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ショート・ショートストーリー✍ 13
Who am I ?
☆
青い空、青い海、白い砂浜
どこまでも青い空、どこまでも青い海、鮮やかな白い砂浜に
心地良い波音がしている。
そんな青い空に染められた様なブルージーンズ、青い海に染められた様なロイヤルブルーのTシャツを身に着けた男性が倒れている。
白い砂浜に打ち上げられ男性が倒れている。
☆
足音が白い砂浜を駆けて来る。
打ち上げられ、倒れている男性の手前で足を止め、声を出している。
「おじぃー、誰か倒れているさ」
若い女性の声だ。
その声に応えるようにゆっくりと足音が近づいて来た。
その足音が倒れている男性の傍らに腰を屈め顔を近づけ覗き込む。
足音の主は手を伸ばし男性の頬に触れる。
「息はあるね」
そう言うと倒れている男性を運び始めた。
☆
ふっと意識が戻った。
静かに眼を開けてゆく。
明るさが眼に射し込んでくる。
何処だ?
仰向けに寝ているようだ。
ゆっくりと首を右へ左へと動かす。
家の中か?
何処の家の中だろう?
そこへスラリと背の高い若い女性が現れた。
若い女性は僕に視線を向けると後ろへ振り返ると声を出した。
「おじぃー、目、覚ましたみたい」
おー、と返事を示す声がすると背丈は低いが骨太な老人が現れ近づいてきた。
「気分はどうな?」
その声に答えようと身体を起こそうとする。
んー、あぁ、思わず呻き声が出た。
全身に痛みが走り起きあがれない。
「無理しないでいいさ」
老人が手で僕を制して振り返ると若い女性に頷く。
すると若い女性が手に液体の入ったグラスを持ってきた。
僕は全身の痛みを堪えながらゆっくりと身体を起こした。
若い女性がグラスを僕の目の前に差し出す。
僕はグラスを両手で受け取ると、そっと自分の顔へ近づいて臭い嗅いでみる。
ふわりとした甘い香りがする。
続けて口元へ運びゆっくりと中身の液体を口の中へ含んでみる。
優しい甘さが口の中へひろがる。
ほー、と全身がため息をつくように緩んでゆく。
「こ、これは?」
「トウキビさ」
老人が答える。
「トウキビ?」
「サトウキビさ」
あぁ、と僕は頷いた。
「すみません、ここは?」
僕は老人に訊ねた。
「わしの家さ」
「何故、僕はこちらでご迷惑をおかけしているのでしょか?」
「憶えてないの?」
「はい、まったく」
「もう少し休んでたほうがいいね」
そう言うと老人は僕に背を向け傍を離れていった。
若い女性も老人についていった。
仕方なく僕はまた仰向けに寝転ぶと思考を始めた。
名前は?
年齢は?
結婚は?
子供は?
住んでいる所は?
仕事は?
何故、今、ここにいるのか?
なにも思い出せなかった。
さらに、深く考え込む、だが、頭の奥、頭の芯を痛みが襲いってくるだけだった。
そのまま意識を失うように僕は眠りに就いてしまった。
☆
ガタ、ゴトの音で目を覚ました。
若い女性が板戸を開けている。
僕は、ゆっくりと上半身を起こした。
若い女性の視線が僕に向けられる。
「おにぃさん、おはようございます」
「あぁ、おはようございます」
少し戸惑いながらも挨拶を返した。
って事は、朝なんだと思いながら枕元の綺麗に折りたたまれたTシャツとジーンズに気がついた。
それによって自分が下着であるトランクスしか身につけてない事に気がついた。
僕は床を出るとTシャツとジーンズを身に着けた。
家の中を見回してから若い女性に問いかけた。
「おじい様は?」
「おじぃーは朝の魚を漁りにいってるの」
そう言いながら屋外を見た。
「そろそろ帰ってくると思うけど」
その言葉に合わせるように片手にクーラーボックスを持つ老人の姿が現れた。
老人は僕を見止めると声をかけてきた。
「おにぃさん、起きれたか」
「はい、おはようございます」
と僕は頭を下げ挨拶をした。
朝めしにするから、と言いながら老人は手に持つクーラーボックスから魚を取り出し台所で捌き始めた。
若い女性がテキパキと朝食の用意をしてゆく。
食卓である座卓には白いご飯に味噌汁ととれたての魚の刺し身が並んでる。
老人と若い女性と僕は食卓を囲み腰を下ろした。
いただきます。
と声を出し三人は箸を手にした。
「おにぃさん、魚は好き?」
若い女性が問いかけてくる。
その問に僕はふっと考えた。
好きな食べ物、嫌いな食べ物、それさえも思い出せない。
僕は、困惑顔になる。
「今は、何にも考えず食べてみたらいいさ」
老人の声に頷き、僕は刺し身を口に入れた。
美味い、抜群に美味い。
僕は目を見開いた。
「おにぃさん、上等?」
若い女性の問に力いっぱい首を縦に振った。
若い女性はニコリと微笑むと言葉を続けた。
「おじぃー、は、用高(ようこう)、アタシはカイリ」
僕は箸を止め言葉に詰った。
「僕は、と言うか、実は思い出せないんです」
用高おじぃーとカイリは唖然とし見つめ合うと同時に僕に視線を向けた。
「名前はおろか、年齢も何処で何をしていたのかも思い出せないんです」
僕は、唇を噛み俯いた。
しばらく三人は沈黙した。
僕は、顔を上げ真顔で問いかけた。
「ここは、この場所は何処なんでしょうか?」
「琉球さ」
用高おじぃーが答える。
「リュウキュウ?」
「沖縄よ、本島より少し離れた小島なの」
カイリが答える。
沖縄には、本島から南へ点在する島々がある、宮古島や石垣島等の様に観光地として有名な島ではない小島である。
「ゆっくり思い出したら、いいさ」
考え込んでいる僕に、用高おじぃーが言う。
その言葉に僕は無言のまま頭を下げた。
☆
朝食を終えると僕は海へ行ってみようと思い用高おじぃーに問いかけた。
「用高さん」
用高おじぃーは、一瞬驚いた顔をして僕を見つめた。
「用高さんなんて、おじぃー、でいいさ」
顔を横に振りながら言った。
「はい、あの、海へはどう行けばいいですか?」
僕の言葉に頷きながら、用高おじぃーが答える。
「表の道を左へ、突き当たったら右で行けるさ」
ありがとうございます。と僕は頭を下げると庭に面する縁側へ向かった。
僕のスニーカーが綺麗に洗われ揃えてあった。
スニーカーに足を入れ家の外へ出る。
沖縄の日射しにさらされる。
空を見上げると、青い空が高く見えた。
空ってこんなに高かったっけ?
