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笹谷亜希
「あんた達もいつまでも呆けてないで、この馬鹿げた騒動を終わらせてちょうだい!」
彼女は自分が発した命令に対して疑問を抱くこともなければ違和感を覚えることもない。
なぜなら彼女こそがこの事件の原因だから 笹谷亜希がモニターを睨みつけながら拳を握りしめている一方で、モニター内の画面では施設管理システムを支配下に置いた人物が、まるでゲームでもプレイしているかのように好き勝手に操作を続けていた。画面に映るのは見覚えのある3Dグラフィックだった その映像が何を意味しているかは明白だ。モニター上に表示されているデータと実際のデータを比較すれば、数値にどれだけの開きがあるかを簡単に確認することができる。
もちろんその逆もあるわけだが
「くそぉ」彼は呟いた。そしてキーボードに手を置いた
「こんな時に何考えてんだよあの人は」沢木は不愉快さを隠そうともせずに舌打ちをする
『侵入者は第1実験室に立てこもっている模様です。至急対策本部まで応援願います』スピーカーから流れる女性職員の声が室内に響き渡る。「おい誰かいないか?」沢木は呼びかけた。しかし誰一人として答えようする者はいなかった 彼の声はマイクが拾わない場所へと移動したためだった。沢木は肩を落としたが気を取り直して再び声を上げた。
その時にはもう彼の存在は誰にも感知されることのない存在となっていた。
*
***
【5分前】
A県の某市郊外の雑居ビル、そこの一室に彼らは身を潜ませていた。彼らが身に纏う黒い衣服には血糊が付着しており、床には人間の残骸とも言うべき肉片がいくつか転がっていた。壁には赤黒いものがへばりついている。彼らの目的はここに集まっていた者たちを殺すことだったようだ。つまりはこの部屋にいる連中はすでに全滅させられた後ということになる 部屋には6人おり、部屋の隅の方に身を潜ませる男が4名に対して入り口付近に佇む女がひとり。男は手にショットガンを持っていた。それは彼が所持する唯一の武器だったが、すでに使い物にならない状態である。銃口から煙が上がり弾痕からは白い硝煙が立ち上っているが、それでも男は満足そうだった。むしろ誇らしげでさえあった。
女は彼の様子を観察すると静かに息を吐き、傍らに立つ仲間を見上げる。すると視線に気が付いたのであろうかその男は口を開いた。顔には笑みを浮かべている。この状況にあって、それがどれほど異様な光景であるのか当人たちは気が付いてはいないのだろう。
彼らの目的は単純だった
「これで全部ですかねー。結構な数が居ましたしぃ、まあ問題ないかと」男の口調には緊張感の欠片もない。その隣で壁を背にして腕組みをしているのはリーダーであるらしい。
女が答えるよりも早く、もう一人の仲間が彼女の横に並び立つ
「そうね。これだけ殺れば十分でしょう。目的は果たしたわ。帰る準備を始めましょう」女の声に淀みはない。まるでこの場で起こっている出来事を気に留めていないかのような自然さだ。しかしそれも当然と言えるだろう 何故なら彼女の認識においてはここは現実ではないからだ。彼女はこの場所がどこかも知らない そもそも彼女自身はこの場所について何も知らされてはいないのだ。それ故に彼女は今自分が何をすべきかもわかっていない 彼女にできるのはただ一つ、男たちを見つめることだけだった。「いやぁにしてもお姉さん凄いですねぇ。僕びっくりですよ。こんな綺麗なお嬢様だなんて思わなかったんで」「……」
褒められてる気がしなかったので、彼女は沈黙を守る。「ちょっとだけ僕の趣味につきあってもらってもいいですか?もちろん報酬は出しますから」彼は右手の指を五本立てて見せる「いくら何でもそれだけでは多すぎるわよ。それにそんなことする必要がどこにあるって言うの?」彼女の表情には警戒の色が浮かぶ。彼にとってみれば彼女もまた自分たちと同類であることくらいわかっているのだ。それを金で買おうと言うわけだから彼女は少しばかり驚いているのだった。
だが次の瞬間彼女は後悔することになる。
彼の左手の指は六本増えていた。彼女は思わず悲鳴を上げた 彼女が知る由もないのだが、彼は最初から五本のつもりだった。
それが彼女の声を聞いたことにより六本になったことについては、単なる偶然だった。
しかし、彼にとってそれは幸運以外の何者でもなかった。
【1時間ほど遡る。
5月27日 16時35分 B県 山中にて―――
雨合羽のフードを被ったままではさすがに落ち着けなかったので、俺はそれを外すことにした。そして腰に手を当てて深呼吸をしてみる。少しだけ落ち着いてきたので懐中電灯を点けて辺りの様子をうかがった。
視界は良好とは言い難かったが、それでも何とかなりそうな程度だった。どうやら道はそれなりに整備されているらしく土がむき出している部分もあるが、砂利敷きになっている箇所も散見された。もっとも歩きづらくはなさそうだが、水はけが悪いのだろうか時折水が溜まりかけているような場所がある。注意しながら歩く必要があるだろう。
時刻はまだ16時過ぎだというのに随分と暗いと思った。曇天模様なのは間違いないだろう。周囲が木々に覆われていることに加えて、夜目の効かない俺にとっては光量が不足していることもあって薄気味悪い雰囲気を醸している。正直に言えば引き返したくなっていた。
「まぁここまで来ておいて今更引き返すってのはあり得ないんだけどな」
自分にいい聞かせるように呟いてから先へと進む。山肌の傾斜は急というわけではなかったが、緩くもない。緩やかな坂といった感じか しばらく行くうちに勾配は徐々にきつくなってきたようで息が上がってくる。気温が低いことも影響しているのかもしれないが体力的にかなり辛い状況だ。とはいえここでへばっていては目的地に着く前にバテてしまいかねないので気力で我慢するしかない。何しろここに入る前には登山装備まで持ち出したのに結局使わずじまいになってしまった。あの荷物を持って山の中を引き返さなければならないことを考えるとげんなりした。いっそ途中で放棄してしまいたいという気持ちがないでもなかったが とにかく今は少しでも前に進むことに集中しよう。そう思っていたのだが、前方で何かが動く気配があった。目を凝らすと暗闇の中から白い手がゆっくりと現れてこっちの方に向かって伸びてきているのが見えた。
「…………!」反射的に立ち止まって距離を取り懐中電灯を向けた。すると手はすっと闇の中に引っ込んでいく。その光景に思わず後ずさりをしたその時だった、背筋を走る感覚があった 俺は本能に従い後ろを振り向いたそこには何の変哲もない森が広がっているだけだ。ただ木の影に隠れているだけで何もないと思わせる演出にしてはいささかもったいない。
もう一度正面を見るとやはり何者かが居るようにしか見えなかった。