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途中4
2025/10/28 無題
1話
「たな、か、あゆみです。早生まれで、あ、3月生まれです。すきな…いや趣味…は、読書です。好きな食べ物はお米で、ええと、嫌いなのは、なすとか…にんじんです」
まばらな拍手を聞きながら、自己紹介を終えた私は椅子に座る。
最悪だ。声は裏返るし、言葉は詰まるし、言うことに迷いすぎた。そのくせ声はでかくなってしまって、あまりにもちぐはぐだ。普通に自己紹介をすることすらできないのに、中学では明るい性格でいこうだなんて、無理なことだった。
私の次の生徒の自己紹介は迷いがなくて、声がしっかりしていて、面白くて、クラスに笑いが溢れた。比べるものじゃない。でも比べた。そしたら、もっと落ち込んだ。
胸の奥が自己嫌悪でぐずぐずになった。
チャイムが鳴り響いた。初めての授業が終わり、初めての休み時間がやって来た。
「田中さん」
山瀬緋奈。私は、私の名前を呼んだ生徒の名前を知っていた。私の前の席の子だから。実際今も、彼女は自身の席に座ったまま、体を捻ってこちらを見ている。
「なに」初めてクラスメイトに声をかけられ、心臓が1回だけ飛び跳ねた。
「もしかして、西小学校だった?」
私が通っていた小学校についての話だと理解するまでに1秒かかった。
頷いて、声を出すまでにさらに1秒。
「あ、う、うん」
彼女は私の返事に、ふーんと目を細めた。
「2年の時、同じクラスだったよ。…田中さんは覚えてないかもしれないけど」
にっこりと可愛い笑顔を浮かべた彼女に、好意を抱く。
「そ、う。そっか」
「うん」
同じクラスだったかは、覚えてなかったけど、でも、この子は優しいから、好き。
2話
小学2年生の時のことは、あまり思い出したくないなと思う。忘れられないだろうなとも思う。
1番覚えてるのは両親が離婚したことだ。当時の私は離婚なんて理解ができなかった。ただお父さんがいなくなった、私の苗字は水口から山瀬になった、それだけ。お母さんに「お父さんは帰ってこないの」と訊ねたとき、お母さんは激昂した。いつもは優しいお母さんがこんなに感情をむき出しにしたことが怖くて、それ以降お父さんの話題はタブー扱いになった。
次に覚えているのは、クラスメイトのことだ。確か名前は、田中あゆみ。私は彼女のことが嫌いだった。よくいじめられていたのだ。足を引っ掛けられたり、私の好きな人をみんなに言いふらされたり、私の苗字が変わったことについてもしつこく訊かれた。彼女からすればただの遊びだったり悪意のない疑問なのだろうし、きっと彼女はもう忘れているだろうけど、私は覚えている。嫌い。
中学に入学して、2日目。半日授業の日の朝のHRの時間。
後ろの席の生徒の自己紹介を聞いた時、胸の奥がざわっとした。
「たな、か、あゆみです」
かなり緊張しているようで裏返っている声は聞き取りにくかったけれど、理解はできた。
田中あゆみ。私の嫌いな元クラスメイト、いや、クラスメイト。
好奇心と悪意と怒りの混じった感情で、休み時間、私は彼女に話しかけた。
「もしかして、西小学校だった?」
もしかしてとつけたのは、あるいは希望だった。田中という苗字もあゆみという名前もありふれているから、私の嫌いな田中あゆみじゃない、全く関係のない田中あゆみなのかもしれない。西小学校出身で私と同じ学年で、名前が田中あゆみである生徒はただ1人だけだ。彼女が頷けば本人であると確定した。
否定してくれと心のどこかで願っていた。
「あ、う、うん」
願いは簡単に打ち砕かれた。私はふーんと薄く口角をあげた。無邪気に喜ぶなんてもちろん無理だったが、あの時の恨み晴らしてやるーと怒りを爆発させることだって同じくらい無理だ。
「2年の時、同じクラスだったよ」
そう伝えれば何か思い出すかもしれないと考えたが、彼女はそう、と気まずそうに少し首を傾げるだけだった。
