかったかのように、「もっかい練習しよ」と独り言ちて鏡の前まで歩いて行った。
(…分からないな)
セナ君は、どこか自分の事を語ろうとしない。家族のことについても、前は韓国にいる叔父さんと暮らしていたということしか知らない。親のことも兄弟のことも、うまくはぐらかされてばかりだ。
「…まぁ、僕もなんだけど」
「え?何か言った?」
僕の独り言にセナ君が振り返る。「なんでもないよ」と軽くあしらって、セナ君の隣へと歩いた。
―いつか、過去の事を話せる人が現れるとすれば、それはセナ君なのかもしれない。
このあとちゃんとイユニにばれて、怒られた二人でしたとさ。