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〖青鞜の皓月〗
※本作品にはセンシティブ・ネガティブ要素が多く含まれます。
閲覧の際は自己責任でお願いいたします。
尚、本作品の作者は気分を害された・過去のトラウマを掘り起こされた場合の責任は一切とりません。
一方的に諭すように、しかし押しつけるように亭主関白さを感じられる文面が耳へ抜けていった。
目の前の男性はお兄様のような物腰の柔らかな紳士さはなく、しみの目立つ肌に脂ぎった手で私の手を包みながら、唾の飛ぶ口先で物を語り続ける。
「そろそろ、考えてほしい。いずれ沈む故郷など、どうだっていいだろう?それに沈んだところで、君はこんな場所にはいない。
君のお兄さんだって、きっとここにはいないし…それに、ご両親だってここにはいやしない」
包む手が少し痛むと同時に、男性の瞳が諭すような猫を被ったものから勝利を確信した汚い勝者の瞳で嘲笑う。
「女は群れなければ行動できない。いつだってそうだ、一人のリーダーがまとまって誘わなければ皆が出方を疑って殻から出ようとしない。
そのくせ、群れでできた面で自分を大きく見せては息を殺してこちらを嘲笑う。心の底で見下されているのはお前だということに気づかない。まさに滑稽だ、逆に男はどうだ?一匹狼という言葉がある通り、自由に行動し、自由に生きて、自由に死ぬだろうさ」
更に嫌味ったらしい言葉を吐き捨てる。
「女々しい男は男なんかじゃない、男の皮を被っただけの女だ。君のお兄さんはそうなんじゃないのか?…君のお兄さんがああだから、君もそんな風になるんだ」
言葉が壇上へ到着し、ひどく見下ろして自分が風前の灯のように感じられる。その灯を大きくしようと反論の述べようにも上手く口が動くことはなかった。首筋を伝う冷や汗だけが時間を教えて瞳が合い続ける。
それを纏まらない頭で言葉を述べようとした瞬間に、廊下の襖が開かれて私と似たような容姿の男性が、厳しい視線を向けて口を動かした。
それは目の前の男性よりも腰は低いものの、どこか棘があるように感じられた。
「…拝聴しておりますと、中々に斬新なお口説きの言葉とお見受けいたしました。他の方では中々、お聞きしないようなお話でしたから、貴重な経験をさせていただきましたよ」
その後ろを爽やかな青空を思わせる瞳に黒髪の男性が嫌そうな表情を浮かべていた。
かえって、横の視線こそは厳しいがにこやかな笑みを浮かべたお兄様が変に恐ろしく思える。
正面の男性、大海さんはそちらもいやな笑顔を崩さずに「有り難うございます」とだけ言って会釈をして離れようとしていた。
今すぐに約束されたものが破棄されないと分かっているからだろう。そもそも私達、兄妹で破ることはできない。親が勝手に進めたものであっても、決定権は私達にない。
あの男が本当に欲しいものは確実に手に入る日村の財力ではなく、その権力と人気だ。現当主の日村修は別の事業や株式の影響から、いずれ村を離れることは目に見えている。ダム建設の事業を進めたい大海にとってはそれはとても良いことだが、全ての村民や名家が日村修がいなくなっても大海の事業に懐疑的なことには変わりない。
そうであるからにして、手っ取り早く事業を進めるには簡単に信用を得ることが必要だ。その中で最も村民などから信頼や信用の厚いところを取り入ってしまえばいい。
つまりは、己の事業を円滑に進める為に日村家の当主という確固たる地位に立とうとしていることに過ぎない。
そのことから事業が終われば彼から解放されるかもしれない。もしくは全てを食い尽くされるかもしれない。どちらにせよ、実質的に権力を握る両親次第であって私達にない。
昔から、そう生きるしかなかった。まるで兄の下の妹などどうでもいいようなものだった。何をしても年齢と性別が複雑に絡んで足を引っ張る。
それでも、どこかで自由に生きたいと思う意と、兄の背中を追い続ける意が反発的であっても同等に存在して決めきれない。
しかし、決めなくてもいいのかもしれない。
出ていった男性を見送って、お兄様が私の頭を撫でた。隣で十綾がようやく嫌そうな顔を引っ込めて笑っていた。それがひどく懐かしかった。
