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第8話:不器用な食卓と、繋がれた命
友人たちが去った後の病室は、ひどく静かだった。その静寂を破るように、重い足取りで入ってきたのは、|新《あらた》の両親だった。
母の手には、小さな保温ジャーが握られている。
「新、少しでも食べられそう? アンタが好きだった、カボチャの煮物……作ってきたわよ」
母は努めて明るく振る舞っていたが、その声は微かに震えていた。
一年前、|永莉《えり》が亡くなってからの新は、両親の差し出す手をすべて振り払ってきた。「放っておいてくれ」「僕の勝手だ」――その言葉が、どれほど二人を傷つけたか。今の新には、それが痛いほどよくわかった。
「……ありがとう、母さん。いただくよ」
新が弱々しく笑うと、母の目から堪えきれない涙が溢れ落ちた。
父は窓際で背を向けたまま、鼻を啜り上げている。
新は一口、煮物を口に運んだ。
味がよくわからないはずなのに、喉を通る温かさが、自分がまだ「生きている」ことを思い出させる。
「父さん、母さん。……ごめんね。一年間、心配ばっかりかけて。……僕、本当は、二人の子供に生まれて、すごく幸せだったよ」
父がゆっくりと振り返った。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「新……。そんなこと、言うな。お前は、俺たちの誇りだ。永莉ちゃんのことも、お前の病気のことも……代わってやれなくて、情けない」
「代わらなくていいんだよ。……僕は、永莉に教えてもらったんだ。いつ失うかわからないからこそ、今を大切にしなきゃいけないって。僕は今、こうして二人と話せてる。それが、何よりも嬉しいんだ」
新は、ベッドの脇に置いた原稿用紙の束の横から、一通の手紙を取り出した。
それは、永莉の両親へ宛てたものだった。
「これ、いつか……僕がいなくなったら、永莉のお父さんとお母さんに渡してほしい。彼女が、最後の日までどれほど幸せそうに未来の話をしていたか、僕が書いたんだ。……あの日、喧嘩したまま別れちゃった僕の、最後のお詫びなんだ」
新は、自分の指先を見つめた。
かつて、この指で永莉と繋いだ。この指で、未来を指差した。
その未来は形を変えてしまったけれど、両親と繋ぎ直したこの「今」だけは、誰にも奪わせない。
その夜、新は久しぶりに両親と昔話をした。
自分が生まれた時のこと。初めて歩いた日のこと。
命の終わりを意識したことで、皮肉にも、自分がどれほど多くの愛を注がれて「今」まで繋がれてきたかを知った。
消灯時間が過ぎ、両親が帰った後、新は静かにペンを走らせた。
物語の中の『新太』と『永美』は、ようやく自分たちの目的地を見つける。
そこは、特別な場所ではない。
「大切な人に、ただいまと言える場所」だ。
「……見ててね、永莉。僕、ちゃんと最後まで、僕の『今』を使い切るから」
新の目には、もう涙はなかった。
あるのは、限られた時間の中で何かを遺そうとする、静かで力強い決意だけだった。
🔚