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暗い過去は喰らえ
ⅰ
黒い猫耳をつけた、しなやかな光沢のある髪をふわりと翻し彼女がこちらを見た。
その瞳を真に見て、心臓がドッと高鳴った。
こぼれおちそうなほど大きな瞳。
瞬くときらりと踊る、星のような希望の光を秘めた、純粋無垢な瞳。
猫耳がぴょこりと動き、彼女が目を瞬く。
彼女に出会うために今ここにいるのかと思うほど運命を感じた。
じっと私のほうを見て、彼女は笑顔になった。
「あっ!あなた、文芸部の人ですよね!?」
「え、うん、そうだよ、」
「文芸部に入りたいんです!先輩、全然見かけないんですよね...。だから、文化祭で部誌配るって聞いて、もしかしたら居るかもと思って!」
あぁ...。そういえばみんなで作った部誌をさっきまで配っていた。
「あ...あなたもいる?部誌」
そう言って差し出すと、彼女は元々大きい瞳をさらに見開いた。
そして一度瞬きをした後、満面の笑みで受け取った。
「うわぁ....すごい...!」
ぺらぺらとめくり感嘆の声を出した彼女は私の手に紙を押し付けて何処かへ走り去ってしまった。
「あ、ちょっと...」
紙を見ると...入部届だった
紙を押し付けられたらもうどうしようもない。私はあきらめて彼女を入部させることにした。
ちらっと紙を見ると、名前の欄に「黒波こう」、入部希望理由の欄は空白だった。
翌日、私は狭い部室に行きノートパソコンを開き、文字を打ち込む。
しばらくたった時、扉がガラリと大きな音を立てて開いた。
「わっ!もう居る!」
「あ、黒波さん...。」
「あのっ、わたし、小説書いてみたんです!」
そういって彼女はノートパソコンを見る。
「......小説を書く、少女の話、なんですけど......。」
---
ひとり、原稿用紙に向き合う少女が居た。
少女の名前は|奏良《そら》。
暗い部屋で思い出す。
__「奏良ちゃんはなんにもできないんだからそこで見てて」__
__「ちょっと!なにやってんの、奏良ちゃん!!何もしないでそこでみててよ!」__
嫌な思い出がフラッシュバックしてきて、頭を下げてひたすら原稿用紙に文字を書き殴る。
気が付いたら原稿用紙40枚分の小説ができていた。
お母さんがコンテストに出してみたらというので出した。
結果は、もちろん受賞も何もしていなかった。
「奏良?どうだった?」
「お母さん....ッ、わたし、なんにもないっ、得意って言えること、なんにもない....っ」
急に泣き出し蹲る私を動揺もせず撫でてくれるお母さん。
その暖かい手は私を苦しめた。
星が降る夜。
川は光を写してキラキラと瞬いている。
ひんやりとした中でゆらゆらと揺蕩うその身はふっと笑んでいた。
---
「ふぅん、…」
「どっ、どうですか!」
率直なそのままの感想を彼女にぶつけていいのか。そのまま言ったら彼女は壊れてしまわないだろうか。
「お願いします。忖度なしで言ってください。」
「...文章が無駄に長くて分かりづらい。話の顛末がわからない。」
率直に言うと、彼女はふっと儚げに微笑んだ。
「ですよね...。__まだ、いける__」
どういう意味だ?
「私、なにもできないんです。でも、大好きな小説なら....小説なら書けるかもしれないって思ってっ!」
彼女のひたむきなその姿勢に、私は目をはっと開く。
なんで、どうして彼女はこんなに前向きでいられるんだ。
あんなにひどいことを言われたのに、まだいけると希望を捨てずに、必死に励んでいる。
そうしんみりとしていたら、扉がゴゴゴゴゴッと軋んだ音を立てて開いた。
「あれ、だれ?」
「あ。」
彼女は泡沫アリス。少し|特殊趣味《へんたい》である。
「黒波こうです!新入部員です!!よろしくおねがいいたしますっ!」
「泡沫アリスです~!!!__かわいいですね...ふふふ__」
アリスの性癖にマッチしたらしい。じっとりと視線に舐めまわされている。可哀想。
「こら、可愛いのはわかるけど、そんな目で見ないの、こら。」
アリスは無視する。
おい!!
