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#2 ファンという存在
初配信を終えてからの一週間。白坂凛音──いや、VTuber「リオナ・シエル」としての日々は、目まぐるしくも幸福な時間に満ちていた。学校にも職場にも行かず、家族には「アルバイトしてる」とだけ告げ、ほとんどの時間をパソコンの前で過ごす。機材の前に座り、配信の企画を考え、マイクに向かって声を出す。まだぎこちなく、配信時間も二時間に満たない。けれど、その画面の向こうには、確かに人がいた。
〈おつリオナ!〉
〈歌声めっちゃ良かった!〉
〈次の配信楽しみ!〉
たとえ数人でも、自分の言葉に耳を傾け、反応をくれる人がいる。その事実が、凛音を日々突き動かしていた。
──配信を切ったあとの静寂は、かつてなら「孤独」と呼べた。だが今は違う。胸の奥に残る余韻が、暗い部屋を照らす灯のように感じられる。
「…もっと、頑張らなきゃ」
自分を待ってくれている人がいる。そう思うだけで、机に向かう姿勢も自然と背筋が伸びた。
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ある夜の配信。リオナはリスナーに質問コーナーを開いてみた。
「えっと、じゃあ今日は、みんなからの質問に答えていこうかな!」
チャット欄に次々と流れるコメント。〈好きな食べ物は?〉〈趣味は?〉といった無邪気な問いから、〈彼氏いる?〉といった茶化すようなものまで、色とりどりの声が飛び交う。
「好きな食べ物はね、パンケーキ!甘いもの大好きなんだ~」
「趣味は歌うことかな?配信でもいっぱい歌っていきたいなって思ってます!」
「彼氏…?えっと…いない、です!」
笑いながら答える凛音の声に、チャット欄は賑わった。
〈処女宣言助かるw〉
〈かわいいww〉
〈もっと歌ってほしい!〉
──楽しい。誰かに求められ、自分が応える。それだけで世界が輝いて見える。
現実の彼女は、友達も少なく、放課後は一人で本を読むか動画を眺めるだけの少女だった。だが「リオナ・シエル」であるとき、彼女は違った。声をあげれば反応が返り、笑えば「かわいい」と言ってもらえる。まるで、夢の中にいるようだった。
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ある日、常連リスナーの名前に気がついた。
〈シエル推し太郎〉
〈深海クラゲ〉
〈黒猫ミルク〉
毎回のように配信に来てくれる人たちがいる。コメント欄に彼らの名前を見つける度、胸の奥が温かくなった。
「いつも来てくれてありがとう…!シエル推し太郎さん、深海クラゲさん、黒猫ミルクさん!ほんと、うれしい…!」
思わず名前を呼んでしまった。すると、画面の向こうで彼らが一斉に反応する。
〈名前呼ばれた!!〉
〈やばい、死ぬほど嬉しい!〉
〈今日もがんばってるね!〉
リスナーの歓喜がコメント欄を埋め尽くす。──その瞬間、凛音の心は強く満たされた。自分の声が、誰かを幸せにしている。自分の存在が、誰かに必要とされている。その感覚は、現実では決して味わえなかった。
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だが、その夜。配信を切ったあと、凛音は気がついた。
「…あれ、私、今…一人じゃん。」
部屋には、冷たい蛍光灯の光と、動作音を鳴らすパソコンだけ。コメントで溢れかえった画面は、ただの無機質なモニターに戻っている。胸の奥に、ぽっかりとした穴が開いたような感覚。配信中に感じた幸福が、終わった瞬間に霧のように消えていく。
──もっと配信したい。
──もっとファンと話したい。
気づけば、そんな衝動が凛音を支配していた。机の上のメモ帳には、次回の配信案がびっしりと書き込まれていく。歌枠、雑談枠、ゲーム配信…。まだ誰も求めていないのに、彼女は必死に企画を考え、予定を詰め込み始めていた。
まるで、それが「自分が存在する証明」であるかのように。
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夜更け、布団に潜り込みながら凛音はスマホを握りしめる。配信アーカイブについたコメントを、一つ一つ読み返す。
〈楽しかった!〉
〈次も絶対見に行きます!〉
〈リオナちゃん大好き!〉
文字だけの言葉なのに、まるで心臓を直接撫でられるように甘く感じる。目を閉じると、画面の向こうのリスナーたちが、笑顔で自分を見つめているような気さえした。
「…ありがとう…。ほんとに…ありがとう。」
小さく呟きながら、凛音は眠りについた。その寝顔は、夢を見ている子供のように安らかだった。
けれど──。その「安らぎ」が、やがて彼女を深い依存の闇への導くことになる。