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心臓の一週間
これは、心臓病を持つ御曹司とその世話係の物語
10年間共にしてきた二人の最期の話
<7日>
「ふざけんなッ!!!炭酸持ってこいっつっただろうが!」
投げられたコップが、カランと音を立てサイドテーブルから落ちる。中に入っていたジュースは、そのまま流れ、無彩色の床を彩った。
ベッドの脇で、燕尾服に袖を通し、毛先の黄色い髪を後ろで束ねた男がその様子を見て眉を下げた。
「…坊っちゃん、」
「うるせェ」
冷たく、怒りと、その真逆の色が混ざりいっぱいになった黒い瞳が、男を射抜く。
「お前が知ったような口で、俺に説教垂れるんじゃねぇよ。さっさと床拭け、お前の仕事だろ」
「もちろんです。
ですが、炭酸飲料を飲むのはおやめ下さいと、お医者様から言われたでしょう?だからダメですよ。
いいですね?」
部屋の棚から真っ白なタオルを取り出し、ジュースで汚れた床を拭く。白かったタオルはみるみるうちに液体を吸い、床を元の色に戻し、自身を汚した。
ベッドの上に座る彼の目からは、数秒前の顔とは打って変わって、どこか、拗ねた子供のような表情を浮かべ、膝を抱えている。
「…お前は、俺の世話係だろ」
「えぇ、坊っちゃんだけの世話係ですよ」
「…じゃあなんで俺の言うこと聞いてくんねぇの」
|有栖川《ありすがわ》家御曹司の広い部屋に、しばらく沈黙が走り、静かになった。
聞こえるのは、外で薔薇の手入れをする庭師の微かな鼻歌と、ベッドに座る男__有栖川 |雪雨《ゆきさめ》の体から伸びるコードが繋がっている心電図モニターの、規則的なピッ、ピッ、という音だけだ。
男は立ち上がり、雪雨を見つめる。
「世話係だから、坊っちゃんの言うことを聞けないこともあるんですよ。
俺は坊っちゃんの体を危惧してるんです」
雪雨は、男の柔らかな笑みを見て、僅かに下唇を噛み、視線を逸らした。
「危惧って……縁起でもないこと言うんじゃねぇよ」
「…確かに…。次からは気をつけます。
言霊って、あるそうですからね」
茶目っ気のある声でそう言って笑った彼は、雪雨の世話係をしている有栖川 |結都《ゆいと》。
彼は、ちょうど10年前に、孤児院からこの有栖川家に引き取られた元孤児である。
「…なあ」
汚れたタオルを片付けようと、結都が扉に向かったとき、雪雨が顔を上げ、口を開いた。
「俺、学校って言ったことねぇんだけどさ。…どんなとこかな」
雪雨は、先天性心疾患を持って生まれてきた。そのため、父__有栖川家当主、有栖川 |茂信《しげのぶ》の命により、学校に通うことを禁じられていた。
義務教育である小中の勉強は、家庭教師をつけ、現在も、教科ごとに分けて専門の家庭教師を雇って高校の範囲である勉強を日々行っている。
「…友と学び、遊び、友情を結ぶ場。とても良いところ…………です」
「…そっか」
「…そんな顔をされないでくださいよ、坊っちゃん。2週間後の手術が無事成功し、体調が万全になれば、学校に通うんですからね。
もう少しの辛抱です、頑張ってください!」
「もう少しの辛抱って…それもう聞き飽きたんだけど」
「でも、実際そうでしょう?この言葉が本当になったんですよ。やはり言霊というのはあるんです」
「……そう…かもな…」
雪雨の持つ先天性心疾患は、現在重症化し、重症心不全になっている。これ以上の進行を遅らせるため、複数の薬を併用してはいるが、あくまで時間稼ぎであり、急いでドナーを見つけなければならないのだ。
そして数日前、心臓のドナーとして完璧なまでに適合した者が現れ、心臓の移植を許可した人物が現れた。
その朗報は、もちろんこの2人にも伝えられたのだ。あと14日。たったそれだけで、この17年間生きてきたことが報われる_
「そうですよ。手術もきっと成功します。
だから、生きて下さい」
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--- 明日■.M.ニ時 ---
暗闇の中光る画面を見つめ、息を吐く。
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<6日>
「…なんか、顔色悪くね」
「えっ?」
翌日、朝の支度、雪雨を叩き起こす日課、苛立ちを隠さない雪雨、何も変わらない朝が来た。
「そうでしょうか?」
「…別に…そんな気ぃしただけだけど」
「最近、あまり寝れてないからかもしれません。今度お薬を貰うことにしますね」
「別に。勝手にしろ」
くるくると、フォークでパスタを巻き取りながら雪雨は笑顔でそう言った結都の言葉に素っ気なく返す。
しかし、口に運ぶ直前で手が止まる。