きっと、貴方はそれに私がどれだけ救われたのかなんて知る由もないのだろう。
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吐かれた煙草の息が、煙たくて鬱陶しい。
吐きダコの出来た手を抑えつけられながら激しく身体を揺さぶられる感覚がする。
下から怒張したものが突き上げられる度に、全身を突き抜ける官能的な感覚と大きな脱力感が襲う。
それが、怖くて怖くてしかたがなかった。いつものような行為に怖気づいて腰を引けば、苛立ったのか腰を強く掴まれて、猛獣が追いついてくる。
それでも拒絶は述べなかった。拒絶を表すれば、もっと酷くなるのが分かっているから吐き気のする唇から媚びるような甘い声を出し続けた。
鼻腔の奥に残った煙草の匂いを掻き消すように汗の匂いが意識を塗りつぶしていった。
ひどく腐ったような匂いが鼻から口へ抜けていく。
それが胃の奥から迫り上がるもの熱いものを駆り立て、喉から口へ胃液だけが吐かれた。口の中に後味の悪い酸っぱさが広がり、視界が陽炎のように揺れ動く。
公衆男子トイレの洋式トイレの前に蹲って、胃液が水に溶けて濁り、流すまでそのまま混じり続けるのを見つめていた。
不意に、後ろから足音がして、自分の背中の前で止まる。聞き覚えのある人を演じた怪物の声。
「…秋人?」
楓とは違う、嫌な優しさの音。
お前が本来見ているものは、俺じゃないはずだ。
救いを求める狼煙をあげたって、手を伸ばしたって、届くはずがない。
「ねぇ」
彼がそのまま言葉を紡ぎ、恩を着せる。
「助けてあげよっか?」
ああ、その瞳。その嗤っている何でもない瞳。本当に、憎たらしい。
「…お前って、本当に…そういうところあるよな……」
彼の固く結ばれた唇が開き、化けの皮が剥がれる。
「……やっぱ、やめた」
それを聞いた時、つい頬が緩んだような気がした。
それと同時に震えは更に激しさを増すばかりだった。
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可愛らしいぬいぐるみやコスメを見る青くグラデーションのある金髪に青の瞳をした若い女性。これが誰かは頭の中で理解しているし、会ってはならないと分かっている。それでも、彼を見ていて渦巻き続ける毒気が抜けることを知らない。
荒波の中に呑まれた船が抜錨をすることもせず、ただ、彼のように生まれた容姿を逆手に取って真似事をして、邪魔をする。そういうことしかできない。もう彼の瞳に自分が映ることはないのだと、あの青年を見て思うのだ。
「…ねぇ、これ、見て!」
「ああ、いいよ」
お気楽なことに僕を彼と思って接しているのは、なんとも嘆かわしい。見たままのものを真似て時折、応答をするだけでいいのだから。
「湊、これ月に似合う?」
無垢な少女のような微笑みを見せて聞く女性につい溢れそうになる本音を押し殺し、受け取り方が良いように会話を続けた。
「……似合うと思うよ」
嘘も方便だ。適当に事を言えば円滑に物語は進む。今すぐにでも壊したい衝動を抑え続ける。
今も尚、尻尾を振る女性の姿を小憎たらしい薔薇と重ね、それを手折りたくなる。
まるで絵の具のような色味を持った物を持つ彼女に顔を近づけて、「あのさ」と不本意に切り出した。
不思議そうにしながらも、頬を赤く染めた顔にやや笑いを引いた。
そうして、一言だけ見せつけるように呟いた。
「僕、君のこと嫌いなんだよね」
月の今にも泣き出しそうに歪んでいく顔が、この先を祝福でもされているようだった。
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本当に、馬鹿馬鹿しいと思った。その色気もクソもない嘘に塗れた頭ン中を潰したくなる程には、尾を引く黒狐が憎らしかった。
結われていない|次縹色《渋い青色》の間に薄紫と白色が入った長髪に黄色い瞳の右がぽっかりと穴の空いた真っ黒な空洞の包帯で隠されてもいない異様な風貌。
伝統を上手い具合にいいようにあしらった巫女らしい服の下、頬から身体全体まで行き渡っているであろう細微まで再現された龍鱗の刺青が見えている。
