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回顧録
穏やかな春
暑苦しい夏
物静かな秋
銀世界の冬
季節は必ず変わるものです。一旦変わってしまうと、前がどのようだったか、ちっとも思い出せやしない。ガラクタな私の空想でしかわからないのです。
でも、どんな季節だって貴方は隣にいました。それだけは、きっと死ぬまで忘れないでしょう。
貴方は私の思い出、記憶そのものです。
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--- 春 ---
春は穏やかなものです。そうです。だって、外を見てごらんなさい。あの大きな幹の桜!あの桜は、光をすかした桃色のセロハンを空に舞い上がらせて、悠々とそこに立ってるのです。なんと綺麗なことなのでしょう。人肌の風が頬をくすぐって春を知らせます。私はつられて外へ出るのです。貴方はそう、あの桜の木にもたれかかって本を読んでいました。ゲーテの詩集だったでしょうか。真面目な顔で活字を見つめる貴方が、どうも似合わなくって。可笑しくて、ついその顔を眺めてしまっていました。あの時聞こえていたのは、風がそよそよ吹く音と、木々がざわめく音と、ページがゆったりめくられる音だけで、とても心地よいものでした。包まれるような日光に当てられた貴方は、もう私の頭から、離れてはくれないでしょう。
--- 夏 ---
夏は苦しい。暑さが首を締めるように感じて、だから海へ行こうと、貴方は言ったのですね。大人に内緒でこっそり抜け出して、駅まで向かうのです。大丈夫かと問うと、貴方はこちらをむいて、人差し指を口に持ってきて静かに笑いました。つながれた手は、鎖のように冷たかったのを覚えています。列車を降りるまで手を離すことを忘れていて、思わず二人で笑いあいました。さざ波が聞こえ始めて、私たちは子供のようにはしゃいで音のほうへ向かうのです。そこには、もうなんと!宝石のように輝く海です。サファイアのようだ、と貴方がつぶやいたのを、私は見逃しませんでした。その後は、砂浜で遊んだり、浅瀬で水浴びをしたりとやりましたが、そんなことはどうだって良いのです。
一番鮮明に残っているのは、その景色に目を輝かせる貴方なのですから。
--- 秋 ---
秋はとてもゆったりとしています。秋といえば、運動に食に、たくさんあるでしょう?貴方が私にたくさんの本を貸してくれたのがこのころです。読書の秋、ですね。おかげに静かに過ごせました。
紅葉が綺麗な森へ連れていってくれましたね。暖色に包まれたなか、貴方の肌の白さが一層目立ちました。地面にある葉がカーペットのようで、そこに立つ貴方が、とても素敵だったのを覚えています。風が私にまとわりついて、肌寒く感じていました。少し身震いをすると、貴方は藍色の上着を私に優しくかけてくれました。その時は、他のどんなものより、その上着が温かかったのです。あの温もりは、今でも私の心にあります。
--- 冬 ---
冬といったら、あの銀世界!一面真っ白な地面に、この世のすべての光が集まって、とても眩しいのでした。急いであなたを呼びに行って、二人で外へ出たのです。キラキラと輝く幻想が、目一杯に映されて、貴方のその反応と言ったら!尻尾を振る子犬とでも言うように目を見開いているのですから。積雪に私たちがそこにいた跡をつけながら、その銀世界を進んでいきました。そして、深雪に思い切って飛び込みました。ふわふわな雪が全身を包み込んでいって、貴方の笑い声がくつくつと聞こえました。その声はとても落ち着いて、私を安心させるには十分でした。
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穏やかな春は、貴方の姿です。
暑苦しい夏は、貴方の輝く眼です。
物静かな秋は、貴方の温もりです。
銀世界の冬は、貴方の笑い声です。
例えその季節じゃなくたって、貴方を見ると、その時の貴方を確かに思い出すことができます。その度に自分は、前の自分と連続して続いていると確信できるのです。
貴方が続く限り、私の記憶も続いていきます。
だから私が居なくたって、貴方は私の記憶と共にする事ができます。
どうか、その記憶を途絶えさせないでください。