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第一話 進マナイ俺ハ
「……暇だ」
目が覚めるような快晴の中、|小笠 綾人《おがさ あやと》は草の上に寝転がっていた。
視界いっぱいに広がるどこまでも続く青空、鼻を掠める草の青臭い匂い、周りをチラチラと飛んでいるのは黄色や白の小さな蝶──暑さでクタクタになっているが──で、その周りというのはいつもの裏山。
ほぼ毎日見ているこの光景に、綾人は飽き飽きしていた。
綾人は今年で高校一年生になった。だが、着ているのは目指していた高校のブレザーではなく中学校の学ランだ。夏用なので今の気候にピッタリだが、今の綾人には気温など関係ない。
留年したわけでもなく、時空が戻ったわけでもない。ただ、彼が《《進んでいない》》だけなのだ。
綾人はポケットに手を突っ込むと、石のかけらを一つ取り出した。
エメラルドのような輝きを放つ、不思議な石。それを空へ透かすと、ルビーのような赤色に変わるのだ。
「……なんだろうな、これ…」
ぼそっと口をついて出た言葉だが、誰もその言葉を聞くことはない。耳には届かない。
この石は、数日前に綾人が拾ったものだ。
割られたようなあとがあちこちにあり、元々の石にくっついていたであろう面は鋭利な刃物のように尖っている。
一度触った時に痛みを感じ、血が出て驚いたことを思い出す。
その石を綾人はポケットにもう一度しまうと、うんと伸びをして大の字になった。
そして、気付かぬ間に意識を手放していた。
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「ん……」
暗いままだった意識が少しずつはっきりしてくる。
だるい体を少しずつ動かし、瞼を上げる。
体を起こし目を擦っていると、どこからか『ふあぁ…』と間抜けな音が聞こえた。
その音が自分の口から発せられたということを理解することに、時間は掛からなかった。
空を見ると、あれだけ青かった空はピンク色に染まっており、真っ白だった雲は夜の気配を吸い込んで紫色になっている。
この景色を見るのも、もう何回目になるだろう。彼はそう思った。
綾人は憂鬱になりながらもそれを眺めていると、頭上を何かが通り過ぎていった。
鳥かと思ったが、それは空中で弧を描き綾人の座っている位置より少し離れた木に着地した。
「…下駄?なんで?」
降ってきたものを下駄と認識すると同時に、綾人はどこから飛んできたのかを推測する作業に入った。
「遠くから、それも上から降ってきた感じだよな…そう、後ろから……」
下駄がちょうど着地した木を睨みつけながらうんうん唸っていると、その木から何かがふわりと浮いた。先ほどの下駄だ。
綾人は驚きのあまり固まり、それを凝視する。
下駄がふわりとうき、木に引っかかっていた向きのままするすると戻ってくる。
それを目で追っていくと、綾人の後ろにある山の頂上の少女の元へ向かっているということがわかった。
綾人と同い年か年下くらいだろうか。彼女の右足は裸足だ。もう片方には木に引っかかった下駄と同じデザインの下駄を履いている。
スカートと着物が合わさったような服を着ていて、左目には包帯。右目は蜂蜜のような色をしていた。
何より驚いたのは、その髪の色だ。綺麗なオレンジ色で、染めたものではないことは一眼でわかる。
彼女は下駄を自分の手で受け取り履くと、もう一度遠くを見ていた。
綾人は同い年くらいの友達でも恋人でもない女子を凝視することはないが、彼女だけは目が離せなかった。もちろん、好奇の目でしか見ていないが。
不意に彼女が何を思ったのかこちらへ目を向けると、見事に目が合ってしまった。
綾人が気まずそうに目を逸らすと、少女がふわりと体を浮かせこちらへ飛んできた。
「…は?」
もう驚くことにも疲れてしまった綾人は、もう一度彼女を凝視することしかできなかった。