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最終章
最終章:硝子を砕く音
レインは霧の中にいた。
薄暗い地下からさらに奥へと導かれるように歩き、やがて視界のすべてが白に包まれた。音が消える。気配が消える。
ただ、自分の心臓の音だけが響いている。
「ここが……外側」
境界の向こう。都市の監視網も届かない、完全に“自由”な領域。霧はここで、単なる気象ではなくなる。
それは記憶であり、思念であり、感情の残響だった。
前方に、少女の影が立っていた。
長い黒髪、細い体。霧の中でも鮮明に見える顔立ち。夢の中で何度も見た、あの姿。
「エル……?」
少女がゆっくりと振り返る。目が合った。その瞳には、すべての感情があった。悲しみも、怒りも、恐怖も、そして——優しさも。
「お姉ちゃん、来てくれたんだね」
レインの中で何かが崩れた。
いつも冷静だった彼女の胸に、熱いものが込み上げる。目の奥が痛む。涙腺が動く。ずっと失っていた感覚が、戻ってきた。
「……生きてたの」
「“生きてる”って、どういう意味かはもうわからない。でも、私はここにいるよ。ずっと、見てた。あなたが、心を閉ざして、ひとりで戦ってるのを」
レインは歩み寄り、エルの前に立つ。
近い距離で見るその顔は、8年前の少女ではなかった。彼女は年を取らず、記憶の中の姿のまま、霧の中にとどまっていた。
「私ね、都市が怖かった。感情を持つことが、いけないことだって、思わされてた。自分が間違ってるのかって。でも……ここでは、感じてもいいの」
エルはそっとレインの手に触れる。
その瞬間、彼女の心に鮮烈な何かが流れ込んだ。記憶。感情。痛み。愛。過去。未来。全てが混ざり合い、溢れ出す。
「あなたにも選んでほしいの。戻ることもできる。でも、一度でも本当の自分の感情に触れたら、もう——あの場所では生きられない」
レインは目を閉じた。
自分は誰だったのか。何を信じていたのか。何を失ったのか。
そして、何を取り戻したいのか。
答えは、もう出ていた。
——パリンッ。
心の奥で、硝子が砕けた音がした。
それは、彼女の中にあった“感情の檻”が壊れる音だった。
「私は、ここにいる。もう、演じない。冷静でも、無感情でもない、“私”として生きる」
エルが微笑んだ。霧がやわらかく光に変わっていく。
その中で、ふたりの姿は溶けていくように、ゆっくりと消えていった。
**エピローグ**
グレイフォグ都市記録——
UGP捜査官レイン・ノヴァ、行方不明。最終記録地点:第七居住区。
AIによる捜査継続中。
ただし、以下の音声ログが発見されている。
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「私は、生きている。ようやく、“感じる”ことができるようになったから」
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霧は、今も街を覆っている。
だが、その霧の奥に、確かに誰かがいる気がする。
見えなくても、そこにいる。
それが、人間の心なのかもしれない。
🕊 — 完 —
後日談って、、、いりますか、?この前、いらないと言われたのですが、、、。