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「忘れられた声の終着点」
夕方の空は、色を失いかけた水彩画みたいだった。
僕は駅の端にある古いベンチに座って、来るはずのない電車を待っていた。
この駅は、地図にはもう載っていない。
線路も途中で草に飲み込まれていて、ここを使う人間はほとんどいない。それでも、なぜか僕は毎週ここへ来てしまう。
理由はひとつだけだった。
ここに来ると、「忘れられた声」が聞こえるからだ。
風が吹くと、線路の隙間から小さな音が立ち上がる。
それは誰かのため息だったり、笑い声だったり、名前を呼ぶ声だったりする。
全部、もうこの世界から消えたはずのもの。
「今日も来たんだね」
不意に、隣から声がした。
白いシャツの少女が、いつの間にかベンチに座っていた。影が薄く、夕焼けの色が透けて見える。
「うん。なんとなく」
僕がそう答えると、彼女は少しだけ笑った。
彼女は、この駅に残った“最後の人”だった。
名前も年齢も知らない。ただ、僕と同じように、ここに縛られている。
「もうすぐ、この駅も消えるよ」 「……そっか」
怖くはなかった。
むしろ、長い夢が終わるような、そんな感じがした。
遠くで、電車の音がした。
ありえないはずの音。それでも確かに、こちらへ近づいてくる。
「行く?」と彼女が聞く。 「君は?」 「私は、ここに残る」
電車はホームに滑り込む。扉が開き、暖かい光があふれた。
僕は立ち上がり、振り返る。
彼女は手を振っていた。
「忘れないで」と、声にならない声で言った気がした。
電車に乗り、扉が閉まる。
走り出した瞬間、駅は夕焼けの中に溶けて消えた。
それでも不思議と、胸は軽かった。
忘れられた声は、もう聞こえない。
その代わりに、確かな一歩の音だけが、僕の中で響いていた。