すると、急に横で黒波さんがビクゥッと揺れた。見ると顔を真っ青にして窓を見ている。
「黒波さん?」
反応がない。ただ1点を見つめ、唇を真っ青に震わせている。
「...黒波さん~?」
アリスもおかしく思ったのか声をかける。
「ごっ、ごめんなさい、急に、」
「大丈夫?」
「あ、だいじょうぶ、です」
息は荒いが顔色は戻った。
「むかしの...むかしの友達が、そこを通っていて、驚いただけ、です、!」
にぃっと彼女は笑った。けれどその笑顔が偽物の貼り付けた笑みに見える。
「何か、あったの?」
アリスは素の心に刃物を入れる言葉を放つ。
「...」
一瞬で表情に影が落ちる。
「...その友達とそりがあわなかっただけです」
きっぱりと言い放った。
「そう」
もう少し気の利いた返事ができなかったものか。
「え?ケンカでもしたの?」
思わず言ってしまった
ⅱ
先輩の間延びした声が響く。
夕陽が差し込んで先輩の瞳がチカっと瞬く。
妙に勘のいい彼女の瞳が妖しく輝る。
「まさかぁ。ケンカなんて、しませんよ!」
いつものように笑顔を張り付けて明るい声で笑ってみせる。
けれど重たい空気はぬぐえない。
誰も何も言わない。
___重たい雰囲気は嫌いだ。
いつも私のせいで重ったるい空気にならないよう、無理にでも笑顔と明るい声で乗り越えてきた。
ははっと乾いた笑い声が出る。
「深入りしないでくれませんか。私の問題ですから、あなた達には関係ないじゃないですか」
大嫌いな、重い空気
それを他でもない私自身が作ってしまった。
泡沫先輩が、まりあ先輩が悲しい瞳でこっちを見ている。
ごめんなさい、といつものように頭を下げようとした。
したけれど、できなかった。
過去の苦い思い出。
それが頭にふっと浮かんだ。
思い出さなくていい。
この記憶は底に沈めておけばそれでいい。
過去のこと、もう過ぎたことだから。
私は早足で扉へと向かう。
「失礼します。」
ゴゴゴッと軋んだ音を出しながら扉を閉める。
中からは何も聞こえてこない。
はぁと大きな息をつく。
人間なんてどうせ自己愛の塊だ。
自分の非を認めない、認めたくない。
誉められたい。
自分が1番だって認めさせたい。
本当に純真な人間なんていない。
人間はみんな愚かで弱い。
過去の記憶を沈めても沈めきれない私もまたその人間だ。
アイデンティティが崩れていく。
ⅰ
「う...これじゃ、」
絞り出すようにうめいたアリスの声が静かな部室に響く。
__「これじゃ、前といっ」__**ガタガタガタッ**
大きな音を立てて扉があいた。
「紗樹!」
思わずさけぶ。
「よっ、ひさしぶり」
長い髪をひとつにまとめた不敵に笑う麗人。
「|風呂光《ふろみつ》さん」
驚きを隠せていないアリス。
|風呂光 紗樹《ふろみつ さき》
|霜野中学《先進校》での唯一の不良との噂の紗樹。
去年後輩へ暴力などをふるっていたことから1か月間停学になっていた。
それから部活には音沙汰がなかった。
「何しに、来たんですか、」
アリスの声が震えた。
「いやぁ、久しぶりに来たんだけど相変わらず増えないねぇ、部員。」
紗樹は昔から変わらない。
何を考えているのか全く分からない。
「おもしろくねぇな」
彼女が新入部員が入ったと聞いたらどうしよう。
きっと...
紗樹は髪をほどいてツインテールにして部室から躍り出ていった。
ぱたたたたっ、と軽快な足音が消えるまで息を詰めて、肌がぴりぴりとするほど冷たい空気を持つ。
ばくばくと鳴る心臓を抑えながらアリスを見る。
「どう、しよう....っ」
アリスの目はぐるぐると焦点が合わずに動く。
ガララッ
扉が開いて黒波さんが駆け込んでくる。
「アリス、おちついて、」
「泡沫先輩?!どうしたんですかっ!?」
「まり、真理愛、どうしよう、どうすればいいの?
風呂光さん、絶対あの子のこと気に入っちゃう...!!また真理愛と同じことになっちゃう...!!」
まって、
それは言わないで、
私については、言わないで、
**「また紗樹を暴走させて、紗樹がまた真理愛みたいに自殺させるまで追いやっちゃう...!!」**
その言葉を聞いた途端黒波さんの体がふっと倒れた。
ⅲ
「このことは、絶対にこれから入ってくる文芸部の子には言っちゃだめだよ」
そう唇に手を当ててふわっと笑う真理愛。
そして、車が行きかう国道に身を投げた。
飛び散る鮮血。
たくさんの花が置かれた献花台。
「勝手に死ぬなよ、俺が悪いみたいになったじゃないか」
ぶつかった車、真理愛を轢いた車の運転手がぼつっと愚痴る。
事故と見せかけて、真理愛が死んだ。
自殺だとはだれも思わない。
もっと風呂光は重い罰を受けるべきだ。
人を殺した。
なのに1か月の停学で終わった。
許せない。
人を殺したのに
ただ一か月休むだけで終わり?
なんの反省にもなってないだろ!
ふざけんな!!
真理愛に謝れ!
ⅱ
目を開くと、泡沫先輩の瞳が心配そうに揺れていた。
「ごめん、言ってなかったですね、」
「どういうことですか!?まりあさんって...」
ここにいるじゃないですか、と続けようとした。
けれどそのあとの言葉が衝撃的すぎて、言えなかった。
**「秋真理愛、もと文芸部長。去年、風呂光紗樹にいじめられて自殺した。」**
え、と乾いた声が漏れる。
風呂光先輩の名前が出たことにもとっさに驚いたが、それより―
やめてと先輩は叫んでいる。
じゃあ、
じゃあ、あの先輩は...
