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ハイドロタイムトリップ
長いです途中グロいですすみません!
学校という簡易的な牢獄から出て久々に頭上を見上げると、空がくぐもった鈍色に変化していた。いかにも雨が降りそうな雰囲気である。少女はポケットからスマホを取り出し、ちらりと確認するとため息をついた。
「帰り中には、降らないといいけど…」
スマホを制服のポケットに仕舞い、気だるげな様子で地面を蹴り上げ歩き始める。その時だった。
ツン、と鼻先を冷たい何かが触れる。
案の定、天から落ちてきた雨粒であった。
少女は踵を返して元いた校舎の下駄箱へと舞い戻る。
「最悪…」
ポツリと呟いたその言葉をかき消すように、やがて一粒の雨は土砂降りに変わっていった。
少女は再びため息をついて、下駄箱の隅のベンチに腰掛けて暇をつぶすことにした。
鞄に入っていた本を取り出す。タイトルは「ブルーパレット・ルミナス」。
パラパラと読んでみたが少女はさっさと本を閉じた。
「つまんな…タイトル詐欺じゃん」
読書感想文用に借りた本だったが、思いのほか彼女には刺さらなかったようだ。
本を鞄に戻し、はよ止まないかなと外に視線を移すと、雨はすでに止んでいた。
「はや!すこーるだったのか…?」
スコールという言葉をつい最近知ったばかりの少女は、そう言った後微かにマスクの下で苦笑いした。
「とりあえず…帰るか。」
そう言って一瞬にして水たまりが広がった鏡の世界に一歩を踏み出したその時だった。
「…えっ!?」
スニーカーが踏みしめたはずの地面は消え去り、少女はどこへともなく落下していた。
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「無限城に落ちたんかと思った…」
気がつくと少女は地べたの上に仰向けに寝転がっていた。
落ちて第一声がそれか、と自分自身でも呆れたが、それよりももっと肝心なことに気がつく。
右手には馴染みの学校があるが、どこか古びた退廃的な雰囲気を漂わせているのだ。
ここらは自然が多い地域だと自負していたが、なぜか緑は見当たらない。
そして空からは目を潰してしまいそうなほどの眩い太陽の光が照りつけている。
「暑い…」
先程まで雨による打水効果で和らいでいた暑さが、これまで感じたこともないくらいに強さを増していた。あまりに暑いのでマスクを外そうとしたところ、指は空を掴んだ。
彼女は右腕を目の上にかぶせて光から保護すると、視界の隅に乾いた青空だけが残った。
「...大丈夫?」
するとその川のせせらぎのような涼しげな声と共に、頭上に大きな影ができた。
「え、あ、へぁ!?」
勢いよく飛び起きた少女はなんとも間の抜けた声をあげ、まるでゴキブリでもみたかのように顔を歪めた。そして話しかけてきた謎の人物の顔を見つめる。
「そんなに驚く?...いや、それもそうか。」
その男は慌てた様子で少し飛び跳ねた後、急に冷静になって頷いた。
少女は男の姿を見つめた。彼の背丈は少女と同じくらいだが、なにぶん顔がいい。明らかに外国の血が流れているとわかるようなスマートな鼻の高さをしているし、色白で目は切れ長だ。
そんなふうに顔の造形をまじまじと観察していると、男は困ったような顔をしながら口を開いた。
「僕は|都木玉 静朗《ときたま しずろう》です。君は?」
その名を聞いた瞬間少女は吹き出しそうになった。この顔でその名前かい!