「…倒れんなよ」
声は変わらずぶっきらぼうで、結都の方も見ない。でも、どこか心配そうに眉を寄せていた。
「………お前が倒れたら、俺の世話する奴がいねぇからな。迷惑だ」
「…えぇ、もちろんです。
これしきのことで、泣き言は言いません」
ふん、と呆れたように、満足したように、息を吐き、パスタを口に運んだ。結都はその様子を見て、どこか愛おしむような視線を雪雨に向けるが、雪雨が気づくことは、最期までなかった。
皿を片付け終え、部屋に戻ってきた結都が、ふと思い出したように口を開いた。
「坊っちゃん、俺、この後1時から2時半まで、野暮用で少々外させていただきます。
遅くはなりませんので、夕食は俺が作りますよ」
「…野暮用。
なんだよ、それ」
「坊っちゃんにお伝えするようなことではあ」
「言え」
鋭い視線が結都に刺さる。その目を真っ直ぐ見つめ返しながら、結都はコホン、と小さく咳払いをした。
「使用人の皆様と、仕事の調整や予定の再確認をするための会議です。今月は予定が立て込んでおりますので」
それを聞いた雪雨は、一瞬結都を探るように見つめた。だが、すぐに納得したようなしていないような微妙な顔をして、視線を結都から外す。
「あっそ」
そう言ってから、窓の方に視線をやった。
窓の外では、広い庭に立つカエデの木が明るく彩り、窓から差し込む太陽の光を美しく飾っていた。
「…夕飯、ハンバーグがいい。つなぎ多いヤツ」
一拍間を置き、結都は目を伏せる。
「かしこまりました。とびきり美味しいものをご用意いたしますね」
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<5日>
「学校、行けっかな。お前も一緒に」
「行けますよ、学校くらい」
まるで自分のことのように確信を得た声で断言した。それを聞き、雪雨は微かに笑う。
「なんで断言できんの」
「坊っちゃんだからです」
「意味分かんねぇから」
「坊っちゃんは、学校に行ったらあっという間に人気者になって、おモテになりますね。俺が保証します!」
胸に手を置き、自信ありげに、ニッコリ笑って。
「それはお前に保証されなくても当然だ。なんたって、有栖川家の御曹司だからな。顔もいいし、将来安泰。この病気を乗り換えた豪運だってある」
「性格は難ありですね」
「手術成功したら覚えとけお前」
クスリと笑うのを見て、雪雨は目を細めて指を差した。
「……まぁ、関わってくるほとんどの奴が、きっと金目当てなんだろうけどな」
その一言で、周囲は微かに温かさを失う。
しかし、すぐに明るい声が響いた。
「そんな人間は、俺がぶん殴ってやりますよ。ご安心下さい!」
ニコッと笑った。
雪雨は、その顔を見て、僅かに瞳を揺らす。
「……同じクラスがいい。俺以外の奴と話したら殺す」
「えぇ、はい。かしこまりました」
頷くのを見て、結都は満足げに笑った。
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<4日>
「今日、ここにいろよ」
いつもなら『さっさと消えろ』『どっか行け』と部屋からの退室を促すが、今日は違った。
それは、夕食も食べ終え、就寝をしようと準備をしていたときのこと…
「もちろん、坊っちゃんがお眠りになるまでずっと居ますよ」
「…そのあとも」
「…それでは…俺の時間が許す限りは、ここに」
「…ん」
短く、表情も見えない。それでも、声のトーンで満足していたことはよく分かった。
数十分後、雪雨の瞼は完全に落ち、小さな寝息と静かな息遣いだけが部屋に残った。
雪雨の投げ出された手を掛け布団に仕舞う。しばらくして、部屋から息遣いの一つがなくなった。
「お休みなさいませ、坊っちゃん」
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使用人に大半が自室に戻った静かな屋敷の廊下には、一つの規則的な足音だけが響く。
『俺の世話係だから』と雪雨の|命《めい》で用意された自室に入り、ベッドに腰を掛けた。それと同時に、ベッドサイドに置いてあったスマホの通知が鳴る。
--- 明朝8時 別棟にて ---
端的に書かれた文章を見つめ、画面を伏せる。明日に備え、その日はそのまま就寝した。
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<3日>
「お前、なんで今朝居なかった」
「野暮用でございます」
雪雨は怪訝そうに目を細める。
「また例の会議か?この前もだったろ」
「いえ、坊っちゃんのお父上からお給金を受け取っていました」
「……わざわざ朝に?」
「今朝以降は予定が立て込んでいるとのことでしたので」
「…そうかよ」