表の道まで足を進め振り返る。
低い石垣に囲まれた沖縄式の平屋の家である。
屋根には魔除けのシーサが鎮座している。
僕は道を左へ進み、突き当り、T字路を右へ進んだ。
しばらく歩くと目の前に青い海が目に映る。
青い海に被さる様に青い空が広がっている。
白い砂浜には透明な波が穏やかに打ち寄せている。
美しい、絶景とも言えるロケーションにただ立ち尽くした。
どれくらいの時間立ち尽くしていたのかもわからなかったが、いつしか僕の瞳が潤み、涙が溢れ始めた。
何も考えてもいないのにただただ涙が溢れ出した。
「おにぃさん」
カイリの声に我に返った。
カイリが僕の横に立ち顔を覗き込んでくる。
やや面長でスッと通った鼻筋で青みがかった瞳で見つめ花びらの様な唇が動く。
「悲しいの?」
僕は無言で首を横に振る。
「寂しいの?」
僕は無言で首を振る。
カイリはしばらく考えると言葉を出した。
「なんくるないさ」
僕はカイリに顔を向けた。
「なん?くるないさ?」
「うん、沖縄の言葉で、気にしないで何とかなるさ」
僕はその言葉に少しだけ微笑むとカイリに訊ねた。
「僕は、ここに打ち上げられてたの?」
カイリは右腕を前に出し、人差し指を突き出して白い砂浜を差した。
「うん、波打ち際に倒れてたのよ」
僕はカイリが人差し指が示す辺りへ向かい白い砂浜を歩き出した。
カイリが後ろをついてくる。
波打ち際に立ち辺りを見回す。
「何にも無かったよ、アタシも探してみたけど」
そっか、やっぱ手がかり無しか、と僕は肩を落とした。
「でも、ひとつだけ確かな事があるよ」
カイリが言う。
えっ、と僕はカイリを見た。
「おにぃさんは、ナイチャーよ」
「ナイチャー?」
「本土のことを内地って言うの、内地の人を、ナイチャー、沖縄の人は自分達を、ウチナーって言うの」
「わかるの?」
「話し方が違うからさ」
なるほど、それなら何の目的で僕は沖縄に来たのだろうか?
わからない事だらけだ。
☆
僕とカイリは家へ向かって歩き出した。
「用高さんは?」
カイリは、プッと吹き出した。
「おじぃー、でいいさ」
と言うと続けた。
「家の裏の畑してるはず」
畑?
僕はその畑へと向かうことにした。
その畑はとても、用高おじぃーがひとりでやっているとは思えない広大なもので南国の野菜や果実が豊富に実っている。
僕は畑に入り、用高おじぃーと言葉を交わしながら、作業を手伝った。
しばらくすると、カイリの声が聞こえてきた。
「おじぃー、お茶はいったさー」
おー、と、用高おじぃーが答える。
「おにぃさんも、お茶にしましょねー」
はーい、と僕は答えた。
収穫した野菜を抱え僕と用高おじぃーは家へ戻り庭に面した縁側へ腰を下ろした。
そこへ、カイリが冷えたお茶を入れた琉球ガラスのグラスを盆にのせて持ってくる。
グラスを手に取り口元へ運ぶと爽やかな花の香りがする。
ひと口含むとその爽やかさが広がり身体の熱を治めてくれる。
「これは?」
「さんぴん茶さ」
「さんぴん?茶?」
「茉莉花茶(ジャスミン茶)よ」
さんぴん茶は沖縄の一般的な飲み物なのだ。
喉を潤し一休みした用高おじぃーと僕はまた畑へ向かった。
畑の作業に区切りをつけ、三人でゴーヤの冷や汁で昼食をとる。
昼食の後は昼寝である。
用高おじぃーはゴロリと横になるとたちまちイビキも高らかに寝始めた。
僕もそれにならい横になった。
はっと気がつくと用高おじぃーの姿はなかった。
寝過ぎたらしいと思い慌てて起き上がりカイリに訊ねた。
「おじぃーは?」
カイリは微笑みながら答えた。
「おにぃさん、無理はしないでいいよ、おじぃーはサトウキビ畑よ」
「サトウキビ畑もあるの?」
サトウキビ畑に行ってみたいとカイリに言う。
カイリは頷くとサトウキビ畑へ連れて行ってくれた。
家の裏から野菜や果実の畑を抜けてゆく。
そこには見渡す限りのサトウキビ畑が広がっていた。
野球場が四つ分はゆうにある。
「ぜーんぶ、おじぃーのサトウキビ畑よ」
カイリの言葉に僕は目を見開いた。
「まさか、おじぃーひとりで?」
「それは無理よ」
カイリが答える。