|犬鳴《いぬなき》|夜瞑《やめい》、都合の良い犬とでも言うものか、壁を守る番犬とでも言うものか……だが、紛い物に過ぎない。それを知ってか知らずかよく肥えた花が植えられた頭ではうまく咀嚼することはできないようだった。
皮肉なことに、濁りきった泥水を啜ることはできても、清潔で綺麗な流水を啜ることはできないのだ。
「どうして、私では駄目なんです?」
言葉の端々に嘘が見え透けている、などと本音を言ってしまえと悪魔が囁いている。
その言葉を彼女に投げたことがある。どちらも、伝統のしきたりであるからと答えを返すほかない。それが、ひどく憎らしい。
そもそも、目の前の痴れ者にそんなことを言えるはずもないのだが。
「決まりですので」
夜瞑の渇望し続ける眼差しが、ひどく自分のことのようで鏡でも移されているようだった。全くもって、瓜二つだった。
何分、天命というものは理不尽で小憎たらしい。茶髪を白銀に染めながら、一極端だと分かっていてもよく思うことだ。紐の先は始まりと終わりが全く同じであるのに僕らは血が違っても結合が許されないらしい。
青空のように澄んだ瞳がその度に羨ましくなって、代わってくれやしないかと願う。無駄に綺麗に着飾った顔の裏で、どろどろと溶けつつある泥舟の残骸を顔に塗りたくって皮でも剥いて成り代わってしまいたい。
そうであるから、何事にも宙を描きながら無茶なことをする。
願わくば、彼が一人で兜率の天にでも昇れることを陰ながら自由を秘めつつ思うのだ。
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何気なく訪れた公衆電話越しに、いやに綺麗な女性に話しかけている天気が見えていた。偶然の邂逅に過ぎず、黙って無視して受話器を手にする。
財布から十円玉を入れて起動した公衆電話のボタンを押して電話番号を打ち込むと電話のコール音が耳へ響いた。
十円玉を更につぎ込む用意をしつつ、喉奥の生唾を呑み込んだ。
「…もしもし?どちらさまですか?」
応えた。聞き覚えのある、記者の声だ。応えた声にゆっくりと紡ぐように言葉を流す。僕は被害者だ、僕は何事にも蔑ろにされるような阿呆鳥なんかじゃない。
「あの、私…」
「ああ…日村さんの」
「はい、優月です」
受話器の向こうで「変な奴だな」と声がする。嗚呼、この男も他と一緒なのか。
「それで、何のお話ですか?」
「…神宮寺の…」
「へぇ」
何かを啜る音がした。随分と呑気に茶でも嗜んでいるらしい。
「…それで?」
「私、元々…」
「ああ、神宮寺家の方でしたね。正確には、雇われる前に落とされたんでしたよね?」
「……はい」
「お話は以上ですか?」
「……………」
黙っていることを良いことに「失礼します」と勝手に電話が切れる。始めから話を聞く必要はなかった、ということなのだろうか。それに追い出された話も誰かが喋ったのだろうか。結局のところ、味方はできそうになかった。
ツー、ツーと音の鳴る受話器を荒々しく置いて、鬱陶しい程の青空を見た。
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「お電話、終わりました?」
「ええ…まぁ……」
申し訳なさそうに頭を掻く上原が正面に座って、私の手帳を見ている。
紙を捲り、時たま擦れる音が続いた後、私が描いた絵に薄ら笑いを浮かべながら礼を述べた。
個室の窓からは真っ赤な夕焼けが差して、テーブルに置かれた黄金色のビールを橙色に染めていく。
遠くからは|烏《からす》の鳴き声が聞こえ、アルコールの匂いが漂っていた。
「可愛らしい絵を書くんですね」
彼がニヤけ面を隠そうともせずに、そう呟いた。
「…どうも……」
「……中居さん、取材の方はどうですか?」
「それなりには進んでいます」
その返答に上原は少し考えた後、楽しげな笑みを再度、浮かべて口を開いた。
「それじゃ、情報整理といきましょう。俺も、そろそろしたかったので」
「……会社は別ですよね?」
「やだなぁ、記者が情報共有することは普通じゃないですか?事実確認ですよ、事実確認」
「でも、特ダネだったら…」
「こんな辺鄙な村に大した特ダネはないですよ、ただ変な事件ばっかりなだけじゃないですか」
「…………」
「中居さん」
そうやって、人を追い詰めるやり方。人から情報を聞き出して、良いようにやるやり方。この人は確かに記者の一人だ。
