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第7話:解かれた糸、結び直す指先
|新《あらた》の病室の壁には、一枚のカレンダーが貼られている。
一年前、|永莉《えり》が亡くなった日から、日付を書き込むことをやめていたその紙に、新は震える手で小さく丸をつけた。
「……今日、だよな」
それは、大学時代の親友や、一年前から避けてきた地元の友人たちに送った、短いメールの返信が届く日だった。
『会いたい。話したいことがあるんだ』
あの日、永莉と喧嘩別れをしてしまった後悔が、今も新の胸を抉っている。「明日言えばいい」という傲慢さが、永遠の別れを作ってしまった。
コンコン、と戸惑うようなノックの音がした。
「……新? 入るぞ」
扉が開くと、そこには三人の友人が立っていた。かつて共に笑い、永莉との結婚を誰よりも祝福してくれた仲間たちだ。
彼らは新の姿を見た瞬間、言葉を失った。
一年前の精悍な面影はなく、痩せこけ、鼻に酸素吸入の管を通した新。彼らの表情には、悲しみと、それ以上に「どう声をかけていいかわからない」という戸惑いが浮かんでいた。
「……悪いな。急に呼び出して」
新が無理に口角を上げると、一人の友人が絞り出すように言った。
「お前……なんで言わなかったんだよ。こんなになるまで……」
「言うのが怖かったんだ。永莉がいなくなった後、僕だけが生きてるのが申し訳なくて……。でも、それももう、やめることにした」
新は、ベッドの横に置かれた原稿用紙の束に目をやった。
「僕はもうすぐ、永莉のところへ行く。……でも、その前に、みんなに伝えておきたかった。あの日、みんなが僕を励まそうとしてくれたこと、本当は嬉しかったんだ。八つ当たりして、ごめん。……ありがとう」
友人たちの目から、堪えていた涙が溢れ出した。
かつてのように肩を叩き合うことはできない。けれど、病室を満たしていた冷たい沈黙は、新の言葉によって、温かな、それでいて切実な「今」へと溶けていった。
「新、お前……」
「いいんだ。僕は今、人生で一番、自分が生きてるって感じてるから」
友人たちが去った後、新は深く息を吐いた。
心が軽くなっていた。誰かに想いを伝えることは、こんなにもエネルギーを使い、そして、こんなにも自分を救ってくれるのか。
その夜、新はペンを走らせた。
物語の中の『新太』と『永美』は、旅の途中で喧嘩をし、そして、すぐに仲直りをする。
「ごめんね」と「ありがとう」を、明日に持ち越さないために。
「永莉。僕、やっと言えたよ」
新の指先は、もう感覚がほとんどなかった。
それでも、彼は書くことをやめない。
大切な人を失うのがいつかわからないなら、今、この瞬間にすべてを込めるしかないのだ。
窓の外では、夜風に揺れる金木犀の枝が、まるで永莉が頷いているかのように、静かに揺れていた。
🔚