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#18:遺物整理
久しぶりに、私はアラームではなく太陽の光で目が覚めた。いや、久しぶりに感じているだけなのかもしれない。定期的に死の危険はあるものの、一般的な企業と同じ程度の福利厚生はある、はずだ。だから別に、きっと特段ブラックということもないだろう。私自身が働いたこともないので、これは見聞きしてきた知識に由来するが。
そんなことを、ひたすらベッドから起き上がらずに考えていた。差し込むのは朝日、ではなく白昼の陽気。空腹を通り越して虚無を感じてきた頃合いである。
私は今日も、無事に目覚めた。
その途端、ひたすらグロテスクだった先生の遺体を思い出して、何も入っていない胃が何かを吐きたいと叫び始める。また頭から掛け布団を被り、ぎゅっと目を瞑った。
思えば、私はまだ自分が戦場に立っているという自覚がなかったのだ。非戦闘員だからといって、危険に晒されないわけではないのに。
胃のうめきが収まったので、ようやく体を起こす。洗面台へと移動し、水を思い切り打ちつければ、ようやく意識が完全に覚醒した。
時計ではっきりと時間を確かめる。既に午後1時。1日の半分が終わっていた。
朝と昼、食事を同時に摂る。惣菜パンを引きずり出し、飲み込む作業を始める。休日、だからと言って特にやりたいことはない。趣味なし、かつめぼしい友人なしの人間には行くあてはないのだ。
「散歩でも、するか。」
1人呟けば、肯定するかのようにそよ風がカーテンを揺らす。ちょうど良い陽気だ。クローゼットから服を取り出そうとして、手が止まる。まともな私服が、ない。
そういえば買うのを忘れていた。買う気力すらなかった、というのがより相応しいだろうか。であれば今日用意しよう。使う機会があるかは分からないが、ずるずるとスーツを着続けるのは良くない、気がした。
とにかく、仕方がないので私はスーツを取り出した。着れば頭が少しは冴えるようだった。鍵を手に取り、ドアを開け、眩しい日の光に目を灼かれながら階段を降りる。エレベーターを使うべきだった、と後悔し始めたところで、何やらこの階は賑やかだ。地上が一段と近くなった廊下で、ガヤガヤと荷物を運び出している。
「……あ、追加の人員!」
うち1人が、私に気づいた。私に駆け寄ると、助かりました、と笑みを浮かべる。
「いやー、昨日に続けて連勤なんて最悪!と思ってましたけど、あなたもそうですか!引っ越し屋の真似までさせられるとは、サポーターじゃなくて何でもヤーに変えた方がいいんじゃないですかね!?」
スーツを着ているからか、私も連勤仲間だと勘違いされてしまったようだ。
「いや、私は今日ひば」
「ひば?」
「……手伝いますよ。」
特にやることもないのだ。圧に負けて、私は非番であることを一時的に捨てる。
「ありがとうございます!」
向こうは満面の笑みを浮かべると、パタパタと元の位置まで戻り、口を開く。
「今しているのは遺物整理です。これがもう大変なんですよ。」
「遺物、整理?」
「はい。残念ながら先の任務で殉職された方の、お荷物の整理です。あなたのお給料も請求しておくので、安心してくださいね!ちょっと手当増してくれると思いますよ!」
殉職といえば聞こえは良いが、事実家主が死んだ部屋を片付けるということである。気が滅入るも、今更断ることもできなかった。
「が、頑張ります。」
「筋肉痛になりそうですねえ……」
そう残し、影は部屋に消えていった。
別に、命を脅かされているわけではないのだ。これくらいどうってことないだろう。軽く頬を叩き、私も部屋の中へ乗り込んんだ。
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死ぬかと思った。
筋肉が限界を訴えている。走り回り、極限の恐怖に晒された体はまだ強張っていたようで、ヒビが入るような震えが体のあちこちで起こる。
「何この世の終わりみたいな顔してるんですか。まだまだですよ。先の任務の分以外も残ってるんですし。」
それは、仕事を引き受けたことを思い切り後悔する一言だった。
「……が、頑張ります。」
次のドアの表札を眺めた時、私の体は別種の痛みによって凍りつく。
人工の光を反射する白衣。
生きていた証の紙切れ。
花が綻ぶような笑顔。
『自分が、もし死ぬか、それに状態になった時……自分を、リバースにしてください。』
「もしかして、お知り合いでした?」
一気に現実に引き戻される。
「知り合、い」
「無理しなくていいんですよ。他の部屋の整理先にやっておく、とか。」
「いえ、大丈夫です。やります。やりたいです。」
「……分かりました。この後に他の部屋を片付けに行く、とかはやめてくださいね。」
ドアを開けた隙間から、私は意を決して室内へと滑り込む。カーテンが閉められているようだ。室内は日の光が薄く、カーテンの向こう側に見えるのみである。躓かないように私は靴を脱ぐ。
スイッチを入れると、ようやく部屋の全貌が目に見えるようになった。水切りラックに食器が丁寧に置かれていて、まるで家主の帰りを待っているかのようだ。
物もきちんと整理されている。モデルルームのようだが、まだ生活感は残されていた。
これを、今からまっさらに戻すのだ。
そっと手を合わせてから、私はまずソファーのクッションを掴んだ。部屋の外、作られたスペースにそれを転がすと、間髪開けずに中から呼びかけられる。
「テレビとか動かしますから、手伝ってください!」
先程までの筋肉痛が治っているわけもなく、私は戦々恐々としながら室内へと向かうのだった。
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「結構片付いてきましたね。あとは棚とかクローゼット……」
終わりが見えてきたことに安堵しつつ、私はソファーをそこに置く。
次は目の前に鎮座するクローゼットだ。木材の心地いい匂いを吸い、私はそれに手をかける。
「後から服を出すよりも、先に持っていっちゃった方がいいですかね?」
滑らかに開いたクローゼットは開くが、私の両手は滑らかに次の作業へと移行できなかった。
なぜか、たくさんの華やかな服たちが仕舞われていた。ワンピース、カーディガン、しまいにはロリータまで。そういった女性物の服たちが、大量に詰められている。普段彼が着ていた服は、端にこぢんまりと寄せられていた。
確かに先生は中性的な雰囲気ではあったが、明らかな女性物の服は着ていなかった、気がする。サイズだって合わない。私が着られるかどうか怪しいくらいなので、おそらく180cmを超えている先生が着ることは難しいだろう。
では、なぜだろうか?
もしくは彼の知り合いの服だろうか。とはいえ、知り合いがいるのであれば、こうして私たち保安局の人間が遺物整理を行うことはないだろう。
しかし、赤の他人が人の趣味に口を出すことはできない。物理的にも、もうできないのだが。
「あっ、いくつか持っていきたかったりします?」
「……別に、大丈夫です。」
確かに私服には困っていたが、私には到底似合わなそうなガーリーな服ばかりだ。それに、知り合いが所持していた服を着る、というのは少し気まずい。
「じゃあ全部処分ですね。ちょっともったいないなあ。」
そういえば、目の前のサポーターは先生のことを知らないらしい。道理で困惑しないわけだ。
再び、私は部屋を見回した。ひどく殺風景だった。
生きていた証は消えた。
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その後、いくつかさらに部屋を回り、私が解放を宣言された頃には既に辺りは夕暮れ時だった。
「手当、申請しておきますね!」
浮つく足取りで居住棟から離れていくサポーターたちを、私はぼんやりと見つめる。
こうしてやるべきことがなくなってしまうと、かえって人間は困るものである。
「散歩でも、するか。」