しかたなく、首を縦に振って彼が口を開くのを待った。
「では、俺から。俺は単に事件の取材というよりは別件を主にした取材で、神宮寺家の伝統を重点的に調べさせてもらっています」
「伝統?」
「ええ、国からの話です。事件は軽いまとめですね。伝統に関してはこちらを見てもらうといいかと」
彼がいやに古びた冊子を差し出し、そのタイトルに指を沿わせる。
『日本宗教学全書 普及版 -異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究-』…こんな本は見たことがないが、何かしらの文献なのだろうか。ぱらぱらと紙を捲り、その中の文言に目を通す。
その中にまるで黒塗りのように線の惹かれた文面があり、不可思議な内容ばかりが綴られていた。
「どう思います?」
「どう思うとおっしゃられても……フィクションというか……」
「でしょう?だから、真実を聞きに来たんです。この酒内村は現在、大海誠也氏によりダム建設の話が進んでいますから、そのような歴史的価値がありそうなものの事実性を追求するがために…と。まぁ、簡単に言えば事実確認です」
「できたんですか?」
「それがまったく…口が堅くて、堅くて。どうやってこの冊子の作者が聞き出せたのか奇妙でしかたがないんですよ」
「……教えても良かった人物だったとか?」
「そりゃ、どんな理由で?原文の鹿狩亨氏は確かに1923年の秋に行方不明ですが…一応、ジャーナリストなんですよ」
「周りに広めてもらいたかったとか…」
「いくらなんでも、それは不確実でしょう」
「……と、ところで、上原さんが何か分かったことはあるんですか?」
「…当主または巫女にあたる神宮寺朔と宮司にあたる神宮寺大和に血が繋がりがないこと、神宮寺大和の出身は東京にある|出雲《いずも》|藺六田《いむた》氏が営む出雲孤児院から神宮寺へ来たようですね。神宮寺朔については何も情報がないので、おそらく酒内村出身であると考えればいいかと」
「出雲孤児院って、どんなところなんですか?」
「特には何も無い普通の孤児院でした。ただ、乳児から高校生まで入れるようですね」
そこまで言って、メモを再度みて「神宮寺はさておき、日村から話しますね」と付け加え、再度彼は口を開いた。
「日村家の現在の当主とその妹は英国人である日村リアム、日本人の令嬢であった日村|梓《あずさ》の子にあたり、株主の日村修、大学生の日村遥の二人の兄妹のみが家におり、両親はそれぞれ単身赴任すなわち、別居にあります。家庭環境も良好のようではありますが、兄の日村修は高校から飛び級して海外へ留学など、かなり聡明であったと伺えます」
「妹さんの方はどうなんです?」
「特には出てきませんでしたね。おそらく、太陽の影に月が隠れてしまったのかと」
確かにあまり目立たないおしとやかな女性ではあるが、華々しいものと比較するには少々火力は不足している。
私は彼に促しつつ、落書きだらけのメモの中に情報を追加するようにペンを走らせていった。
「八代家については現在、当主であり臨床心理士の八代亨とその弟にあたるイラストレーターの八代十綾の両親は既に他界しているようです。八代|幸子《ゆきこ》は若くして病死し、八代|陽向《ひなた》が後を追うように自殺、残された兄弟は親戚をたらい回しにされながらも支援などで生きてたようですが、親がいた当時の家庭環境はさほど良いものではなく、時折、父にあたる陽向氏の怒鳴り声がしたそうです」
「要は虐待ですか?」
「おそらくはそうでしょうが……日常的なものではなかったそうで、近所も兄弟が小さいこともあり育児に悩む父親の教育だと思っていたそうです。
それと、中高期に八代十綾はグレた…不良となったそうですが……これといって問題は起こさず、高校二年では既に辞めていたようです。家庭環境によるものだと納得はできますが、少々不可解ではありますね」
「…不良、というと…正直カッコいいような気がするんですが…」
「いえ、不良というのは、ヤクザの下っ端のようなのものであって…決してカッコいいものでも、自由なものでもないんですよ」
「そういうものですか?」
「そういうものですよ」
そのまま、彼は次へ進み、メモを放り捨てる。