いわゆる、幽霊、?
え、でも先輩透けてないし..きっと、先輩が嘘をついているんだ、
幽霊なんて私は信じない。子供じゃあるまいし。
「みんなは、本当の真理愛を知らない。あの子は人一倍弱いから、僕が守ってあげなきゃダメだったのに」
はらはらと大粒の涙を流す泡沫先輩に、嘘じゃないと思わざるを得なかった。
「っ、じゃあ、私も過去を話します。」
聞いてしまった罪悪感から逃れるために身の上話をする。
「僕、昔仲の良かった人がいたんです。でも、そのひとはちょっと他とは違う感じの人で...」
すっと息を吸って一息に言う。
「蹴ったり、たたいたり。そういう、人をいたぶることを快感と感じる変わった人でした。」
あの光景がフラッシュバックする。
蹴られて、殴られて、目の前がちかっと霞んで見えた。
そうだ。僕も__。
思い出した。
この人は、わかるんだ。
「先輩。僕が何を言ったって信じてくれますか。」
こくっと先輩はうなずく。
「っ、僕も、僕も真理愛先輩と一緒です。」
「え、?」
「僕も、ふろ...サキに追い込まれて自殺しました。」
あの美しい整った顔がどれほど恐ろしく見えたか。
それに比べ、あの人は__
かかえていた本を落としたとき
「この本、好きなの?」
わざわざ屈んで本をとって優しく微笑んでくれた。
長い髪を耳にかけたその仕草だけでどきっとする。
そのひとが亡くなったと知らされて
我慢の限界を迎えて
荒れる川に身体を投げようかと欄干の手すりを掴んだとき。
髪にふっと風を感じた。
あの優しい香り。
そして、耳に聴こえたあの、耳に残る温かい声。
‹ ひらりはらり 桜落ち あなたの声も消え飛ぶわ ›
温かい優しい声で紡がれる歌はとても澄んでいて美しかった。
「泡沫先輩は僕が見える特殊な人間です。
あと一人、僕が見える人がいます。」
もしかして、と泡沫先輩が息を吸う。
---
ⅰ
あぁ。彼女もそう。私と同じだ。
あの時の本を拾う優しい瞳は今でも覚えている。
川に落ちようと手すりを掴んだ手を握って、歌を歌った。
やめてほしいなと祈りを込めて。
黒波さんがついに言う。
「まりあ先輩です。いま、ここに居ますよ。」
「え、まりあが、いま..?」
ひとつだけ
人間の前に姿を見せる方法があるらしい。
この世から去り、上の世界へ行くことと引き換えに、人間に姿を見せられるそうだ。
いま、すべきなのか。
もし本当の情報でなければただの成仏損だ。
「まりあ、また会いたいよ、」
「まりあと一緒に泊まりたい。まりあと一緒に勉強したい。まりあと一緒に修学旅行に行きたい」
アリスの声が止まる。
「まりあと一緒に、卒業したい」
心からの切実な願い。
叶うはずだったすべての願い。
私が死のうとしなければ叶っていた。
誰が悪いかなんてわからない。
紗樹が悪いのかな。
でも紗樹は自分にとって楽しいと思うことをしただけ。
じゃあ勝手に死んだ私が悪い?
それを止めなかったアリス?
後になって悔やんだってどうにもならないのは分かっている。
だから、今できる最善のことをしたい。
「黒波さん」
声をかける。
「はい?」
「また会えたらいいね」
「? え、あ、はい。また、ね?」
ここから居なくなったって良い。
だから、あと一回だけ
アリスと話をしたい___!!
「真理、愛?」
「うん。真理愛です」
「ッ、なんで勝手に死んじゃうの!?アホ!バカ!」
まず何か言われると思ったのに...第一声が罵倒か...。
あはは、アリスらしいな。
「ごめんね。アリス、」
「私はいつもアリスの傍にいる。だから、修学旅行も、勉強も、卒業式も全部私と一緒にできるよ。だから、忘れろとは言えないけど...気に病まないで。」
アリスはすんっと鼻を啜る。
**「私が死んだのはアリスのせいじゃ全くないんだからね。」**
「真理愛...あ、ありが、ありがとっ、、真理愛あああああああぁ......」
「まったく、もう。子供じゃないんだから。」
そういって私はアリスに微笑む。
すると目の前が真っ白になって________。
もう、終わりか。
またね、黒波さん、アリス。
---
ⅱ
桜が目の前をひらひらと舞っていく。
「卒業証書」
私の名前は書いていないけれどそう書かれたものを持ち、静かに文芸部の部室へと向かった。
「まりあ先輩。卒業、しましたよ...!」
先輩に会えてよかった。
先輩の歌声は綺麗だった。
何にも代え難い思い出を手放すときがやってきた。
もうこの後はさっさと成仏すると決めた。
サキの前に姿を現してから。
私はそっときしむ扉を閉める。
「先輩、またね」