ときたましずろうと名乗った少年は答えを待つ。
少女は口をへの字に曲げ、
「…|水田《みずた》。」
とだけ呟いた。
「…下の名前は?」
静朗は真っ直ぐに見つめてくる。少女はさらに小さな声でボソリとつぶやいた。
「………すみません、言えません。」
それを聞いた静郎は、水田の気持ちを汲んで優しく微笑んだ。
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「ときたまさん…はハーフか何かなんですか?」
水田は尋ねると静郎は苦笑いしながら
「トッキーでいいよ、水田さんさえ良ければ。それから僕は純日本人だよ。たまにあるんだよねぇ、外国の血が流れていないのにこんな顔になること。それとももしかして、母親が浮気でもしたのかな?」
静郎は反応しづらいボケをかますと、しばらくの気まずい沈黙の後に何事もなかったかのように再び話し始めた。
「ところで、なんであんなところで眠っていたの?」
そう聞かれて水田は少し困った。なんで、と言われても自分自身よくわかっていなかった。
「家に帰ろうとしたら急に落ちて…何もないところだったのに、足を踏み出して水たまりを踏んだ途端、地面がスッと消えて…」
自分でも何を言っているのか意味不明だなと感じつつも、水田は説明する。
「まるで無限城に落ちたみたいでした。」
「そぉ…そうなんだ。」
当然のことながら静郎はきょとんとした顔をする。
しばらくの沈黙。ジリジリと照りつける太陽の熱により昇る陽炎だけが、その場で命を持っているかのように動いていた。
「そうだ、日陰に行こう。」
そう言って静郎は水田を日陰へと導いて行った。
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「あの旧校舎周りにも日陰はあるけどね、もっと快適な場所があるんだ。オアシスって呼んでんだけど、僕のお気に入りの場所さ。」
日陰を目指す道中、静郎は饒舌に喋り始めた。
「人を見るのは久々だよ。よく生きてこられたね、ホントすごい。あ、そのブレザー暑くない?持とうか?」
静郎は水田のブレザーを受け取ってべらべらと喋り続けている。よほど楽しいのか瞳がキラキラと輝いている。
「おしゃべりなんですね。」
水田は人間とここまで長く話すことが今まであまりなかったので、静郎といるうちに話すことに対してだんだんと緊張がなくなってきた。
「そうかな?なかなか人と話す機会がないからなぁ…反動かな?」
そう言った後、彼は少し先にある岩の|洞穴《ほらあな》を指さしてこちらを振り返った。
「ここが僕のオアシス。もともと滝壺だった場所だよ。今は完全に干上がって水は皆無だけどね、他よりは涼しいからおいで。」
そう言ってスタスタと歩いて行った。
水田は尋常じゃない暑さの中、その歩行速度に追いつくので精一杯だった。
「それより水田さんって不思議だよね。」
お気に入りの洞穴に到着すると、静郎はクスリと笑いながらまっすぐ遠くの方を見つめる。
「かなり昔の言葉を使ってくるし、とても暑そうな服を着ているし、一人ぼっちだった僕の元に現れてくれたし…」
そして彼の表情はだんだんと嬉しそうな寂しそうな複雑な色に変わっていく。
「水田さんのことを見つけたとき、すごく、嬉しかったんだ。一人じゃなかったんだって知ってさ。」
彼は今にも泣き出しそうな瞳をしたが、結局泣かなかった。
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「どうしてここら辺には水がないんですか?」
額に浮かぶ汗を腕で拭いながら水田は尋ねる。
静郎は困り顔になってため息をついた。
「地球温暖化さ。まぁ、ここまで行っちゃうと温暖化というか地球オーブン化だね。」
再び反応しずらいボケをかますと、前回の反省を活かして彼は即座に話を切り替えた。
「それの影響で緑は全滅。川や海、湖、沼地、池…とにかく水場はすべて蒸発。動物たちは命を繋ぐ術を失い絶滅。………全部「つ」で終わるね!僕、ラッパーになれるかも?」
快活に笑う静郎は不気味なくらいに陽気だった。
話を聞いているうちに恐ろしくなった水田は、青ざめながら静郎を問いただす。
「え、え…じゃ、なんであなたは生きてるの…?他の人間も生きてる…の?」
それを聞かれた静郎は目を伏せて哀しげな表情を見せた。睫毛がたおやかに揺れている。
「それは…みんなもういなくなったよ。みんな死んだんだ、僕と水田さん以外。」
そして目を伏せたまま話し続ける。
「僕は水がなくても生きられるんだ。進化したのか、特異体質だったのか。」
そして急に顔を上げたかと思ったら、静郎は両手で水田の手をとって顔をぐんと近づけた。
