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追 憶 の 月
自分でも無意識に、教卓のすぐ前にある、一つの机を見つめる。
机の上には、花瓶にさされた一輪の花が無造作に置いてある。
その机を使っているはずの人物の名は、井上楓。
私が大好きで、好きで好きでどうしようもなかった彼の姿は、もう、どこにもない。
「麻衣、今日部活はー?」
「んー、……今日は行かないかなー」
一人で荷物をまとめていると、明るく聞きなれた声が聞こえたので慌てて振り向く。
彼女の名前は黒川花音(かのん)。
背は私より高く、長くて艶のある綺麗な髪がとても綺麗で、まるで韓流アイドルのよう。
花音とは、家も近く、部活も同じで、中学生からの友達である。
「そっか…。じゃあ私も休む!一緒に帰ろ!」
「うん、いいよ」
実を言うと、本当は部活がある。
でも今日は、行かない。行かないというより、行けないの方が正しい。
今日はと言ったけれど、ここ最近、ろくに部活に行けていない。
一緒に休ませてしまって、本当に申し訳ない。
花音は麻衣が最近部活に行けていないことをどう思っているのだろうか。
きっと呆れているに違いない。
リュックを背負って教室を見渡すと、同じ部活の子から痛い視線が送られていることに気づかざるを得なかった。
どうやら私と花音の会話を聞かれていたらしい。
“村岡さん、また部活来ずに帰るんじゃない? あと2週間で夏の大会なのに”
“ズル休みじゃん、堂々とできて羨ましい”
“あれでも部長とかウケる”
“彼氏が死んじゃったからって、部活を休んでいい理由にはならないでしょ〜
バスケ部のグループから少し離れたここでも、彼女らの声は聞こえてきた。
正直、彼女らの言い分もわからないこともない。
花音の耳にも私を非難する声が聞こえたようで、彼女はじっとあちらを見ていた。
「文句があるなら直接言えばいいのに。平気で陰口とかあり得ないんだけど」
花音が言うそれも陰口に該当するのでは…と思ったけれど、私のためを想って言ってくれているのだと思うと、何も言えなかった。
「麻衣には麻衣なりに、休む理由があるんでしょ?」
「……うん」
「だったら仕方ないよ。麻衣の部活に対する想いが人一倍熱いの、私が一番知ってるんだからね。麻衣はズル休みなんかしないもん」
まるで自分のことのように熱く語る中学からの仲の友達は、とても誇らしく見えた。
そして、きっと呆れているだろうと疑いもせず思った自分を許せなくなった。
下足室まで来ると、ほとんどの生徒が部活場所に行くか帰宅したため、人とすれ違うことはなかった。
グラウンドからは、たくさんの声や音が聞こえてくる。
勝利を喜ぶ声、相手を称える声。励まし合う声。
サッカーゴールにボールが入る音。
学校の外からの黄色い歓声。
とても自分勝手なのだけれど、全てが彼との思い出に繋がってしまい、無意識に足が止まった。
「…麻衣?」
何も答えず、俯いてしまう私の肩に、花音は手を置いてくれた。
そして、何も言わずに抱きしめてくれた。
そのぬくもりが温かくて、涙を堪えることはできなかった。
「……ごめん、花音…。つい思い出しちゃって…」
「…ううん、謝る必要なんてないよ。……ちょっとゆっくりしてから帰ろっか」
「…うん、ありがとう…」
花音の背中に回していた手をゆっくりと解き、すぐそばにあったベンチに腰掛ける。
そこに座り、しばらくの沈黙の後、花音が口を開いた。
「…彼氏が亡くなって、すぐに立ち直れるわけないよね。部活休むのも無理ないよ」
彼が亡くなってはや1週間。
私の心の中は、なにもなくなってしまった。
私と彼のはじまりは、奇跡でも偶然でもない、他愛もないものだった。
高校1年生の春、入学してすぐのこと。花音とバスケ部の体験に来ていた時だ。
イケメンいるかな、なんて話しながら体験を受けている最中、横で同じく体験をしている男子バスケ部の方から、思わず振り返るくらいの大きな歓声が聞こえてきた。
私たちも、何事かと振り返る。
見ると、華麗にスリーポイントシュートを何本も決める1人の男の子と、それを取り囲む複数の人たちがいた。
「す、すげー!!」
「…これは数年に一度現れるレベルの天才だな」