「畠中家の現在の当主は社長である畠中秋人ですが、一年前は亡くなった祖父にあたる畠中|清治郎《せいじろう》だったそうで、これがなんとも悪い噂の絶えない人物とのことです。
畠中清治郎は秋人の父にあたる畠中|久遠《くおん》と母にあたる畠中|琴葉《ことは》の結婚を反対し、二人が駆け落ちした結果に伝をつかって見つけ出した後に跡取りとなる子供を要求したとのことで、二人は秋人を身代わりのような形にしてどこかへ雲隠れした…とちょっと耳にしましたね」
「その後の畠中秋人はどうなったんですか?」
「さぁ……畠中清治郎やその祖父が顔の効く社長、大海誠也などに……対象は女性や男性と様々でしょうが、若い燕として使われたと話がありますが…正直、本当かどうかまでは…」
「若い燕?」
私がそう聞いても彼は答えず、黙って口を開いた。その言葉に先程の返答は含まれていなかった。
「梶谷家の現在の当主である大学生の梶谷湊は数年程前に父にあたる梶谷|彰晃《しょうこう》と同居していましたが、その一年後に彰晃氏は遠方にて四肢がなくなり、首に手や縄の跡がある状態で精神錯乱しており現在も精神病院に入院しています。また、母にあたる梶谷、もしくは現在、別の姓である|有栖《ありす》は湊の双子であったもう一人を連れて彰晃氏と離婚後、別の相手と再婚したとされています。これに関してはもう分かりません。
色々と伺うともう一人の息子も孤児に入ったとか、彰晃との離婚後にすぐに娘を産んだといった話があるものの信憑性はありません」
「……聞いてて思ったんですが…日村家以外にまともな親がいないような…」
「あれも、まともではないとは思いますよ」
「どういうことですか?」
「日村遥は両親の勧めにより、大海誠也との縁談があるようですから」
「…よりによって、ですか?日村修は何も言わないんですか?」
「何も。ただ家を出ることは村民にも噂があるようですが……兄としては正直、あれですね」
「保守派、なんでしょうか」
「さぁ……自分自身の完璧さに手一杯で、他人に構う余裕がないだけかもしれません。ですが、もし彼がリベラル派であれば、妹さんにとっての救いになるのですがね」
彼は苦笑いを浮かべて黄金色に染まって白泡が少なったビールを手に取り、そのまま喉の奥に流し込んでいった。
夕焼けはもうすぐ沈みかけて、夜が忍び寄っている。
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部屋の隅に立てかけられたシェイプトがひどく懐かしいような、もうここでしか弾けないような思いが不意に湧き上がっていた。
手入れの施されていない昔と同じままのヴァイオリンが箱の中から姿を現して、空を描く夜空の下で心地の良い音を奏でた。奏で続ける誰にも届けるつもりのない嬉遊曲が響き渡り、広がる庭園に浮かぶ蛍が時折、輝いて幼少を満喫するさまがまるで華やかなドレスやタキシードに身を包んだ貴族のようだった。
蛍達が一斉に踊り狂い、音が楽しさを帯びるにつれて光は一向に増す。
そうやって激しくなりだした演奏の中で、遠くに長身の影のようなものが覗いていることに気づく。奇妙に思って目を凝らすもとうにその人影は森の中に忽然と消え失せていた。亡忌も気づいている様子もなかった。
心の中に渦巻いた不審感を感じつつも、視線はようやく活躍の場を得たヴァイオリンを移す。
ただ、なんとなく叙情曲を弾こうと思い、佐久間は指を動かし始めた。
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「それにしても、この山には樫の木が多いんですね」
薄暗く月明かりが光源としかならない山中を懐中電灯の光が切っていく。修が「そうだな」と笑いながら答え、先導するように歩いていった。
朝の希望通り、影を見た森の中を散策しては異様な雰囲気につい斧を持った手に力がこもった。
「にしても、肌寒くなってきたな……蓮、寒くないか?」
「特には」
何も変わりない会話をくり返す中、懐中電灯で照らされる木々の中に前までとは違って派手な色の紐が巻かれていることに気づいた。それはあちこちに点在して、なんとも不自然だった。
「……林業者の目印ですかね?」