「周りの家の人達が世話してるの、みんなで作って収穫して、みんなの収入になるの」
サトウキビは沖縄黒糖のもとなる沖縄の大切な産業なのだ。
サトウキビ畑沿いの道のかなたに軽トラックが止まっている。
カイリが軽トラックを指さす。
「おじぃーはあの辺りにいるはず」
わかった。と僕はその軽トラックに向かい歩き出した。
カイリも後をついてくる。
軽トラックに辿り着いた頃には僕は全身汗だくになっていた。
カイリは何も無かったような様子で用高おじぃーに声を掛ける。
「おじぃー、軽トラ、乗ってくよ」
おー、と用考おじぃーが答える。
「おにぃさんはどうするの?」
全身汗だくの僕は青い空を見上げながら答えた。
「おじぃーとここにいるよ」
そう、と返事をするとカイリは軽トラをUータンさせ来た道を戻って行った。
☆
僕は、用高おじぃーからサトウキビ畑の作業を習いながら身体を動かし続けた。
どれくらいか時間が経った時、クラクションが聞こえてきた。
「おじぃー、おにぃさん、おやつよ」
カイリの声だ。
おー、と、はーい、と揃って声を出す。
畑沿いの道に戻ると軽トラの脇に簡易ベンチとテーブルが置かれカイリが待っていた。
テーブルには、さんぴん茶の注がれたグラスとキツネ色の丸い揚げ物が添えてある。
「これは?」
「サーターアンダギーよ」
「サーター?アンダギー?」
「うん、沖縄のドーナツかな?」
用高おじぃーはサーターアンダギーを手に取るとガブリと噛りついた。
僕も同じように噛りついた。
カリッ、サクッとした歯ざわりのあと香ばしさが口の中に広がり素朴な味が美味い。
「カイリちゃんが作ったの?」
カイリが、うん、と頷く。
さんぴん茶とサーターアンダギーで身体を疲れから開放するとサトウキビ畑の作業を再開した。
陽が傾き空の色が変わり始める。
軽トラのクラクションに続いてカイリの声が聞こえてくる。
「おじぃー、おにぃさん、帰りましょね」
おー、はーい、と返事を返す。
用高おじぃーが軽トラの助手席へ、僕は荷台へと乗り込む。
カイリが軽トラを発進させる。
陽は傾き空の色は黄金色に染められている。
夕陽ってこんな色だったけ?
軽トラの荷台で揺られながら僕は黄金色の空にただただ見とれていた。
☆
「おじぃー、お風呂してよ、おにぃさんもね。
おにぃさんは直ぐに洗濯するから全部脱いでくださいね」
「えっ?どう言うこと?」
「おにぃさんの服はそれしかないでしょ?
明日は裸でいるの?」
確かに、それもそうだ。と僕は納得し、用高おじぃーの後に入浴した。
しかし、風呂あがりに身につけるものがなく腰にバスタオルを巻いただけの姿だ。
仕方がないのでそのままの姿で夕食の食卓につく。
カイリは僕の身体に視線を向けながら言う。
「おじぃーとサイズが違いすぎて代わりに出来なくてごめんなさいね」
「あぁ、いや、大丈夫だよ」
「うむ、無駄の無いいい身体してるね」
と、用高おじぃーが言う。
僕は、かなり照れくさい気分になってしまった。
食卓には、島らっきょうちゃんぷる、と、にんじんしりしりが大皿に盛られている。
用高おじぃーは手元のグラスに泡盛を注ぎ、ひと口含むと満足気に頷き箸を伸ばし島らっきょうちゃんぷるを頬張る。
僕も、島らっきょうちゃんぷるを頬張る。
島らっきょうのコリコリの歯ごたえに微妙な辛味がたまらないくらいに美味い。
にんじんしりしりは、ごまラー油の香ばしさに人参の甘みがまっちして食が進む。
用高おじぃーが僕に泡盛をすすめてくる。
僕はグラスに泡盛を注いでもらうと、イッキにひと口含んだ。
くぅー、と鼻に強烈なアルコール臭が抜ける。
ゴクン、と飲み込みと喉を焼くような熱が通り過ぎる。
んかぁー、と身震いが走る。
その様子をしげしげと眺めていた用高おじぃーが声を上げ笑いだす。
はっははは。
キャハハ。
カイリが笑いだす。
「おにぃさん無茶よ、ゆっくり飲まないと倒れちゃうよ」
声も出せず、うん、うん、と頷きカイリの言葉に答える。
そのまま笑い合い、飲み続け、食べ続け、いつの間にか僕は爆睡へと落ちていった。
☆
ガタ、ゴトの音で目覚めた。
カイリが板戸を開けている。
えっ?いつの間にか寝てしまったのか?
