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〖慣れの果て〗
弾の込められた銃器のトリガーをまた引こうと、
「もう、やめて下さい」 (イト)
倒れた鏡磨きの誰かを見下ろして、もう一度撃とうとしてイトに止められた。
熱を帯びた銃器を腰に戻し、動かない物をどけた。近くの割れた卵の殻がぐしゃりと潰れた音がした。
更に前から足音がして、顔をあげる。
そこに見覚えのある四人と、知らない猫が二匹いた。
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赤いペンキを被り、葉っぱのついた裸体のようなものがぼさついた黒髪に端正な顔つきの若い男性の足元で倒れている。
後ろには赤い髪にポニーテールをした緑の瞳のモデルのような男性と、赤い瞳に赤味がかった黒のぼさついたロン毛を無造作にゴムで縛った小学生高学年くらいの男子。
その中で黒髪の男性だけが口を開いた。
「...ああ、足立結衣ちゃんと空才リリさん、神来社凪さんと.........」
男性がやけに神妙な顔をして、光流を見た。何か、記憶の奥底にあるものを思い出そうとしているようだったが、それがはっきりとする前に光流が口を開いた。
「...濱田光流」 (光流)
「...そう、ごめんね。僕は桐山亮。こっちが一条イトさんと、田村ミチルくん。そこの猫さんは?」
それにチャシャ猫が尻尾を巻いて、口を開く。
「異物に返す名前はないねぇ...もう終わりが近いのだから、そんなものを覚えていてもしかたがないだろう?」
「...異物...?」
「自覚がないのか、そりゃ素敵な脳みそだね。君、そこの王様を殺してしまったんだよ。鏡磨きの王様はね、女王様を実に敬愛していた。本来なら、その王様は死ななかった...君のせいだ、異物」
「本来なら...?...まるで、全部知ってるみたいで...」
「ああ...俺達はね...〖アリス〗が鏡へ着くまでの案内人だよ。それと同時に観測人でもある。〖アリス〗が鏡の破片である白兎を集めるか、壊れるまでの結末を知っているし、何回も繰り返しているのも知っている。
結果は五分五分と言ったところだね。で、今のところ、ハッピーエンドへ歩みを進めているわけだが......まぁ一部的にだね。これは何度でも繰り返される。女王がもういらないと判断しないかぎりね」
目の前で広がる会話のチャシャ猫の言葉に凪が割って入り、疑問をぶつける。
「いらない?いらないって、どういうことですか?全部、知ってるんですか?」 (凪)
「部分的になら、知ってるよ。〖アリス〗があの小さなカエルを殺すこともね。別にあれは何度も繰り返されていたから、死んでも問題なかった。でも、異物が行うのは決められたシナリオを舞台本番で覆すのと同等であるからにして、滅茶苦茶だ。
そして、女王はただ、破片を集めてほしいだけだ。愛されなくなった女王は集めたもので空っぽの愛を満たす。
〖アリス〗が陶器にひび割れが入るように壊れるか、いつまで経っても破片を得られないと自らの手で...いや、そうして得た彼等の手で壊す。それが何度でも繰り返される。さて、もうやることは分かるだろうね?」
可愛らしい笑みを見せたチャシャ猫に桐山とダイナだけが少し顎を引いた。凪は黙ったまま、何も言わなかった。
結衣と凪だけがポケットから硝子、硝子の破片を取り出して床に丁寧に置いた。
「...これ...鏡の...女王?の...一部なんですよね?どうやって、戻すんですか?」 (結衣)
「確かに、どう戻すのか分からないですね」 (リリ)
ダイナがそれに答えるように口を開くも、チャシャ猫は何も言わず、ただ、見ているだけだった。
「それなら、投獄中の三月兎が知ってるさ。彼も何度も繰り返すから、鏡の治し方を知ってるはずだ」
「...知らないんですか?その、治し方ってのは...もう一匹は長々と説明してましたし...」 (イト)
「確かに。似たような猫だし知っててもおかしくはないよな」 (ミチル)
「......知らないよ。僕も|チャシャ猫《ブラザー》も、それは繰り返さない。治し方は、鏡を割ることを繰り返す三月兎しか知らない。分かったら_」
続けようとしたダイナにチャシャ猫の「待て」という声が入る。交代するように、続けて、
「...異物と、|結衣《〖アリス〗》とミチルだけで行くんだ。俺もついていくし異物は問題ないだろうが、あの兎の話は大人には難解過ぎる。
何しろ平気で、できもしないことを盾に言葉を綴るものだから無知な子供の方がまともに取り合えないさ」
「......口、悪いな...」 (ミチル)
「君ほどじゃないよ」
会話の中で決定権が動き、チャシャ猫の案内で場内の地下へ入る三人と一匹を見ながら残された四人と一匹が姿の見えない白兎が跳ねたであろう場所に腰を下ろした。
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苔が隅に生えて水音がする通路の中で先導するふくよかな猫が一言。
「...異物_桐山は、どうやってここへ来たんだ?女王はお前を呼んだ覚えはないと思うが?」
「僕、だって...知らないよ。元々はオフィスで資料を見ながら、後ろにいる子供や他の人を探してるだけの刑事の一だってのに足元から落ちるみたいにしてここへ来たんだから、ここが何なのかもよく分からない...」
「なるほど、国そのものが呼んだか。大方、気まぐれか。...ま、いいさ......もうすぐ着くよ」
その言葉を言った直後にチャシャ猫が止まり、鉄格子の壁の先でうずくまる青い帽子に月が描かれた兎がいた。
「やぁ、|三月兎《咎人》。鏡を毎度のように割るほか、赤薔薇を黒く塗ったこと以外に何をやらかしたんだ?」
「...このデブ猫め、お前が一番分かってるじゃないか。わざわざ何年も檻の中で過ごしているような奴に慈悲の言葉でもかけるようになったのか?