「それより水田さんのことだよ!なんで水田さんは生きてるの?もしかして、まだ水場が残ってた?」
綺麗な顔が眼前に迫ってきて水田はのけぞる。
「ちょ!近いってば!」
気を取り直して水田自身の身の上話をする。
「私は…さっき言った通り、本当に落ちてきたんです。」
「ほんと、なの…?」
静郎は訝しむように水田を見つめている。まだ疑っているようだ。
「…あの時は学校から家に帰ろうとしていた時で…スコールが止んだのを見計らって昇降口から外に出て水たまりに着地したら…ここにいたんです。…本当です。」
それ以外に説明する方法がないので、とりあえずありのまま説明した。
静郎は探偵のように顎に手を当てて考え込む。
「もっと詳しく話してくれるかい?」
それに応えて脳を回転させる水田。
「あの時…本を読みました。確か…『ブルーパレット・ルミナス 』という本で…作者は浅葱渓…内容がすごくつまんなくて、そしてこう言ったの「タイトル詐欺」…………って、そこはいらないか。」
静郎は勢いよく立ち上がって何か閃いたように瞳を輝かせた。
「タイトル詐欺!そこが重要と見た!」
「んなわけあるか、バカ。」
ついよくない言葉を、しかも初対面の人に使ってしまったが、放ってしまった言葉はもう戻らないので弁解することはやめることにした。
「おふざけはさておき………僕は、水田さんのことが少しわかる気がする。」
そう言った静郎は真面目な顔をして声のトーンを落とした。
「水田さんは過去から来たんだ、きっと。」
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「さて、おそらく謎は解けた。一つだけだけどね。」
静郎は屈託のない笑顔でガッツポーズをする。最初に会った時の落ち着き払ったイメージは完全に逆転した。
「無限城、なんて一世紀近く昔のアニメの言葉だもん、今時使う人いないよ。それにそのブレザー。僕らの時代で着てる人いないよ、暑いもん。それからタイトル詐欺って言葉、この時代でそういうふうに使う人はほとんどいない。この時代では『題名よりも内容が面白い』時に使うんだ。全くの逆なんだよ。」
「意味わかんないけど。」
「え、なんで?」
キッパリと言われて困惑している静郎を見て、水田はふっと吹き出した。それに釣られて静郎も笑い出す。洞穴の中は笑いで満ちた。
「それはさておき、どうしてタイムトリップしてきたか、だね。」
そうして二つ目の謎を解き明かすことにした。
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「まず水田さんは雨の日に水たまりに着地したところ、気がついたらここにいたわけだね。と言うことは少なくとも水が必要と見える。」
そこまで行ったところで、静郎は悩ましげに首を傾げた。
「しかし、それを試そうにもこの時代には水がないんだよ。」
「本当に...どこにもないの?」
静郎は軽く頷く。
「僕の知る限りは。」
水田は視界がぐらつく感覚を覚えた。静郎は水がなくても大丈夫だが、水田は長い間この世界にいると死んでしまうと言うことだ。死が今すぐそこに忍び寄ってきている。あまりに恐ろしくて息が上がってきた。
「大丈夫?」
静郎は落ち着いた様子で水田の背中をさする。おかげで動悸は治まったが、不安がなくなることは一向になかった。静郎は気が進まぬ様子であったが、ひとつ提案をする。
「今僕たちがいるこの洞穴の奥にはちょっとした鍾乳洞があるから、もしかしたらその先に、運が良ければ、水場が残っているかもしれないけど...行ってみる?」
水田は顔をあげた。そして力強く頷いた。その可能性に賭けるしかない。
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鍾乳洞の先へ進んでいくと、当たり前だが物音ひとつしなかった。水田の暮らしている時代であれば、おそらく鍾乳石を伝って落ちる雫の音や蝙蝠の羽ばたき、洞窟内を流れる川のせせらぎなど、きっと色々な音が満ち溢れていただろう。水がなくなるだけで音も減っていくのだと、身体が感じている暑さとは裏腹に寒々しい気持ちになった。
しばらく歩いていると、鍾乳洞の先は行き止まりになっていた。水の一滴も見当たらない。
「やっぱり...水はなかったんですね。」
水田は絶望して膝から崩れ落ちる。静郎はそれに見向きもせず、さらに鍾乳洞の奥に向かって歩いていく。そして水田から離れると、再び振り返った。
「あるよ、水。」
その言葉と同時に、カチャリと乾いた音が鍾乳洞内に響き渡る。それはまるで銃のような_
水田が顔をあげると、静郎は片手で銃を抜いて弾が込められているかを確認していた。水田は恐怖に青ざめた。
「な...何をしようとしているんですか...!」