「…どうだろうな……そんな届け出を貰った覚えはないが…」
「じゃあ、猟師ですか?」
「…だとしたら、こんな人の手がつくような印をつけるか?余計に獣は集まらないだろ。人だって、もちろん……」
そう修が言いつつ、木に括りつけられた紐を見てすぐに口を開いた。
「素人だな」
「素人?」
「巻き方が違うんだ。この辺りの森林、林業関係者は全員、木が傷つくことがないような所謂ところのもやい結びをするんだが……ここにあるのは、全部もやい結びではなく、全く同じ変わった結び方だ」
「つまりは……全く林業と関係のない部外者によるものだと?」
「まぁ、そうなる…単に忘れているだけとは考えにくいが、不確かな点もある」
そのまま言葉を紡ごうとする修の手の懐中電灯が何かを照らし、いやに付近が直線状に光を放った。
眩しさに顔を顰めると、修も同様のようで俺はすぐさま「少しだけ見てきますので、動かないで下さい」と告げて光へ歩みを進めた。直線状に輝く光の線は遠くの木を照らす懐中電灯のようになり引き寄せるような禍々しさを保っていた。修を見やっても特に変化はない。早いところ確認して戻ろうと考えていた。
足元で何かが引っかかったような感覚に下に俯き、足に黒い紐のような蹴り糸が固定されていることに気づいた。猟師か何かの罠だろうと斧で断ち切り、奥の光を確認する。光は、木の一つに立てかけられた小さな鏡が反射しているだけのようでこれといったものはなく人影も見当たらなかった。
急いで修の元に戻ろうと、足を速めた時、歩いていた時には反応しなかったもう一本の蹴り糸を俺は踏んでいた。
直後に木々がざわめくような音と獅子の咆哮のように轟く発砲音が耳へ届いた直後に脳の中に何かが暴れまわって突き破るような感覚と共に、視界が古いテレビの電源を切った時のように、世界が一点に収束して消えていく。
最後に、どこかで微かに嗅いだ焦げ臭い匂いが水に沈むような感覚と融合して消えていった。
ただ、守ることはできたのだ。一抹の不安を秘めた牙から飼い主を守ることが。
**あとがき**
R18なので好き放題やりました。後悔はしていません。
序盤が鏡逢わせの不思議の国味がありますね。
だいぶ男尊女卑の考え方なのと、家族云々系の話は誰でもキレるよなぁ…っていう。
ろくな家族じゃないかぎり。
大海の口説き文句に対する日村の最初の言動として、
「黙って聞いていれば、酷い口説き文句ですね。どんな男でもそんな話をする人はいないのではありませんか?」
といった没のものがありますが、直接的過ぎたのと、らしくなかったので変更しました。作中では皮肉が混じったものになっていますね。ところで、男尊女卑はあっても女尊男卑はないんですね。
あと全然関係ないが、職業や親の名前に関しては小ネタなのでお気になさらず。
親の名前は決めないと作中でいくら経っても親の名前を言わない感じがしたので名前だけを作りました。以降、登場しません。
▶上原と中居さんの話の一部内容の解釈
保守派 → 家主主義、因習主義、封建的
リベラル派 → 放任主義、個人主義、合理的
【日本宗教学全書 普及版 -異端の信仰と百年祭 酒内村に関する調査と研究-】
追加した絵巻のAI生成(参考程度)
https://tanpen.net/blog/0733f22a-5162-46e8-99aa-c30e47f0ba83/
▶生死云々の表示があった人まとめ
佐久間春
戌亥蓮 ☑
茨崎棗
紀井天気
夜久月
愛知雪名
真宮真央 ☑
山村由香里
広竹悠斗
アンヴィル・タリー(不明)
スーヴィン・タリー(不明)
大川隼人 (私が殺さないと思うのか?)
中居百音(不明)
(優月彩)⇨申し訳ながら私情で死亡する恐れがあります
おまけ:田中栄子☑ 神宮寺朔(不明)
Q:本作品に善人はいますか?
善人はいない。偽善者はいる。言っちゃ悪いけど、善人は基本的に描かない。
誰も彼も悪いところを露呈させるし、どんなに優しくても裏はある。
善人はいない。いるとしたら、それは誰からも好かれる純粋で無垢な子だと思う。
Q:大海誠也は本編終了後にどうなりますか?
別に何もない。
私は悪人はどうでもいい質なので、痛い目みようが見なかろうがどうでもいいです。
たとえ二次創作でキャラが死のうと気にしない派です。