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    2-11「激突」
    
    
    
    「ガアァァァア!」
 ――こちらを見ている。
 見られている、そんな感じがする。
 僕たちは思わず動きを止めた。
 冷や汗が止まらない。
「…………」
 その場で息を殺す。
 張り詰めた空気。
 ドラゴンが僕たちから目をそらす。
 実際にそうだとはっきり分かったわけではない。
 だが、感覚的にそうだと分かる。
 空気が弛緩した。
 ほっと一息つく。
 ――ドラゴンの体がうごめいた。
 なぜ今、なんて考える暇はなく。
 体が一回り小さくなり、翼がなくなった。
 全身に鋭い棘が生えた。
 爪が倍の長さになった。
 空を悠々と飛ぶ最強の生物から、より戦うことに重きをおいた凶悪な生物へと。
 変化が完了する。
「ん!」
 初めに渡辺さんが動いた。
 雷が一瞬瞬き、渡辺さんの姿がドラゴンの元へ移動する。
 恐らく僕が今まで見た中で最高の速度だ。
 渡辺さんは得物を持っていない。
 素手では全身の棘に阻まれ、ドラゴンまで攻撃が届かない。
 渡辺さんは自らの速度に任せ、ドラゴンの棘をへし折った。
 渡辺さんの背丈と同じくらいの長さの棘を、器用に棘を避けるようにして投擲。
 ドラゴンの巨体では回避することは叶わず、渡辺さんが投擲した棘は見事に命中した。
「……っ」
 だが、ドラゴンには何の痛痒も与えず、棘は轟音を立てて地面に落ちる。
 気が付けば、周囲からはドラゴンを除く全ての黒い生物がいなくなっていた。
 ドラゴンが僕たちの前に現れる前に全て吸収されたのか。
 真相は分からないが、ドラゴンとの戦いに集中できるのはありがたい。
 渡辺さんは地面に着地し、またドラゴンへ向かっていった。
「天津、撹乱できるか?」
 千羽の問いかけに対し、
「うん」
 天津さんが意識を集中し始める。
 その間も千羽は指示を出し続け、ドラゴンに対する僕たちの戦い方を固めていった。
 今までは、ただ漠然と、
 天津さんが敵を撹乱。
 渡辺さんがとどめをさし、
 そこまでのアシストを十五と千羽と僕で担う。
 そんな役割分担だった。
 それが千羽の指示によって明確な形を持っていく。
「十五、お前の異能でドラゴンを消すことはできないのか」
「無理だ。直接触れる必要があるし、この巨体に対して効果範囲が小さすぎる」
「分かった。効果がないわけじゃないんだな? それなら、渡辺が攻撃しやすいよう足元を崩してくれ」
「了解した」
 ドラゴンの元へ駆けていく十五の姿を目で追うと、地面に落ちた数え切れないほどのドラゴンの棘が目に入った。
 渡辺さんがやったのだろう。
 びっしりと棘に覆われていたドラゴンだったが、今は渡辺さんがいるところだけ肌が露出している。
 渡辺さんはすかさずそこに飛び込み、雷を流し込む。
 ドラゴンの体が一瞬だけ硬直した。
 その隙を見逃さず、十五がドラゴンの足に触れる。
 ドラゴンに生えた数多くの棘が邪魔だったが、それらは十五の手のひらが触れた瞬間に消滅した。
 まるで元々そこには何もなかったかのように、ドラゴンの左前脚が消える。
 一瞬遅れて仕事を始めた重力が、ドラゴンの体勢を崩した。
 好機。
 渡辺さんの攻撃が苛烈さを増す。
 僕も追撃するべきだろう。
「九十九。お前は、俺と一緒にドラゴンへの牽制及び他の三人のサポートを行え」
「分かった」
 意識を集中させ、エネルギーをより深く鮮明に感じ取る。
 身体強化、出力最大。
 後先考えず、ここで全てを出し切る。
 走り出そうとしたその時だった。
『ごめん、ちょっといいかな』
『意思伝達』によって天津さんの声が聞こえた。
「どうした?」
『作戦は失敗したよ。それより、大切なことが分かったの』
 今すぐに飛び出そうとしていた千羽の動きが止まり、天津さんの話に集中する気配がした。
『ドラゴンの知能が想定より高い。|人間《私たち》の言葉も理解してるみたい』
「分かった。天津は俺のところまで来てくれ」
 千羽の言葉に従い、天津さんが千羽の方に走っていく。
 千羽の隣まで来た天津さんに、千羽が何か囁く。
 天津さんはこくりと小さくうなずき、異能を使用した。
『九十九くん。作戦変更だって。千羽くんはここで指示出し、私はそれをみんなに伝えるから、戦いの直接的なサポートは九十九くんだけになるよ』
「了解」
 通常より遥かに高まった身体能力で一気にドラゴンまで接近し、左前脚の断面を攻撃する。
 さすがに体内から棘を生やすようなことはしないのか、僕には一切ダメージが入ることなくドラゴンをよろめかせることに成功する。
 だが、既にドラゴンは三本の脚での戦いに慣れたのか、転倒させるまではいかなかった。
 この間に左後ろ脚にたどり着いた十五が、再び異能を使う。
 二本の脚で支えるべき体重を一本で支えていた脚が消えた。
 ドラゴンは派手にバランスを崩し、転倒する。
 ドラゴンは大きい。
 体重も相応のものだろう。
 起き上がるまで、まだ猶予があるはず。
 なんなら、脚が右側にしか残っていないのだからもう立ち上がれないかもしれない。
 とにかく、今はチャンスだ。
 ――そんな僕の考えを嘲笑うかのように、ドラゴンが動いた。
 体中の棘が溶け、代わりに前脚の付け根の少し上が盛り上がる。
 こぶのようにも見えたそれは、次第に影を大きくしていき、立派な翼になった。
 翼。飛ぶ。逃げられる。
 止めなければ。
 地面を強く蹴って飛び出す。
 蹴った足はすでに空中へ。
 足が地面に着くのを待つのすらもどかしい。
 動きが――時間の進みが遅い。
 
 今までで一番早く、一番自由に動けているはずなのに、今までで一番不自由な気がする。
 ドラゴンの体が持ち上がる。
 翼は動いていない。羽ばたくという動作を必要としないのか。
 手を必死に伸ばす。
 間に合うか――?
 バチ、と音が鳴る。
「――させない」
 帯電した渡辺さんが、その腕で抱えた棘と速度に任せ、ドラゴンの両翼を根元から断ち切った。