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    2-12「無能」
    
    
    
    「させない」
 僕が一秒かけて動いた距離を、渡辺さんは一瞬で走破する。
 翼をもぎ取り、ドラゴンに逃走できなくなる以上の大ダメージを与えた。
 ドラゴンの翼を抱えた渡辺さんは、現れた時と同じかそれ以上の速度で十五の方に去っていく。
「お願い」
 渡辺さんがドラゴンの翼を放り投げ、十五がキャッチする。
 その瞬間、ドラゴンの翼は消えた。
 十五が異能を使い、欠片も残さず破壊したのだ。
 渡辺さんはそのまま千羽の方へぐるっと回ってこちらへ戻ってきた。
「ごめん。そろそろ、限界」
 異能か。体力か。それともその両方か。
 主語がないため詳しいところは分からないが、渡辺さんには戦う力がほとんど残っていないことだけは伝わった。
「うん。分かった」
 もう渡辺さんに頼り切ることはできない。
 今戦えるのは、僕と十五だけ。
 十五は僕より前から戦い、異能を使い続けてきたから、消耗もかなりのもののはずだ。顔に一切出ていないから見た目では分からないが。
 異能の行使は、頼めて後一回か二回か。
「了解。やってみる」
 天津さんの異能を介し、千羽が十五に指示を出したようだ。
 十五がドラゴンの頭まで移動し、異能を発動する。
 頭が消えた……が、体は動きを止めず、十五の息の根を止めようと襲いかかる。
 幸い、十五の位置を視覚では認識していないようで、十五が後ろに下がるとすぐ見失った。
『十五くんは再度指示が出るまでこちらで待機、万が一のため渡辺さんは護衛。戦闘は九十九くんと……千羽くんが出るよ』
 天津さんの異能により、指示が出る。
 この場での指揮官と言うべき存在は千羽だ。
 その千羽が戦いに出るということは――
 戦力がない。
 そして、この指示が最後だ。
 天津さんが伝え終わった瞬間、僕と同じように身体強化した千羽が前線に出た。
「九十九、少しだけ耳を貸せ」
 千羽に言われるまま、顔を寄せる。
「俺の異能は回復系だ。回復できるのは体力と肉体の損傷」
 回復系。直接的な戦闘力は皆無に等しいが、戦闘系の異能の保持者を回復させることで、戦線の崩壊を防ぐ役割を持つ異能。
 千羽は身体強化して前に出たから、自分で自分を回復しながら戦うタイプだろう。
「|ドラゴン《こいつ》は頭を潰しても死なない。体の部分はダミーだ。体のどこかに、核がある。それを潰すぞ」
「分かった」
「九十九、聞いておきたいことがある。異能は?」
 思考が止まった。
 ここに来て以来、ずっと見せられてきた周りとの差。
「ないよ」
「個人の異能は、個人情報だというのは分かっている。それを承知した上で聞く。九十九、お前の本当の異能は?」
 僕の「異能は使えない」という発言を信じていないようだ。
 当然か。この手の発言は、自身の異能を隠したい人のものが九割以上を占めるのだから。
「頼む。それが勝敗を分けるかもしれないんだ」
「ごめん。ない」
 千羽の言葉には切実な思いが宿っていた。
 僕の異能を確認し、それを戦術に組み込めば、ドラゴンの討伐の成功率が上がる。
 一手間違えるだけで命に関わるような状況下では、それが勝敗を分けるかもしれない。
 だが、ないものはないのだ。
「そうか」
 二度否定したところで千羽からの追及の手が止んだ。
 既に戦闘中だ。これ以上話を続けるのは難しい。
 ドラゴンが右脚だけで器用に立ち上がった。
 強化した拳で思い切り殴る。
 ドラゴンは再び倒れた。
 やはり、片側二本の脚で立ち、しかも踏ん張ってみせようというのは無理があったらしい。
 絶好の攻撃チャンスだ。
 核はどこだ。
 頭じゃないなら、心臓か。
 ドラゴンという現実に存在しない生物、心臓がどこにあるか以前にそもそもあるのか疑わしい……が、心臓がなくてもそれに代わる臓器はあるはず。知恵を触る振り絞り、いずれは倒してみせる。
 ドラゴンの前脚と後ろ脚の間、前脚寄りの部分を殴りながらそんなことを考えていた。
 ドラゴンが立ち上がろうとするが、それは無理だ。立ち上がろうとした瞬間に攻撃を食らい、バランスを崩している。
 僕の隣では、千羽が僕と同じように強化した拳でドラゴンを殴っていた。
 ドラゴンの黒い肉体が弾け飛ぶ。
 攻撃の規模は僕と同じかそれ以上。
 一度拳を振るうごとに、聞いたことのないような音を響かせドラゴンを削っていた。
 やはり、回復する手段があると攻撃の威力が違う。躊躇いがなくなるのだ。
 ――グオォォォ……!
 立ち上がろうとしたドラゴンが再び地面に倒れ伏した時の鳴き声だ。
 これで、もう立て直しは不可能。完璧と言って差し支えないレベルでドラゴンをハメることができた。
「……」
「…………」
 ドラゴンを殴りながら、僕と千羽は(多分)同じことを考えていた。
 ――これ、ずっと続くな?
 僕と千羽には決定打がないのだ。
 渡辺さんのような高火力。
 十五のような反則級の異能。
 それらがなければ、このドラゴンを削り切ることはできない。
 僕は、少しだけ悔しかった。異能を使えないことが。
 自分にできないことは、それができる他人に任せれば良い。それは分かっている。分かっているのだが。
 戦闘力は戦いに有用な異能を得た者に追いすがれた。そんな僕が異能を持てば、|動けない敵を放置する《こんな状況》にならなかったんじゃないか。