慌てて身体を起こそうとした。
あっ、痛っう。
全身に痛みがはしる。
全身筋肉痛である。
やっとの思いで身体を動かし辺りを見回す。
枕元にジーンズとTシャツとトランクスが置かれている。
全裸のままだった。
慌ててトランクスを履く。
ジーンズを履く。
Tシャツを片手に取り、無理やりに立ちあがる。
カイリが振り返ってくる。
「おにぃさん、おはようございます」
「おはようございます」
と答える。
用高おじぃーが朝の魚をさげて帰って来る。
「大丈夫ぅ、おにぃさん」
「はい、おはようございます」
と用高おじぃーに答える。
ニコリと微笑むと用高おじぃーは魚を捌き始めた。
カイリがテキパキと朝食の用意をしてゆく。
朝食を終え、一時すると用高おじぃーは野菜や果実の畑へと向かった。
少し遅れて僕も筋肉痛の全身を引きずり畑へと向かった。
「おにぃさん、無理はしないでいいよ」
用高おじぃーが作業しながら声を掛けてくる。
「はい、大丈夫ですから」
と言いながら僕は無理でも身体を動かした。
作業を進めるうちに次第に身体が解れてゆく。
汗が流れ、筋肉が、関節が、解れてゆく。
それに釣られる様に心の奥が解れてゆく気がしていた。
筋肉痛に充実感が心地良く満ちてゆく。
カイリの声が聞こえてくる。
「おじぃー、おにぃさん、お茶よー」
おー、はーい。
用高おじぃーと僕は家へ戻り庭に面する縁側へ腰を下ろす。
グラスに注がれた、さんぴん茶に癒やされる。
カイリは二人の間に座り赤い缶を手にしている。
「何、それ?」
「アメリカン・コーラよ」
答えながら、ゴクンと喉鳴らしながら飲んでいる。
「飲んでみる?」
「えっ?」
カイリが僕に向けてアメリカン・コーラの缶を突き出してくる。
う、うん。と躊躇いながら受け取る。
「間接キスしてみ」
と悪戯ぽくカイリが微笑む。
躊躇しながら口をつける。
ゴクンとひと口含む。
「ぅわ、甘い。甘過ぎないこれ?」
慌てて缶をカイリに返し、さんぴん茶を含む。
「アメリカ物は口に合わないよ」
と用高おじぃーが首を横に振る。
「カイリちゃんは平気なの?」
「美味しさ」
はぁ、とため息をつく。
「カイリはアメリカが入ってるからかね」
用高おじぃーが言う。
「えっ?アメリカって?」
「アタシ、ハーフなのよ」
カイリが、青みがかった瞳でウィンクしてみせる。
なるほど、スタイルといい、顔つきといいと僕は納得した。
☆
アイリの母親は、用高おじぃーのひとり娘の波恵(なみえ)だった。
沖縄本島以外の多くの小島には小学校、中学校までしかなく高校へ進学するには本島へ行く事になる。
アイリの母親である波恵も高校進学のため本島へゆき用高おじぃーの親戚の元から通学していた。
波恵は高校を卒業すると地元企業へ就職し2年間務めた。
波恵は20歳になると親戚の家を出てひとり暮らしを始めた。
それと同時に地元企業の職を辞め水商売の世界へと入った。
水商売の世界へ入って1年が過ぎた頃、波恵は沖縄在留米軍基地の軍人と恋に堕ちた。
米軍基地軍人との付き合いが半年も経った時、波恵は妊娠をした。
波恵は妊娠を軍人に知らせ一緒になりたいと告げた。
軍人は妊娠を喜び、一緒になろうと約束してくれた。
しかし、正式に婚姻をしていない者は米軍基地の中では暮らせない。
かと言って軍人が米軍基地外で暮らす事もできなかった。
仕方なく波恵はシングルマザーとして子供を産み、カイリと名付け出産届けを出した。
いつか必ず軍人と一緒になりアメリカへ移り住むと思い漢字を使わない名前にしたのだった。
カイリが産まれてしばらくの間は波恵の元へ軍人は頻繁に通って来ていたのだが、月日と共に間隔が空き、遂にはいっさい訪れて来なくなった。
連絡を取ろうにも電話も繋がれず、基地でも受け付けてもらえずであった。
波恵は落ち込んだ。
それでも我が子、カイリのためにと気を取り直し自分一人で育てていこうと波恵は決心した。
波恵は、昼夜問わず働き続けた。
そんな母親の苦労を知ってかじらずかカイリは素直にすくすくと育っていった。
そして、カイリが高校へ入学した2ヶ月後、波恵は倒れた。
長年の過労、心労に病が重なり倒れたのである。
波恵のそうした暮らしを人伝に聞き、用高おじぃーは知っていたが口出しせず見守っていた。
用高おじぃーの妻であり、波恵の母親も黙って見守っていた。
波恵が倒れ入院した事を知り、高校進学以来の再会へ病院へ出向いた。
再会を果たした波恵は両親に今までの事を詫び、カイリを託す言葉を最後に息を引き取った。
その時が、カイリとおじぃーとおばぁーの初対面である。
しかし、用高おじぃーの妻である、おばぁーはひとり娘を失った悲しみに打ちひしがれ、寝込み、後を追う様に息を引き取った。
用高おじぃーは、カイリを親戚の元へ預け高校へ通わせた。
学費、食費、生活費は用高おじぃーが働きカイリに仕送りをした。
そして、カイリは高校を無事に卒業すると、この小島へやって来たのだった。
カイリの母親であり、用高おじぃーのひとり娘である波恵を亡くし。
波恵の母親であり、用高おじぃーの妻である、おばぁーを亡くし。
孫とはいえ離れ離れで疎遠でいた自分を支えてくれた用高おじぃーをカイリは放っては置けなかったのだ。
カイリと用高おじぃー、二人の生活は2年目を過ぎたところだ。
☆
お茶の時間を終え再び野菜や果実の畑へと向かおうとした時だった。
庭の囲む石垣の陰から三人の男達が現れた。
背丈が、160センチと165センチと170センチの男達だ。
それぞれに派手なアロハシャツを着て、だぶだぶのショートパンツを履き、島ぞうりをつっかけている。
三人の男達は遠慮もなくゾロゾロと庭へと入り込んだ。
160センチの男が、用高おじぃーを睨みつけながら声を出す。
「おい、おじぃー、今日は、うん、と言うてもらうで」
「ほぉ、何おじゃ?」
「何って、何回同じこと言わすんか?」
