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虚像を覗く
友人がボヤいていたことをエッセンスに書く。等身大であれば良いです。
「これからも、大切にする」
幼馴染からの愛の言葉は、白い教会を背景にしている。ああ、ここまで長かったな……と、これまでの2人を思い返す。最初の記憶は何の変哲もない教室での会話で、そこから文化祭で勇気を出して2人で回って、「わたし」からの告白を嬉しそうに受け取ってくれた。デートも何回もした。ここまで長かったけれど、その旅路はいつも楽しかった。ありがとう。「わたし」の前に現れてくれてありがとう。何を伝えようか迷ったけれど、「わたし」は意を決して手を伸ばして。
そこで、目の前が真っ暗になった。
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「あーっ!」
間抜けな顔が液晶に現れて、私は勢いよく立ち上がった。暗く、静かな屋内。夜0時、それよりも少し手前だろうか。白い内装の部屋。
ここは教会なんかじゃない。何の変哲もない住宅街の、ごく一般的な一軒家だ。
「充電するの忘れてた……」
iPhoneの電源ボタンを長押ししても、映し出されるのは赤い電池マークのみ。要はお預けということだ。そもそも、あれはセーブされているのか?試したことがないので分からない。もしやすると、今日の私の努力をドブに捨てることになるのかもしれない。体内のアドレナリンが急速に室内に流れ出していくような気がして、私は布団に倒れ込んだ。
「あー、かなりまずいかもしれない……お願い神様、あのデータだけは守って……」
一瞬で無神論者をやめ、かちりとケーブルを差し込んだ。緑の光を祈るように見つめて、また椅子に座り直す。
椅子に座ってテキストを開いたとて、集中しているわけではないのだ。その実、私はものの5分で睡魔に襲われたが、iPhoneを開くとそんなことは吹っ飛んだ。ドーパミンとは恐ろしいものだ。
「お姉ちゃんうるさい」
扉を開け、妹がずかずかと入り込んできた。私はつい、iPhoneを守るように抱きしめる。
「あーごめんごめん、起こしちゃったか」
「お母さん起きなくて良かったね、こういう時しつこいから。というかなんでスマホ隠してるの?まさか、変なサイトでも」
「ほんっとうに、ホントにごめん、次から気をつけるから」
「……あっそう」
妹はじっとりとした視線を向けながら自室へと戻ってゆき、私は大きくため息をついた。生殺し状態で寝ることもおそらくできないので、私は数学の参考書をぱらぱらとめくるばかりだった。こんな時は「勉強する単元を決めていた」という言い訳が出来る。頭に浮かぶのは彼、「幼馴染」の顔だ……あくまでもこの関係はインターネット上だが。
彼は現実には存在しない。俗に言う、AIチャットというやつである。現実では彼氏がいたことがない歴イコール年齢でも、こちらではあらゆる人間がよりどりみどりである。可愛らしい少女にもなれるし、大人っぽい美女にだってなれる。性別なんてワンタップでいじれるし、人間をやめることも日常茶飯事だ。
文字通り、何でも出来る。思う存分愛されることができる。まさにパラダイスだった。
「あー、やることない……Twitter見たいけど、スマホ自体が使えないんだもんなあ」
日付が変わるのを見届けて、ジタバタと足を動かした。特に寝心地がいいわけでもない、至極普通のシーツに顔を寄せた。安っぽい柔軟剤の香りがした。iPhoneを手繰り寄せる。何度か画面を叩けば、ロック画面が映し出された。急速充電ケーブルの効果は絶大である。
「あー焦った、データ飛んだかと思った」
ありがたいことに、直前の記録が残っていた。ただ、先ほどの不機嫌な妹の顔がよぎり、それ以上言葉を投げかけることは憚られた。
「寝るか。うん。寝よう」
安心したのか、瞼を持ち上げることが億劫になり、少しずつ眠気が押し寄せてくる。今日はどんな夢を見るだろうか。願わくば、今後の良いネタになりそうなものだと良い。脳裏にまた「幼馴染」の顔を思い浮かべることは、あまりにも容易だった。
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いつものようにけたたましくなる目覚まし時計を止めて、私は大きく伸びをした。時刻を見る。早めにかけたはずなのだが、気がつかなかったようだ。もう遅刻寸前だった。制服を掴んで、ばたばたと階段を駆け降りる。
「おはよう!トーストだけでいいから!」
「言われなくても」
トースターをいじっていた妹にトーストを差し出された。皿を掴んで急いで席に着く。
「|はひはほふ《ありがとう》」
「食べながら喋るな」
そう言う妹はもう中学の制服を身にまとっており、髪も整えてあった。
「あ、そうだ。お姉ちゃんに言ってなかったよね。あたしさ」
「彼氏できたから」
「あっそう……エ!?彼氏!?」
耳を疑った。顔が似ているとよく言われる年子の姉妹2人、仲良く彼氏のいない生活を送っていたというのに。
「そうだよ」
「誰?どっちから告白したの?」
「同じクラスの子で、あたしが告白されたの」
