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オムライスデイ
オムライスを巡る不思議な出来事のお話。
それは絵に描いたような青空が広がる秋の日だった。玄関から1歩外へ出ると風に乗ってきたのだろうか、金木犀の甘い香りが漂っていた。暑すぎた夏は過ぎ去り周囲はすっかり秋に染まっている。今朝観ていたニュースの気象予報士が言うには今日1日通して晴れ、数日は過ごしやすい秋晴れが続くらしい。天気が良いからなんとなくという理由で外に出たものの、どこに向かうのか全く考えていない。こうなれば気の向くまま、成り行くままにと路線バスで向かった先は市内で一番大きなターミナル駅だ。そこからならばバス、電車などといった公共交通機関でどこへでも行くことができる。少し考えたが、遠くに行く気にはなれずに結局は徒歩でいつもは通らないような道へと入っていった。
入り組んだ路地をしばらく歩いていると約4、5m先で猫が室外機の上で毛繕いをしていた。こちらに気がついたのか、動きを止めたと思えばじっとにらまれてしまった。猫は気が変わったのかふらりと去って行く。その姿を見送ってから再び歩きだす。途中耳障りな金属音が聞こえたかと思えばすぐに鳴り止んだ。今のはなんだったのだろうと思いながら古着屋の前を通る。さっきまでこれでもかと金木犀の甘い匂いがしていたのに一切しなくなったことに首をかしげる。見慣れない道の隅に喫茶店のブラックボードが立てられていることに気がついた。普段なら横目で見て素通りしてしまうのだが、目を惹くイラストに思わず足が止まる。描かれてたイラストは喫茶店のロゴと美味しそうなナポリタンやパフェなどの料理たち。一際目を惹かれたのは旗を立てられたオムライス、ランチセットで850円。その場から動かずまじまじと眺めていると喫茶店の扉が開いたのだろうか、ドアベルの軽やかな音が聞こえた。誰かが入ったのか出ていったのか分からない。ぼんやりと突っ立っていると突然晴れているのにもかかわらず雨が降り始めた。ずっとボードを眺めているのもいかがなものか。雨宿りがてら昼食にすることにした。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
カップを磨いていたのだろうか、布を片手にカウンターから出てきたのは大学生くらいの青年だった。
「1人、です」
「1名様ですね。お好きな席にどうぞ」
ざっと見渡すとカウンターにはもう1人マスターらしき人物が作業をしていて座席に座っている人はあまり多くなく空席が目立っていた。入り口に近いカウンター席に座るとすかさず渡されたメニュー表をざっと読む。何にするか悩む前から心惹かれていたのはオムライスだ。コーヒーや紅茶の種類に圧倒されながら一番シンプルなブレンドに決めた。
「すみません、ランチセットを1つ、オムライスとコーヒーをブレンドでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
観察していると青年ともう1人の少女が注文をとり、マスターが料理を作るようだ。カウンターて作業するマスターの動きは丁寧でつい目で追ってしまう。コーヒー豆を挽く音、卵をかき混ぜる音、フライパンに卵を流し入れる音、耳を澄ませているとさまざまな音が聞こえてきた。美味しそうな匂いがして思わずお腹が鳴った。この時間は嫌いではない、ワクワクしながら待つこと更に数分。
「お待たせしました。ランチセットです。コーヒーはまず、何もいれずに飲むのがおすすめです。冷めないうちにお召し上がりください」
目の前に運ばれてきたのはテレビで観るような今時のふわとろ卵のオムライスではなく昔ながらの薄焼き卵に包まれたオムライスだった。トマトケチャップのかけられたオムライスのてっぺんには喫茶店のロゴの入った旗が立てられている。コースターには淹れたてのコーヒーが置かれた。ブラックボードのイラストそのままのオムライスが目の前にある。
「いただきます」
崩された薄焼き卵から現れるのは鶏肉がゴロリと入ったチキンライス。グリンピースや細かく刻まれたニンジン、玉ねぎをも姿を現す。スプーンで掬ってひとくち、酸味の少ないケチャップとほんのり甘い野菜の味が口いっぱいに広がる。久しぶりに食べたオムライスの味は実家で食べていたものとは少し違うけれど懐かしい味がした。コーヒーは言われた通り始めに何もいれずに飲んでみる。苦さと酸味と甘さのバランスがよく、砂糖やミルクを入れなくても飲める美味しさだ。
美味しいものに夢中になっているとあっという間に食べ終えた。伝票をレジに持っていき会計を済ませる。
「ごちそうさまでした。オムライスもコーヒーも美味しかったです」
「こちらこそありがとうございます。良かったらコースターをお持ち帰りいただいても構いませんよ」
「いいんですか!それならコースター、記念に持ち帰らせていただきます。美味しい料理をありがとうございました」
「では、またのお越しをお待ちしております」
コースターを片手に店を出ると雨は止んでいた。雨上がり独特のアスファルトが湿った匂いを嗅ぎながら元来た道を辿る。久しぶりにいい店を見つけたとウキウキしながら帰った。
後日、記憶を頼りに前回訪れた喫茶店へと向かおうとしている。猫がいた室外機を通り過ぎ、古着屋のある通りの曲がり角を曲がればあるはずだ。
「なっ……」
しかし、その場所には全く別の建物が建っていた。看板が写真屋に変わっている。数年ぶりだとか数ヵ月ぶりに訪れただとかなら建物が変わってしまうことはあり得なくもない。しかし、2週間かそこらしか経っていないのに店が消えてしまうことがあるのか。まるで狐に摘ままれたような気分になった。確かに手元には喫茶店で貰ったコースターが残っているのだ。今もポケットの中に……ポケットの中に手を突っ込むとそこは何もなかった。家を出るときにポケットに入れていたはずできっとどこかに落としてしまったのだろうか。
その日の帰り、フラッと立ちよった図書館に保管されている新聞を読んでいた時にその記事はあった。十数年前、先日訪れた通りにある喫茶店が夕刻に雨が降った後忽然と姿を消したらしい。同時にマスターとそこでアルバイトをしていた青年と少女までもが現在まで行方不明のようだ。まさかなと思って見た店の写真が訪れた件の喫茶店と酷似していたのは気のせいだと信じたい。あれは一体なんだったのだろうか。
こうしてオムライスを巡る不思議な出来事は幕を下ろした。