「ほぉ、何おじゃ?」
「クソおじぃー、ボケたんか?」
「かもしれんさ」
165センチの男が喋りだす。
「口だけは達者でもな、オレらには敵わんこと教えたるさ」
おい。と160センチの男に顎をしゃくる。
「うらぁ、力尽くで、うん、言わしたる」
160センチの男が一歩前へ出てくると喚き散らす。
ほぉ、と言うと用高おじぃーは、ふわりと立ち上がり庭の真ん中へ歩いて行く。
160センチの男と用高おじぃーが向き合う。
男がいきなり右腕を振り上げパンチを出す。
右脚を軸にくるりと円を描き用高おじぃーがパンチを躱す。
続けて、左のパンチがくる。
左脚を軸にくるりと円を描き用高おじぃーがパンチを躱す。
右、左とワンツーパンチがくる。
右脚を後ろへ引きワンのパンチを見切る、ツーのパンチを右手を内から外へ円を描く様に回し受け流す。
「クソおじぃー、じっとしとけよ」
男が喚く。
うん、と頷き、用高おじぃーが左脚を後ろへ引き動きを止める。
それを見た男が両腕を振り上げ掴み掛かる。
瞬間、左の踵の上に腰掛けるように膝を軽く曲げ、腰を引き、背筋を立てる。
右脚の膝を軽く曲げ、爪先は親指が地に付いているだけだ。
男の身体が、用高おじぃーの間近に寄る。
クンッ、と、用高おじぃーの右膝が跳ね上がる。
パシン、と破裂音がする。
用高おじぃーの右足の爪先が、男の股間を蹴上げている。
ガアァ、と股間を押さえ男が崩落ちる。
その様子を見止めた 165センチの男が唖然とする。
170センチの男が声を荒らげる。
「なにしとるよ、イケよ」
うん、うん、と頷きながら 165センチの男が用高おじぃーに向き直り身構える。
じりじりと用高おじぃーに近づいてゆく。
ふん、と男がうなる。
男が丸太を振る様に右腕をブゥンと振る。
右腕が用高おじぃーの左顔面に迫る。
用高おじぃーの左腕がスッと上がりブロックする。
男の腕が弾き返される、怯まず左腕のパンチを突き出す。
用高おじぃーがヒラリと後ろへ飛び躱す。
目標を失い男のバランスが崩れる。
バランスを戻した男がいら立ちを露わにパンチを連打し始める。
右に左にと用高おじぃーが円を描く様にパンチを往なす、躱す、流す。
と、次の瞬間、用高おじぃーの右足が地面の窪みに引っ掛かり、ペタンと尻餅をついた。
男が動きを止めニヤリッと笑う。
「クソおじぃー、ここまでさ」
勝ち誇った様に言う。
用高おじぃーの胸ぐらに男の右手が伸びる。
刹那、赤い物体が空を切って飛んでゆく。
カコン、と男の額に命中した。
飲み残しの中身、アメリカン・コーラが男へと降り注ぐ。
虚を衝かれた男がブルブルと頭を振る。
男の視線が横へ向けられる。
そこには縁側に仁王立ちのカイリの姿があった。
「小娘、なにやってる!」
男が怒鳴る。
「悪者退治さ」
カイリが怒鳴り返す。
男の顔つきに怒気が宿る。
カイリに向かって男が駆け出す。
瞬間、僕の身体が動いていた。
僕は右肩から男の右脇腹に体当たりしていた。
体当たりを食らった男の身体が左へ吹き飛ぶ。
ドサッと地面に落ちる。
ゴロリと転がり呆然となる。
辺りを見回し、初めて僕に気づいた様に男が呟いた。
「な、何もんね?」
「訳あって、この家に世話になってる者だ」
「世話にって、余所者か?」
「その様です」
「その様って、舐めやがって」
男が言いながら立ちあがる。
僕は、男とカイリの間に立つ。
「退け、余所者」
男が声を荒らげる。
僕は首を左右に振り男を睨み返した。
うらぁ、と声を上げ男が掴みかかってくる。
僕は、両膝を軽く曲げ、顎を引き、頭から男の懐へ飛び込んだ。
右脇に引いていた右拳を突き出す。
右拳がカウンターになり男の鳩尾に突き刺さる。
ぐごっ、と呻き男の身体が後ろへ飛ぶ。
ドサッ、と地面に落ち息を詰める。
170センチの男が近づいて来ると両腕を立て、ボクシング風に構え、無言のままパンチを打ち出してくる。
右、ジャブ、右、ジャブ、左、ストレート。
頭を振り、上半身を振り見切り躱す。
さらに間合いを詰め、右ジャブ、右ジャブ、左ストレートと繰り出してくる。
詰められ後退る。
170センチの男は素早く左ストレートを引き戻し、さらに力を込めて左ストレートを打ち出してくる。
僕は、右足をやや右斜め前へ踏み出す。
男の左ストレートの内側に這わせる様に左腕を突き出し、男の左腕に絡めながら体側へつく。
同時に左脚を前へ振り出し大きく後ろへ刈り込む。
柔道の大外刈りの様にだ。
男の身体がふわりと浮く。地面と男の身体が平行に宙に浮く。
そのまま背中から地面に叩きつけられる。
僕は、絡めた腕の手首を右手で掴み腕を引き伸ばし体を倒した。
右脚で喉元を押さえ、左脚で胸元を押さえ、男の左腕の肘を伸ばす。
男の左腕を絞り親指を天へ向ける。
ビキッ、と肘関節が悲鳴を上げる。
「止め、止めじゃ、おにぃさん」
僕は、用高おじぃーの声に我に返った。
腕ひしぎ十字固めの極めをとく。
男は、慌てて身体を右へ転がせその場を逃げる。
☆
地面に座り込んでいる僕に用高おじぃーが右手を差し出してくれる。
その右手を掴み立ちあがるとカイリが駆け寄って来る。
「もぉ、おにぃさん、背中もお尻も泥だらけよ」
と言いながらパタパタと払い落としてくれる。
すみませんでした。と僕は用高おじぃーに頭を下げた。
用高おじぃーは首を左右に振りながら言う。
「おにぃさん、たいしたもんさ」
「いえ、無意識に身体が動いていて」
僕は自分でも何が何だかわからなかったのだ。
「でも、何だったんですか、あの三人は?」
うん。と頷くと用高おじぃーは縁側へと向かい腰を下ろした。
僕も、縁側へ向かい腰を下ろした。
カイリは縁側に上がり座り込む。
用高おじぃーがゆっくりと話し始める。
「ここを、売れと言ってきてるのさ」
「こことは、この家ですか?」
用高おじぃーが首を振るとカイリが後を継ぐように話し始めた。
