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祈り、あるいは決めつけ
2026/05/24 祈り、あるいは決めつけ
「私死なないよ、死にたくないもん。」
そう言っていた早乙女みつこが事故に遭って死んだ。
早乙女みつこはクラスメイトにいじめられていた。私が転校してきた中学3年生の春にはそうだった。彼女がなぜいじめられているのかなんて知らないけれど、ただ彼女は凛としていて時折気が強いので、そういうところがあのクラスメイトの気に障ったのだろうかなどと推測した。
彼女はいじめられていても毎日学校に来たし、芯のある話し方とよく通る声は到底消えそうではないのに、私はなぜか、彼女を見るたびに言いようのない不安を覚えた。音楽室の掃除当番に私と彼女が当たっていた5月の下旬、私がねえ、死なないでね、と言うと、彼女は驚いたようにぱちぱちと何度か瞬きをした。当たり前の反応だった。特段親しくもないようなクラスメイトに唐突に話しかけられたかと思えば、事務的なことからは遠く離れた、よくわからない願いみたいなもので、彼女は心底困惑しただろう。いじめられている自分への哀れみだと捉えられたかもしれない。数秒の沈黙の後、彼女は口元に小さな笑みを浮かべてほうきの柄を持ちながら顔を上げた。
「うん、私死なないよ、死にたくないもん。」
私の心には一瞬生ぬるい空気が広がったが、すぐに、やはり拭えなかった不安に覆われた。それ以上の追求は無論できなくて私は「そっか。」と掃除に戻るしかなかった。
早乙女みつこが事故に遭い亡くなった、葬式はもう終わっていて……などということを秋の大型連休明けに担任から聞いた時、クラスはふっと静まり返ったが、すぐに音を取り戻した。高校受験の意識がピークを迎えしばらくピリピリとしていた教室の空気は、その時だけは変わっていた。とはいえそこにあったのは悲しみや悼むような何かではなく、単純な驚きや、あるいは好奇もあったはずだ。「えー。」とか「まじか、」などという声がいくつか宙を漂っていた。私は咄嗟に彼女をいじめていたクラスメイトに視線をやったが、クラスメイトは頬杖をついて自分の消しゴムを触っていた。
担任は憶測などをSNSに書き込まないように、と言った注意喚起をして、その日は午前中だけで解散になった。
本当に意図的ではない事故だったの、という疑いがあった。でも、本当に意図的ではない事故だったんだろう、という理解もあった。前者も後者もある種の願い、祈り、だった。「私死なないよ、死にたくないもん。」あの日の彼女の言葉は静かな音楽室にあまり響かなくて私はだから嫌な気持ちが消えなかったんだろうなと考えた。どうにも薄っぺらかった彼女のそれは、しかし記憶に焼きついていて、私は家の自室のベッドに寝転んで天井を見上げた。
彼女をいじめていたクラスメイトは、彼女の訃報を聞いてまず何が頭をよぎったんだろう。多分何もよぎらなかったんだろうな…などと私は思う。そして、それでいいの、と言いたくなる。クラスメイトにも早乙女にも、言いたくなる。
早乙女みつこ。よかったの、それで。事故なんかで死んでよかったの。クラスメイトがすぐに忘れてしまうような死に方で。たとえ彼女の死因が自死だったとしてもクラスメイトは結局は忘れるだろうけれど、そっちのほうがまだ長いあいだ記憶に残っているはずだ。
何の跡も残せなかった早乙女みつこ。私は彼女に、本当は辛かったんでしょう、と押し付けたいし、そうやって決めつけたい。これも祈り。