そんなら嬉しいね、ここから出しておくれよ。破れたトランプを更にバラバラにしたり、トカゲのレストランの食い物を食い尽くしたり、薔薇を白く塗ったり、〖アリス〗に噛みついたり......そういったお礼をしてやるからさ」
「何がお礼だ、恩を仇で返しているだけじゃないか。だから、お前はこうして檻の中に入れられてるんだ」
「あの女王様が嘘つきで色が奇妙な間はね。でも、どうしたものか、本当のことが言えるようになったら私を可愛いと思うのか、可哀想と思うのか...勝手に出してくれる。自分がまた割られるとも知らずにね」
あっけらかんとした三月兎、謂わば元凶に結衣が問いをこぼす。
まるで、慰めるような声色で。
「...どうして、そんなに鏡の女王を割るんですか?」 (結衣)
「そりゃあ...単に、暖かい場所で過ごせるからだよ。周りはね、私を嫌って冷たく、冷たく、冷た~く扱うんだ。こんなの不公平じゃないか?
せっかく周りと同じ大人であるのに、同じ人間であるのに、とっても不遇な扱いを受けるんだ。いやぁ、悲しいね、悲しいね。どうだい、〖アリス〗?
君は私を慰める気になったかい?私が君にとって、可哀想だという枠に入ったかい?」
「......それは...」 (結衣)
「いや、いやいやいや、勘違いするなよ〖アリス〗。私は“可哀想”じゃない。私は立派な大人だし、そこのロン毛やデブ猫よりも口がいいし、何より異物より滅茶苦茶にしたことはない。
君は慰めることが得意のようだ、言葉以外の慰めることも得意かは知らないが、私を慰めることは必要ない。分かるね?
そして私は、この檻の中で唯一満たされている。周りのクソッタレな環境よりも、ここは服を着ることも、食べることも、住むことにも困らない、暖かい場所だ。
こんな良いところから出る馬鹿兎がいるのか?いや、いないね。いるはずがない。
私が女王様を割る具体的な理由はね、あの博愛主義女に檻から出されるからだ。出たくないんだよ、私は。出たくないんだ」
「......でも......」 (結衣)
「そんなこと、どうでもいい!
女王?...を、元に戻す方法を知ってるんだろ?!早く、早く言えよ!」 (ミチル)
結衣に代わり、ミチルが割り込んだが三月兎は更に激昂した。
隣の桐山が腰の銃器に手を伸ばしていた。
「どうでもいい?私のあるべき自由をどうでもいいだって?檻の中にある自由を?
ああ、そうだろうな、子供なんかに分かるわけないだろうさ!おい、そこの異物!異物だって大人だろう?!言ってやれよ、大人の自由を_」
激昂する三月兎の真横を銃弾が音と共にすり抜けた。発砲はやはり、桐山で手に持った銃器からうっすらと白い煙が立ち上っていた。
後ろでチャシャ猫が嘲笑っているが、三月兎には怒りよりも恐怖が勝ったようだった。
「...いいから、教えろ」
口を餌を待つ鯉のようにパクパクと開いて、生唾を呑み込み口を開く。
「......ひ...拾った、順......から、下から嵌めて......〖アリス〗が接触......`【アリス】`になって...か、帰る...できる!...けど、その前に......嘘つき女王様の...質問、答えないと、嵌めさせて...くれない......全部、嘘......答えなんて......ない...肯定、し続けて愛して......そう、それだけ......」
強張った三月兎に笑いを挙げて、チャシャ猫は移動を唆す。
「中々良いやり方じゃないか。今まで、こんな奴はいなかった!大抵が皆、この兎を肯定したのさ!
異物も役に立つもんだ...さ、〖アリス〗。もうやり方は分かるだろう?ほら、行こう。ロン毛の君も行くんだ」
再び、チャシャ猫が先導し、苔の通路を歩いた。
そんな中で子供が二人、問いを投げる。
「...大人は、自由じゃないんですか?」 (結衣)
それに、桐山が応える。
「自由だよ。でも、それは何も知らなかった、無知だったからさ。
若い頃は憧れや夢があったし、何より自分だけの自由が手に入ると思い込んでた。
誰にも怒られたり、何かを言われたりしないし、何もかも自由にできる。
けれど、手を伸ばしても絶対に届かないものや負わなければいけない責任があるって気づいたんだ」
「......後悔してるのか?」 (ミチル)
「いいや...僕は小さい頃にどうして警察になりたかったのかなんて、もう思い出せないけれど...その時の夢や憧れが今の僕を形造ってる。だから、後悔はしてないよ」
「...そういうもの、なんですか?」 (結衣)
「そういうものだよ。でも、あの三月兎は......後悔してるんだろうね。自分が形造る自分を、否定して、ねじ曲げて......ああなってしまったんだと思う。君達はまだ、大丈夫。だから帰ろう」
諭すようなものに二人の子供が頷いた。
先導するふくよかな猫が何も言わずにただ、にやけた顔を隠さなかった。