「家と野菜や果実の畑とサトウキビ畑の全部よ、おじぃーの土地全部よ」
「何故?」
「内地の人間が別荘を建てるって、あとリゾート施設もよ。
あいつらはそのナイチャーの手先よ、ウチナーなのに」
「それじゃ、おじぃーやカイリちゃんはどうなるの?」
僕は用高おじぃーを見つめた。
「わしやカイリだけの問題ではない。
海は汚れ、自然も壊される。
島のみんなも暮らせなくなる。
売る訳にはいかん」
用高おじぃーの言葉に力がこもる。
なんて無茶な奴がいるんだ。僕は無性に腹立たしかった。
☆
昼食と昼寝を済ませ変わらずサトウキビ畑の作業を終え家へと帰って来る。
カイリが声を掛けてくる。
「おにぃさん、今日は、たくさん汚れたね、早く脱いで」
あ、はい。と慌てて僕はTシャツ、ジーンズ、トランクスを脱いだ。
「おじぃーと一緒に風呂はいったらいいさ」
カイリの言葉で、用高おじぃーが笑う。
僕は用高おじぃーと一緒に湯船に浸かった。
はぁ、と息を吐く。
疲れが取れてゆく。
身体が解れてゆく。
用高おじぃーはニコニコと笑っている。
用高おじぃーが洗い場へ出る。
僕も、洗い場へ出ると用高おじぃーの背中へ周る。
「背中、流させてください」
うん、と用高おじぃーが頷く。
背中を流しながら僕は用高おじぃーに訊ねた。
「あの、午前中の騒ぎの時の、あの円を描く様な動きは武道か何かですか?」
うん。と頷きながら答えてくれる。
「テー、さ。
もっとも昔に稽古したのもだけどさ」
「テー?」
「琉球の古い闘技さ」
「闘技ですか?」
今風に言えば、琉球武術とか沖縄空手と表わされる。
しかし、正式には別の物である。
闘技は、武器を持てない琉球の民が徒手空拳で己を、家族を、仲間達を護るために生みだされた活殺技である。
テー、の基本は開手(かいしゅ)である。
開手で掛け、受ける。
指先で眼を突く。
指先で眼を切る。
喉を掴み握り潰す。
金的を掴み握り潰す。
蹴り技も足指を立て突き刺す様に蹴る。
時代が進むにつれ、あまりにも危険過ぎるため禁じ手となった。
40~50年前までは、沖縄空手の一部に流れを持つ形があり名残もあったが、今のスポーツ化した空手では消滅してしまった。
と言ってもよい。
風呂から上がるとバスタオルを巻き食卓へ腰を下ろす。
カイリが声を掛けてくる。
「おにぃさん、明日には船が来るから着替え買えるよ」
「船が来るって?」
「買い物の船よ」
小島には、生活雑貨や衣類を売る店は無く、2週間に一度、そういう物品を売る船が本島から来るのである。
翌日、僕はカイリと供に物品を売る船へ向かった。
白いTシャツ3枚入りで、700円、トランクス2枚入りでで300円を購入してもらった。
ジーンズは残念ながら僕に合う物がなく今回は購入できなかった。
カイリは本島へ行こうと嬉しそうに言った。
2日後、僕とカイリは沖縄本島へ向かう船に乗船していた。
午前中、10時30分に小島を出ると20分ほどで本島の那覇港に着く。
那覇市内の国際通りを抜け、中筋へ入る。
そこに地元の商店街がある。
国際通りは観光客向けの商店街であり地元の買い物客はまずいない。
カイリは慣れた足取りで地元の商店街を進みジーンズショップへ入ってゆく。
楽しそうに僕のジーンズを選んでくれる。
続けて自分のショートパンツを選ぶ。
さらにTシャツを3枚ほど選ぶ。
そうだ、と何か閃いたようにジーンズを選び始める。
「どうしたの?まだ買う物あるの?」
僕の問にカイリがほほ笑みな答える。
「うん、おじぃーにもジーンズ買うの」
なるほど、と納得する。
軽くて、柔くて、履きやすいジーンズをカイリは購入した。
昼食に、タコライスを食べ、那覇港より小島に向かう15時発の船に乗船した。
☆
それから2週間が経った。
相変わらず僕の記憶は戻らず、名無しのままだった。
それでも用高おじぃーとカイリと暮らす生活に馴染、日々の作業にも慣れていった。
カイリが軽トラのステアリングを握り、用高おじぃーを助手席に乗せ、荷台に僕が乗り込み、サトウキビ畑の作業に向かう。
周りの家のみんなも集まり作業を始める。
サトウキビ畑の間を通る農道がある。
軽トラ同士が行き違いや方向転換のためのスペースが六角形の様にとられている。
その六角形スペースに男達が現れた。
男達の一人が大声を上げる。
「おじぃー、クソおじぃー、出てこいやぁ!」
作業中のみんなが頭を上げる。
僕も頭を上げた。
5人の男達が立っている。
用高おじぃーが、よっこらしょ、と農道に出る。
5人の男達の内の3人は以前に用高おじぃーの家に現れた派手なアロハシャツの背丈が160センチ、165センチ、170センチの連中だった。
その後ろに黒いシャツに黒いスラックス姿の男が2人いる。
沖縄の日射しには不似合いな2人だ。
ひとりは細身で、まるでカマキリの様に顎が小さく尖っている。
背丈が175センチを少し越えている。
もぅひとりは四角い体格に四角い顔で、背丈が180センチほどである。
160センチの男が用高おじぃーに向って言葉を出す。
「今日を最後にしてやるぞ、内地のお兄さん達がおみえだからな!」
ほぉー、と用高おじぃーが顎を上げる。
160、165、170センチの男3人が横並びで用高おじぃーに向って歩き出す。
僕は、農道に出ると用高おじぃーの横に並んだ。
カイリは少し遅れて農道に出てくると僕の後ろへ立った。
僕の姿を見止めると3人の男の足が止まる。
「てぇめー、まだいたのか?」
「あぁ、ずっといるさ」
165センチ男の声に僕は答えた。
3人の男は揃って後ろを振り返り、四角い男に向って声を出す。
「こ、コイツですよ、俺達の邪魔した余所者は!」
それを聞いた四角い男が僕を睨みつけてくる。
不意に、四角い男がニヤリッと顔を歪め喋りだす。
「なんだ、不破(ふわ)じゃねぇか!」
ん?ふわ?僕の事なのか?