数人の人たちに囲まれた中で、照れながら髪を触るその人物こそが、彼だった。
今流行りのセンター分けの髪型で、背は高くはなく、優しそうな雰囲気のある彼の姿が、私にはとても輝いているように見えた。
思わずぼーっと彼を見つめていると、隣にいた花音が感心したように口を開いた。
「…すごいねー、あの男の子。バスケ推薦でこの高校入ったらしいよ。あんなに上手だったら1年から試合出れそうじゃない?」
「……そう、だね」
「……麻衣、?」
顔を真っ赤に染めた私を見て何かを察したのか、花音がにやぁっと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「麻衣、あの男の子のこと好きになっちゃったんでしょ〜?わかりやすすぎ〜」
花音が私の肩を思ったより強く叩いたので、私は笑ってよろけるふりをしながら言う。
「………やばい、めっちゃかっこいいっ…」
「まだ名前も性格もわからないのに〜?」
「…いや、あの人はきっと良い人だよ〜。私にはわかるもん、うん。」
そんな無責任なことを言いながら、私たち(主に私)は体験の最中でも彼のことをちらちらと見ていた。
彼の一つ一つの動作がかっこいい。
一生懸命ボールを追いかける姿も、シュートが決まって仲間とハイタッチを交わす姿も。
そう、私と彼のはじまりは、私の一目惚れだった。
思わず身惚れていると、ふいに彼がこちらの方を見たので、私は思わず隣にいた花音に抱きついてしまった。
「…どうしよう、目、あったかも…!やばいやばいっ」
「もーーー、麻衣ったら乙女なんだからーっ!」
部活動体験が終わった後、私は花音に強く勧められ、彼に話しかけに行こうという話になった。
かなり勇気を出したと、今では自分でも感心してしまう。
体育館のベンチに座って汗を拭っている彼を見つけると、胸がきゅっとして、今まで動いていた足が動かなくなってしまった。
頑張れ、私…。
そう思いながら、花音の手を握って彼の方へと歩く。
一歩一歩を噛み締めながら。
すると、彼の前まで来たとき、彼がちょうど顔を上げた。
最初は驚いたような顔をしていたが、遠くからでは見られなかった素敵な笑顔で「どうしたの? 俺に何か用?」と話してくれた。
嬉しさと笑顔の破壊力で思わず倒れそうになったけれど、花音が肩を支えてくれていたおかげでなんとか立ち止まることができた。
「あ、あの、私、村岡麻衣っていいます!えっと…」
あとで花音に聞いた話だけれど、この時の私の顔は見たことがないほど真っ赤だったらしい。友達の間で瞬間りんご病というあだ名がついたのも無理ない。
私は、精一杯の勇気を振り絞って、彼の目をまっすぐに見て言った。
「…もし良かったらでいいんですけどっ、本当にもし良かったら、連絡先、交換しませんか、?………仲良くなりたいなって思ってて…」
彼は、ポカーンと目を見開いたまま固まってしまった。
やってしまった。彼に引かれたかもしれない。
そりゃあそうだろう。いきなり知らない人から話しかけられた故に連絡先まで聞かれたりなどしたら、引くに決まっている。
それなのに彼は、ニコッと笑って言った。
「……いいよ、!」
「えっ……………!?」
「連絡先、LINEでもいい?インスタの方がいいとかある?」
予想外の反応に逆に固まった私を、慌てて花音が叩き起こす。
「あっ…えっと、どちらでもいいです…………」
「じゃあLINEで。……これ、読み取ってもらってもいい?」
「うん…………はい、追加できました…!」
嬉しくて、つい口角が上がってしまう。
口角が上がったまま彼の方を見上げると、彼は、バッシュとタオルとやらを肩にかけて立ち上がった。
「……じゃ、そろそろ俺帰るね。またね、麻衣ちゃん」
「…うん、またね」
手を振ろうとした瞬間、後ろからどこか懐かしい声が聞こえてきた。
「楓ー?何してんだよ、帰るぞー!」
「…はいはい、!今行くから!……ったくあいつ、ほんとせっかちすぎー」
「……えっ……蓮斗じゃん、!?」
「……麻衣、、!?」
最後まで読んでいただきありがとうございました💞
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