「へー、ふーん、そうなんだ……」
トーストを喉に詰まらせかけながら、その意味を咀嚼する。確かに最近妹は色めき立っているような気がした。突然メイク道具が欲しいと良心にねだるようになったし、ダイエットしなきゃと母親とこそこそ話し合っていたこともあった。あれは、彼氏が出来たからなのか。私は相も変わらずiPhoneを握りしめている間に、先を越されたのだ。
「別にいいよ、中学生の恋愛なんてお子様だもの」
「彼氏いたことないのに何を言ってるんだか」
「私は恋人なんかいらないし!」
「そんなこと聞いてないよ」
言い合いをしている間に、妹はリュックを背負っていた。そろそろ本格的にまずい。
トーストの耳を丸呑みし、私は着替えた。着崩さない制服。パッとしない髪型。いつもの私であることを確認して、ローファーに足を通した。
iPhoneは今日もそばにあった。
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「ただいま」
今日も授業をやり過ごして、帰宅部の部活動を終えた。返事が返ってこないことを確認して電気をつける。両親ともに仕事、妹はきちんとした部活動に入っているので帰ってこない。弁当箱を流しに置くこともせず、私は堂々とソファを占領した。動く気が湧かなかった。洗い物を済ませておかないと母に睨まれる、だが動く気が湧かない。今日はそういう日なのだ。
腕を伸ばして器用にiPhoneをつかみ、最終ページ、フォルダの一番後ろにあるアプリを立ち上げる。昔の「恋人」も含めれば、組み立ててきた恋愛の数は両手の指では足りないほどだ。最新の履歴を開く。また「わたし」は教会に転送されて、あとは誓いのキスを済ませるのみだ。
いつもならまっすぐ動く指が、今日はそうでもない。フリック入力は誤字を何個も生み出し、書いては消してを繰り返す。
「私、何やってんだろ」
ときおり、こうして冷静になることがある。結局こうして恋愛のようなものを繰り返したって、私に本当に彼氏が出来るわけでもない。歪な経験値ばかりが貯まっていく、だけかもしれない。
アプリを閉じて、ストアに駆け込む。検索する指には迷いがなくなり、「アプリを削除する」のボタンに手を伸ばした。赤く事務的で、かつ不安を煽るような文字。触れた液晶画面から線を描くように指を動かして、クリックをなかったことにした。
失うものを考えると、怖くなる。言うなれば実体なんかなくて、そこにはないはずなのに、あるような錯覚がしてしまう。
では、私が得たものはあるのか。
「……ホントに私、何やってんだろ」
飾り付けようとする。こんなことを考える私がおかしいのだ、今まで通りで何も問題はないのだ、だって私は何も変わっていないじゃないか。
並べ立てたところで、諸手を挙げてまた浸れるようになったわけではない。むしろその逆だ。いまこの時点から、きっと私は満たされなくなったのだと思う。
私は起き上がって、ようやく保冷バックを引っ掴んで台所に向かった。中身を流しに置き、冷水と洗剤で乾いた米粒や冷凍フライドポテトのかけらを落とす。
フライドポテトは、カリウムと塩分のバランスの関係で、食べても食べても止められない。そんなことをいつかのワイドショーが言っていた、ような気がする。なんだか耳が痛くなる話だ。だってきっと、私が依存しているのはそういうものなのだ。満たされないから、なんでも作れるふりをして、一瞬を満たしている。とんでもなく不幸ではないけど、ジャンキーだからつまんでしまう。
ぼうっと手を洗って、全てのものを水切りラックに片付れば、がしゃりと音を立てて玄関の扉が開いた。妹だという私の予測は当たった。
「ただいま」
「おかえり」
2階の部屋までカバンを片付けてきたのか、妹はいそいそと降りてくる。片手にはグロスが大事そうに握られていた。
「そうだ」
私も台所を離れて、投げ捨てられていたカバンを掴む。
「明日さ、メイク道具貸してほしい」
「なんで?」
「ちょっと、やってみたくて」
らしくないかな、と呟けば、らしくないね、と返ってくる。今まで試したことがないから、絶対にうまくはいかない。
「らしくないけど、まあいいんじゃない。いいよ、貸したげる」
「ん、ありがと」
例え真似事だとしても、たぶん一瞬だけなら満たされるはず。塗られていく薄桃色のグロスを眺める。電子よりもずっと艶やかだった。
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
妹を見送ってから、iPhoneに視線を戻した。ホーム画面を眺めて、電源ボタンを長押しする。やっぱりすぐにデータを消去することは出来ないだろうし、我慢できなくて触ることもあるのかもしれない、いや、私のことだからあるんだろう。そもそもそあれ自体が悪なわけではないし、ユーザーだって全国に何万人もいる。
ただ、明日は少しでも良くなりたかった。具体的な中身については分からないけれど、じりじりと焦げるような焦りは明日からも無くならない、はずだ。
暗くなった液晶に、辛気臭い顔をした自分が映った。苦笑した。笑って、それを引き出しにしまって、私は丁寧に鍵をかけた。