「お兄さん、知ってるんですかコイツを?」
「あぁ、不破 竜季(ふわ たつき)って、言ってな、リゾート施設を作る事に掛けては一流ってヤツよ」
フワ…タツキ…、っていう名前なのか僕は?
リゾート施設を作る?僕が?
「ウチの社長は、ヤツにここのリゾート施設の開発を依頼した。
だが、ヤツはそれを断わった。
それでも社長は何度も依頼をした。
ヤツは渋々、現地を見てからだ。
と返事をよこした。
だが、何故か次の日からヤツと連絡が取れなくなっていたんだ」
なるほど、それで僕は、沖縄へやって来たのか。
改めて四角い男が僕に向って声を大きくして問いかけてくる。
「不破、邪魔するな、もぉ、おまえには用はない!」
僕は四角い男を睨み返し声を出した。
「ここに、別荘もリゾート施設も作らせわしない、ここにいる、みんなが生活しているんだ大切な島だ。
帰って、社長に伝えろ、僕はここを守る。とな!」
四角い男は、チッと舌打ちする。
「ガキの使いじゃあるまいし、はい、そうですか。とはいかねぇんだ!」
「おい、やっちまえ!」
吐き捨てられた四角い男の声に応える様に3人の男が僕を取り囲む。
しかし、一度痛い目に遭わされているために3人とも及び腰である。
僕は全身を軽く脱力させる。
左右の足を平行にし、肩幅よりやや広く立つ。
右側から一人目が殴り掛かってくる。
僕は顎を引き背中を屈め懐へ飛び込む。
相手の右脇腹と僕の右脇腹が触れ合う、刹那、グンッと背中を伸ばす。
相手の身体が横へ弾かれ宙を舞い地面へ背中から落ちる。
ウゥグ、と呻く相手のこめかみに爪先蹴りを入れ、昏倒させる。
二人目が両腕を振り上げ僕の背中から掴みかかってくる。
素速く振り向きながら両腕の上段上げ受けで受け止める。
空かさず両腕を外へ半月を描くように振り下ろし相手の両脇腹を鉄槌で打ちつける。
相手の動きが止まる。
僕はさらに膝を曲げ両手で相手の両脚を引きつける様に刈る。
相手は後方へ倒れ後頭部を地面に打ちつけ昏倒する。
三人目の男が左側から小走りに寄って来る。
低い体勢の僕に向って右脚を振り蹴りっけてくる。
前転をして、その蹴りを躱す。
素早く立ち上がり男と向き合う。
男は両腕を立て、左右とパンチを伸ばしてくる。
上半身をスウィングさせてパンチを躱す。
さらにパンチが伸びてくる。
左足を後ろへ引き見切る。
不意に、男の右脚が振られミドルキックが僕の左脇腹へ迫る。
右足を僅かに右へずらしミドルキックのヒットポイントをずらす。
鈍く伸びたミドルキックの脚を左脇と左腕で挟み、左腕を脚に絡みつける。
男の動きが止まる。
右足を踏み込み、男の軸足、左足を払う。
男が背中から地面倒れる。
蹴り脚に左腕を絡めているために受け身は取れない。
男の両脚が無防備に開かれる、その股間へ正拳を打ち落とす。
金的への衝撃に男は卒倒した。
☆
僕は状態を整え、黒いシャツ黒いスラックス姿のカマキリ男と四角い男に向き直る。
「なかなかやるじゃねぇか」
四角い男が声を出す。
僕は頭を軽く左右に振る。
「なんだか拳法だか、柔術だかやってるって本当だったんだな」
そうか、僕は格闘術をみにつけているのか。
もちろん記憶は無く無意識に身体が動いているだけであった。
「で、お前らは、どうするんだ?」
僕は敢えて強気で声を出した。
その言葉に四角い男は顎を上げ答える。
「しょせん、素人相手のもんだろが、コイツは違うぞ」
カマキリ男に視線を向ける。
カマキリ男がニヤリッと不敵に笑う。
男はスタスタと足を進め僕の前で間合いを測り立ち止まる。
異様な殺気を醸し出している。
刺殺線がぶつかり合う。
サトウキビ畑の作業を止め、遠目に事の成り行きを見ていた男性がひとりよたよたとその場から駆け出していく。
カマキリ男が両腕を縦に顔面の前で構える。
ボクシングよりもやや高めのアップライトの構えである。
左足を一歩前へ出し、両膝を軽く曲げトントンとステップを踏み始めた。
いわゆる、ムエタイ、タイ式キックボクシングである。
キックボクシングは日本で始められた格闘技であり、ムエタイの肘、膝、首相撲に規制をつけたものである。
両腕を前へ出し開手で構え、足を肩幅よりやや広くし左足を前へ出し僕は身構えた。
両腕をアップライトに構えた男はまさにカマキリに見えた。
黒いカマキリが僕に向ってくる。
シュッ、と空気を切り裂く様な音がする。
右脚が高速で動く。
僕の左膝に向って、ローキックが襲ってくる。
左膝を僅かに上げ、外側へ振り、ローキックをカットする。
男は、高速でローキックを引き、続けて左脚を振ってくる。
左のローキックが僕の左膝の内側を襲ってくる。
再び、左膝を僅かに上げ内側へ振り、インローキックをカットする。
男は右足を素早く左足へ寄せる。
