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優等生から
2026/03/13 優等生から
ユイカちゃんが苦手だ。ユイカちゃんは私のクラスメイトだ。2年D組、出席番号9番、席は私のひとつ前。彼女は正直、破廉恥だと思う。人として恥ずかしいことを平気でする人。高校生にもなって自分のことを「ユイちゃん」と呼ぶし、気に食わないことがあるとすぐに幼稚園児みたいに駄々を捏ねるし、人前でも威嚇するような声をあげて泣き喚く。見ていてイラッとして、痛々しくて、それなのに必ず隣に人がいて、私は理解ができなかった。
ユイカちゃんとよく一緒にいるのはクラスで少し浮いている子だった。名前は確か奈津美だったか。茶色がかった髪の毛を高い位置で一つに束ねていて、切れ長の目が特徴的。ユイカちゃんと仲が良いとはいえ、奈津美さん自体は案外まともな人間のようだった。
高校2年生、春。
休み時間に移動教室のため教科書を抱え廊下を急足で歩いていると、曲がり角のそばに、ユイカちゃんが立っていた。
何をしているのだ、まさか、道がわからなくなったのか? ユイカちゃんならあり得そうだ。友達は? そこまで考え、奈津美さんは体調不良で休みだと、朝礼時に担任が言っていたことを思い出す。困っているようなユイカちゃんに声をかけるべきか一瞬揺れたあと、しかしそんな気にはなれなかった。私が立ち去ろうとした時、彼女の瞳が私をようやく捉えたようだった。
「う、きょ、教室どこ!」
必死そうな声が張り上げられた。
別に、私に話しかける必要なんてないじゃない。黙ってついてくればいいのに。そこまで頭が回らないのだろうか。
私はもうすぐ休み時間が終わってしまうことに内心で焦りながら、ユイカちゃんの方に視線を投げた。
「ついてくれば。」
「ま、待って、はやい。」
後ろからユイカちゃんの声が聞こえてくる。だけど私は歩くスピードを落とさなかった。左手の腕時計を見やると、休み時間が終わるまであと1、2分程度だった。
遅れたら、嫌だ。私は一応優等生なのだ。
ため息を吐きかけた時、派手な音がした。「何っ?」
振り返るとユイカちゃんが転んでいた。彼女の抱えていた教科書や資料集が散らばって、筆箱からは鉛筆やシャーペンが溢れていた。
ユイカちゃんは転んで数秒ほど経って、ようやく顔を上げた。う、う、と嗚咽のようなものをもらした。あ、泣く、この子。そう直感した。そしてそれは当たった。ユイカちゃんの泣き声、いや、鳴き声が廊下に響いた。
私はユイカちゃんの、ボロボロの教科書たちを回収して、筆箱にペンをしまって、彼女に押し付けようとした。だが泣くので忙しいユイカちゃんが受け取ってくれるわけもなくて、私は今度こそため息をついた。
その時、チャイムが鳴った。
私はもう、このまま走って教室に行くことを諦めていた。代わりにユイカちゃんを保健室に連れて行こう。そして先生に、それを言い訳に遅刻を許してもらうのだ。
「ほら、立って、保健室行くよ。」
涙に濡れたその手を取るのは抵抗があった。けれど引っ張らないと彼女は立ち上がってくれない気がしたので、仕方がないと自分に言い聞かせる。
ぬるっとした生ぬるい液体が気色悪い、と思った。
保健室の先生にユイカちゃんと彼女の荷物を渡したあと、私は教室に向かうより先に手を洗った。
石鹸も使って、何度も何度も、念入りに洗った。
それでも消えなかった。私がユイカちゃんから出てきた液体に触れたという事実と、それが染み付いているような感覚は。