命の危機を感じて後ずさる。しかし静郎は冷静な様子で微笑んでこういった。
「君のことを撃とうとしているわけではないから、安心して。」
そして自分の脇腹に銃口を突きつけた。
「少し五月蝿いと思うけど...我慢してね。」
そして一発、引き金を引いた。鍾乳洞の中に銃声が響き渡る。
「えっ...!?何してんの!?」
弾丸が突き抜けた彼の脇腹からは、緋色の鮮血がじわじわと溢れて、みるみるうちに着衣にシミを広げていった。
「ひゃっ...やめて...」
水田は腰が抜けたまま、泣きそうな声で悲鳴をあげる。静郎はもう一発、もう二発と何度も己の脇腹に銃弾を打ち込んでいく。やがて小さな滝のように液体は細く流れ落ちてくるようになった。
「ねぇっ!!本当にやめて!!やめてやめてやめてぇっ...!!!」
合計五発ほど撃ったところで、静郎は額に汗を浮かべながらどさりと崩れ落ちた。
「これで...大丈夫。」
倒れた静郎の体の下に、みるみる緋色の池が広がっていく。水田は立ち上がってその池のほとりまで駆け寄った。
「静郎さん...まさか...」
池に足をつけようとする水田を、静郎は片手を上げて制止する。
「待って...まだその池を、踏まないで...最期に...水田さん、の名前...聞かせてよ。」
静郎は落ち着き払った目をして、最初に出会った頃と同じ川のせせらぎのような落ち着く声でそう問いかける。水田は泣きそうな顔でかぶりを振る。水田は唇を噛んで涙を堪える。それで精一杯だった。
「えぇ...ここまでやったのに...教えて、くれないの... ?」
静郎はこの状況下でも冗談めかしたように笑ってそう言った。緋色の池は彼が笑うたびに揺れて波紋を広げていった。
「…………私は…マリ、水田…………マリ。」
マリは涙で霞む視界の中、池に触れないようにしてしゃがみ込み、必死に静郎に向かって手を伸ばした。
「ありがとう...教えて、くれて…マリって名前...好きだよ。」
静郎はマリの手を取ると、顔を歪ませた。彼の腹はすでに感覚を失くしつつあった。
「でも、なんでこんなこと...戻れる確証もないのに...」
「ははは...もしや...突っ走っちゃった、かな...」
静郎は困ったような顔をして笑う。その度に腹が軋んだ。
「僕らは...二人、で幸せになれ...ない、仕方ない...マリが、この時代に...と...どちらかが必ず、悲しく、なる。」
そう言って、彼は必死に笑顔を作った。
「僕は、ここまで。...マリ...元気に...ね_」
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後に残ったのは乾いた鍾乳洞の中に反響する水の音と、緋色の水たまりと、そして彼の温もりが残る抜け殻のみだった。
マリはその場に力無く崩れ落ちる。そして彼の抜け殻から、その虚ろな目から、視線をそらす。彼女は両手で目を覆い、視界にはじわじわとこちらに打ち寄せてくる赤い液体と暗闇だけが残った。
「静郎くん…」
再び顔を上げると、そこには白に赤いベールを纏わせた、まるで塗りかけの薔薇のような美しい顔があった。液体に触れれば、もう二度とこの顔を見ることもない。マリは伸ばした指を引っ込めた。
「向こうに戻っても、生きる気力なんて…」
次第に緋色は黒く変色していく。太陽は沈み、鍾乳洞の中は闇で満ちた。
マリは頭がくらくらとしてきて、その場で倒れてしまった。
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目が覚めた頃には、青く生い茂る木々が頭上を覆い、さわさわと心地よい風に揺れていた。
安らかな木漏れ日が伸ばしていた手の甲に降り注いでいる。
「夢…」
そう思いながら手の平を見ると、指先から肩にかけて赤黒い液体がベッタリと付いていた。
彼の生きた証、彼の血溜まりに触れた証拠だった。
マリはその赤黒く染まった腕を引き寄せた。そして胸の前で抱きしめた。
閉じた瞼の裏からとめどなく涙が溢れてくる。
「ごめん…私のせい…ごめんなさいっ………」
後悔と懺悔の念が胸の内を支配する。その時、少女の脳裏に彼の言葉が蘇った。
「…マリって名前、好きだよ。_...マリ...元気にね。」
そう言った彼の顔は苦しそうにも見えたが、どこかしら満ち足りているかのようにも感じられた。その笑顔はマリの心に深く刻み込まれている。
「…一人は…寂しい…」
彼の発した「元気に」という言葉が心臓を強く締め付ける。彼の笑顔のように優しい太陽の光が、木々の間から雨のように降り注ぐ。
「あの未来を…静郎くんがひとりきりになる未来を…変えたい」
そう呟いて、空から流れ落ちてくる細い滝のような光を両手で受け止めた。