継足から左脚を跳ね上げ僕の右太腿へ、右脇腹へ息つく間もなく連蹴りを繰り出してくる。
高速連蹴りに防戦一方になり、僕は身動きが取れなくなっていた。
不意に、視界に男の両腕が伸びてくる。
首が両サイドから固められ動かせなくなる。
頭が右へ、左へと振られ弄ばれる。
首相撲によって、平衡感覚が鈍くなってゆく。
突然、右脇腹に衝撃がくる。
続けて、左脇腹へ衝撃がくる。
左右の膝蹴りを男が繰り出しているのだ。
僕は両腕を腹部、臍の前で重ねブロックする。
構わず、左右の膝蹴りは繰り出される。
ブロックする腕の骨まで痛みを感じる。
ガックン、と僕の腰が落ちる。
それを勝機と見たのか男が首相撲を解き一歩距離を取り左右のパンチを顔面に向けてきた。
なんとか、頭を左右に振り、スリッピングでパンチを凌ぐ。
さらにパンチがくる。
僕は両腕の痛みを堪え顔面の前へ構える。
左のパンチを右手、掛受けで外側へ流す。
右のパンチを左手、掛受けで外側へ流す。
一瞬の間を突いて男の懐へ入り込む。
それでも男は左膝蹴りを繰り出してくる。
その左膝蹴りを右腕で抱え込む。
左腕を男の首へ伸ばし後ろを回し引く、上半身を引きつける。
身体を密着させクリンチで男の動きを封じる。
両膝を軽く曲げ腰を安定させる。
男の体重を自分の胸に掛かるのを感じた瞬間、全身を後方へ反らせる。
反り投げ、スープレックスで後ろへ投げ捨てる。
地面に腰から叩きつけられ男の身体がバウンドする。
男に駆け寄り右脇に立ち、鳩尾へ右膝を落とす。
ふごっ、と息を漏らし頭をもたげる。
もたげた頭、前頭部に掌底打を落とす。
勢いで後頭部が地面に叩きつけられ、黒いカマキリ男が卒倒する。
☆
はぁ、はぁ、と息を漏らしふらふらと僕は立ち上がった。
四角い男に視線を向ける。
苦笑いを浮かべ四角い男が声を出す。
「クッソ、たいしたもんだな」
男が右手を後ろへ回す。
パチ、パチン。と音がすると男の右手が前へ戻ってくる。
ギラリ、と鈍く光る物が握られている。
「と言っても所詮は素手だ、こいつには敵わないだろが」
鈍く光る物を前へ突き出し見せつける。
「沖縄ってのは便利だぜ、手安く手に入るからな」
四角い男の右手に握られている物は、ダイバーナイフであった。
刃渡りは、13センチ前後であるが峰、鎬の部分には反し刃が付いている。
人間の身体に深く刺さった場合に、迂闊に引き抜くと傷口の肉を外へ引き出してしまうのだ。
ダイバーナイフを右手に持ち身体の前で小刻みに出し引き、前後に動かせながら間合いをしてくる。
その切っ先が届くにはまだ距離があり、僕はゆったりと腰を落ち着かせ両腕を体側にぶらりと下げて構えた。
切っ先が届きそうな距離が詰まると男の右腕が伸びてきた。
左斜め前へ足を踏み出し体を切る。
右掌底で内側へナイフの握り手を払う。
男のバランスが崩れる。
同時に右腕を振り掌底を男の鼻先を打ちつける。
バシッ、と衝撃音と、フゴッ、と呻き声が重なる。
男が左手で自分の鼻先に触れてみる。
手の平がぬめり、赤く染まる。
ヤロー。と声を漏らし赤く染まった手の平を黒いシャツに擦り付ける。
男が視線を僕に向け問いかけくる。
「なぜだ、どうして、それほどまでに、俺達の邪魔をする?」
「それは…それは、ここが、俺の故郷だからさぁ!」
過去の記憶を失い、失いかけた命を繋ぎ生かしてもらっている今、ここが僕の故郷なのだ。
僕の答えに、男は目の色を変えナイフをめったやたらと振り回し始める。
振り回されるナイフの軌道を見切り距離取る。
男は、一度動きを止めると肩で息を荒く吐いている。
うりゃー、と大声を出すと右腕を大きく振りかぶり袈裟懸けにナイフを振り下ろしてきた。
一呼吸間を置き左膝を斜め前へ折り地面に膝をつき体勢を落とす。
その膝を支点にし右脚を振り回し蹴りを放つ。
回し蹴りの爪先が男の鳩尾に刺さる。
男の動きが止まる。
再び、膝を支点にし後方へ身体を捻り回す。
低空の右脚の後ろ回し蹴りが男の両足を一気に払う。
男の身体が浮き地面と平行になり、落下する。
空かさずダイバーナイフを持つ手首を両手で掴み捻り込み脇固めで締め、極める。
☆
複数の足音が駆け寄って来る。
足音に視線を向ける。
制服の警察官が4人、背広姿の男性が2人、が視界に入る。
黒シャツ達と闘いの始まる時にこの場から駆け出したひとりの男性が本島の県警へ電話していたのだ。
6人の警察官の前へ用高おじぃーが出て行く。
おじぃーと会話を済ませた警察官達が、派手なアロハシャツ3人と黒シャツ2人を立ち上がらせて連行する。
ふっと背広姿の警察官の一人が僕を見つめ声を出した。
「おにぃさんは?」
「タッキーさぁは、アタシの恋人さぁ!」
カイリが一歩前へ出て高らかに答えた。
その声に、背広姿の警察官は微笑み頷き納得顔で足を進めた。
終り。