 所詮はないものねだり。ただのわがまま。
 でも、たった一瞬だけ。たった一回きり。
 それくらいなら、使わせてくれても良いんじゃないかなぁ、と思ったんだ。
《一度きりの異能の使用許可申請…………》
《承認、ただし条件があります》
 それは、あの時の声の再来。
 承認されたことに驚きつつも、「条件」という言葉に眉をひそめる。
「……なんだ、それくらいなら」
 僕に対して何の不利益ももたらさない条件を快諾する。
「渡辺さん、ちょっと借りるね」
 説明は要らなかった。
 これは、元より僕の力。
 手の中で、パチリと雷が瞬く。
 彼女から借りた――正確にはコピーした|異能《ちから》だ。
 辺りを駆け回る。
 まさに疾風迅雷。誰も追い付けないほど|迅《はや》い。
 僕が駆けた空間の中心にいるドラゴンを見据える。
 今、ここを駆けたのはただの助走。
 拳にエネルギーを貯める。
 加速したことで得たエネルギーを上乗せして、ドラゴンに拳をぶち込んだ。
 ――ドラゴンの体が崩壊していく。
 やはり核はあったのだ。
 核を潰され、体を維持できなくなったドラゴン。
 ドラゴンの死と共に、僕の中にあった力も失われる。
 体の中を駆け巡っていた爆発するような力の奔流。失われる――というのは少し表現が違うか。活性化していたものが非活性状態になるとでも言うべきか。
 まあ、表現はどうでも良いのだ。
 大切なのは、僕が『異能』という力を一瞬だけとはいえ得たこと。
 感覚は覚えた。理解した。
 後は、再現するだけ。
 ここから生還した後のことを考え、顔がほころぶ。
『おめでとう。私が開発した群体生物をよく倒した』
 群体生物。なるほど、道理で。
 納得を得た。
 感染していくように広がる黒い生物。実際は、一体一体は小さな黒い何かが辺りの動物を乗っ取ることでそう見えていたのだ。
『試練はこれで終わりだ』
 終わり。その言葉を耳の中で転がす。
 それは、ここから解放されるという理解で合っているだろうか。
 それとも、全員処分だ! という流れか?
『お前たちを解放しよう』
 その言葉と同時に、パリンと何かが砕ける音が耳に入ってきた。
 決して大きな音ではないが、なんとなく耳に残る音。
 遠く、遠く、ギリギリ見えるか分からない視界の端。
 立派な広葉樹が突然ふっと消失した。
 地面が塵になって消えていく。
 消失の速度は非常に遅いが、それでも確実に進んでいる。
 終わった、という解放感。
 五分ほどそれに浸れば、後はどうしようかという思いだけが残る。
 消失まではまだ猶予がある。
 みんなと目を合わせれば、その間何をしようかという思いが透けて見えた。
 なんだ、みんな考えていることは同じか、と安堵する。
 元々ここから脱出するためだけに協力していたメンバーだ。目的が果たされた以上、これより関係を深める必要もない、のだが。
「みんな、今日はありがとね」
 天津さんがみんなに向けてお礼の言葉を言った。
 それを皮切りに、みんなが次々に話し始める。
「無事に脱出できたのは、みんなが協力してくれたから。ありがとう」
 渡辺さんが。
「俺だけじゃ、脱出はできなかったと思う。……ありがとう」
 十五が。
「ありがとう」
 千羽が。
「みんな凄かった。僕一人だけじゃ、できないことばかりだ。一緒に戦ってくれてありがとう」
 そして、僕が。
 各々が感謝の言葉を伝えた後、僕たちは空を眺めたり草原の草で遊んだりして時間が過ぎるのを待つ。
 ――その時がやってきた。
 地面の消失が足元に迫る。
 ちらりと見えたこの空間の外側は、何もない真っ黒な暗闇だった。
 足元の地面が塵になる。
 僕は重力に引かれて空間の外側へ放り出される。
 それと同時に、意識がぷつんと途切れた。
 ◆
「ぅ、ん……」
 セットしておいたアラームの音で目が覚める。
 手を空中に彷徨わせ、アラームを止めた。
「はっ!」
 意識を失う直前のことを思い出した。
 白い空間。試練。天津さんたち。地面が崩壊した後、何をどうした?
 そうだ、時間。
 スマホを起動し、時間を確認する。
 ――五月三日、水曜日。
 ゴールデンウィーク初日だ。
 あの中で一日以上過ごしたのは確実だから、時間の計算が合わない。
 もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない。
 布団からもそりと這い出しながら、あの空間での出来事を思い返す。
 一番印象深かったのは、異能だ。
 あの時、一度だけ使った異能。その感覚はまだ覚えている。
 目にも留まらぬ速度で動いた時の高揚感。あれは、夢で得られるものではない。
 だから、あれはきっと現実の出来事だったのだ。
 時間はたっぷりある。
 自力で異能を使えるようになりたい。
 あの時の感覚が色褪せない内に、再現したい。
 僕が異能を使えるのは、あの声が言っていた通り「一度だけ」だったのかもしれない。それでも、二度と異能が使えないのだとしても、異能を諦めることはできない。異能に似た力を、異能なしで再現してみせる。
 僕は、習慣となった異能の研究を始めた。
    
        異能を持たずして異能のような力を揮う少年。「異能無し」、異を無に置き換え、無能。それは蔑称に非ず。
 ――――2章、了。