性格が変わっているな。ぼんやりと、そう思った。
3話
「ひな」って、こう書くんだね。
山瀬緋奈のノートを見て私がこぼすと、彼女は薄い反応を示した。「ええ?ああね。」それはどこか嫌がっているようにも受け取れたので、私はそれから彼女の名前について何かを言うことをやめた。
中学校に入学して2ヶ月が経った6月の下旬、私はふと思った。
これが恋なのだな。目の前に座る彼女の、半袖からのぞく細く白い腕をぼんやりと眺めていた。HR中だが担任の話は何も頭に入ってこなかった。彼女が夏服で登校してきてから、私は内心で動揺が止まらなかった。今まで服に隠されていたその肌を直視することができなかった。彼女の高い位置で結ばれたポニーテールがわずかに揺れただけでも美しいと感じるし、彼女が口を開けて笑った時にちらりと覗く八重歯に胸が高鳴るし、彼女の手が私の手に触れた時などは小さく声をもらしてしまうほどだった。
しばらく前から、心のどこかでは気づいていたことだった。それでも私と恋愛を結びつけることに抵抗を抱いて、認めていなかった。どうして今このタイミングでするりと受け入れられるようになったのかは、よくわからない。もう認めるほかないと思ったのかもしれない。
チャイムが鳴り響いた。私が頭の中でぐるぐると恋だとか愛だとかについて考えている間にHRは終わり、1時間目が始まったようだった。数学教師が入ってきて、日直が号令をかけて、私の意識もほとんど無理やりそちらに向けることで、ほら、昨日と全く同じだろう。
この思いとの付き合い方について考えるのは、まだ先でいい。後回しでいい。だって向き合うことは怖いことだから。
4話
「田谷くんと南さん、付き合ったらしいよー」
そう言う話題を耳にするたびに、馬鹿らしいと内心で嘲笑っていた。中学生の恋愛なんてたかがしれている。どうせ数週間で別れるだろう。その程度の想いなのだ、大抵は。私は自分のその考えを信じて疑わなかった。
「ねー、山瀬さんって田谷くんのこと好きなの?」
クラスメイトにそう問われた時、心の底からはあ?と思った。全く、意味がわからなかった。田谷くんは私の2つ後ろの席に座っている男子生徒。そして今は他のクラスメイトと付き合っているようだ。どうして私がそんなやつのことを好きにならないといけないのだろう。私もその程度の人間だと思われていることに対してイライラしながら、しかしそれを表には出さず、あくまで笑顔で首を横に振った。
「好きじゃないよ。どうして?」
「だってー、田谷くんが山瀬さんのこと好きらしいから、山瀬さんはどうなのかなあって。」はあ、と言うほとんど吐息のような声がこぼれた。
「いや、田谷くん南さんと付き合ってるでしょ?」田谷くんのことはあまり知らないが、流石に二股をかけるほどではないはずだ。中一でそこまでのプレイボーイがいたら驚愕する。
「んー、別れたらしいよ。三日?くらい前に」
三日前に別れて、はい次の女、と言うわけである。気が変わりやすく軽薄な男だなと、一回も話したことのない彼の好感度がどんどん下がっていくのがわかった。
「…ふーん」やばいやつじゃん、と思わず続けそうになり、少し慌てる。「私は恋愛とか、興味ないかな」かなりオブラートに包んで、けれど気づかれるか気づかれないか程度の棘を混ぜて、笑って見せた。
恋愛なんて馬鹿げている、周りでカップルが増えていく中で私はその意見を突き通すつもりでいた。
それは意地なのかもしれなかった。
5話
好きな人が恋愛アンチであると知った時、私の心は何色に染まっただろう。
よく覚えていないなと首をひねる。
王道は灰色あたりだろう。灰色は気分が沈んでいる心情の象徴のようなものだ。でもあまり落ち込んだ記憶はなかった。と言って喜ばしかったわけでもないから、明るい色も違うだろう。悔しいとかもなかった。ただああそうなんだなと受け取っただけ、受け入れただけ。