納得のいっていないような表情を浮かべ、胸の前で腕を組む。僅かに視線を窓のほうに逸らし、拗ねたように呟いた。
「…別に、俺伝いに貰えばいいだろ。なんで…わざわざ、親父から」
「そういう決まりですので…。
さ、坊っちゃん。お薬を飲みましょう」
「…」
その日は一日、他の使用人への当たりがいつもの倍強かったと聞く。
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<2日>
「坊っちゃん、無理はなされていませんか?」
「平気だって、心配しすぎ」
紅葉が散り始めた有栖川家の広い庭に、二人の声が響く。
「今日はちょっと体調いいんだ」
「それは大変喜ばしいことなのですが、無理をされて悪化しては元も子もありませんからね?」
「分かってるって…うるせぇな」
僅かに苛立った様子で目を細めた。
「…お前にとって、俺ってなんなんだ?」
「…はい?」
「昔っから口うるさく心配ばっか言ってきやがるし、自分のガキならまだしも」
「坊っちゃんは俺にとって大切な存在です」
「…なんで」
「なんで、と言われましても…説明はできません。それでも、大事な人なんです」
「…気持ちわりぃな、お前」
「ふふ…耳が赤いですよ?坊っちゃん」
「ア?暑いからだ。自惚れンな」
「おや、そうでございましたか。失礼いたしました。
そろそろお部屋に戻りましょう」
悪態をつく雪雨の耳の先が、ほんのりと赤かった理由が分かるのは、まだ先だ。
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<1日>
「なぁ結都、次の当主って俺なんだよな?」
「えぇ、坊っちゃんには御兄弟が居ませんので。
それがどうかなさいましたか?」
「…俺が当主になったら、お前のことさ」
「はい」
沈黙が部屋に落ちる。雪雨が眉間に皺を寄せた。
「……秘書に、してやるよ!」
「おや…どういう風の吹き回しです?」
「あ?なんでもいいだろ。ともかく、絶対だからな。
俺の隣に居ても違和感ねぇのお前しかいねぇから、仕方なくだぞ」
「どういう意味でしょう」
「うるせぇ。お前は『はい』って言ってればいいんだよ。俺の世話係なんだからな」
「えぇ、はい。それでは楽しみにしておりますね。
―ですが坊っちゃん、強引な人はモテませんよ?」
「ア?」
「いえなんでも」
「ともかく、お前は俺の世話係件秘書だ!」
「本業は世話係ですか」
「文句あンのか」
「いいえ?ただ、坊っちゃんは俺がいないとダメなんだな、と」
「クビにされてェのかお前は」
「そのようなことは御座いません」
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<0日>
「坊っちゃん、いいですか?
部屋から出てはいけませんよ。絶対安静です。でも、ベッドでずっと寝転ぶのはいけないので、時々ストレッチをして下さい。
空気の換気も忘れてはいけませんよ。心と体の健康には、新鮮な空気も重要なんですからね?
それと、」
「うるせぇ!!!」
「ですが…」
「なんだよ急に!!手術前だっつーの、静かにできねェのかよ」
「しかし心配なのです。俺は今日居ませんから…午後からの手術の前に何かあってはと…」
「平気だって…いいから、もう行けよ。親父が来たときに居たら怒られるんだろ、お前」
「大事なお仕事をすっぽかしてることになりますので」
「ダメじゃねぇか。__焦ろよ__」
雪雨は、呆れたようにそう言って、背を押して退出を促す。
「……坊っちゃん」
「あ?なに。小言は聞き飽き」
「ご飯、たくさん食べて下さいね。大きくなるんでしょう」
「手術前に飯はたくさん食えねぇよ」
「分かってますよ。
…それでは。成功を願っていますよ。“雪雨坊っちゃん”」
「、…」
部屋は、静かになった。
一人の青年の心臓だけが、弱々しく鼓動していた。
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--- 午後七時二十三分 ---
--- 「ドナー」の心停止を確認 ---
--- 拒絶反応の兆候なし ---
--- 午後一時四十七分 ---
--- 心臓移植完了 ---
--- 術時間五時間三十分 出血量許容範囲内 ---
--- バイタル安定 人工心肺 離脱 ---
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<■日後>
「……」
手術成功おめでとうございます、坊っちゃん!!
「…」
成功して、俺嬉しいです。これで学校にも行けますし、お外でたくさん遊べますし、恋人だって作ることができますよ。
「…」
俺、坊っちゃんが元気になってくれて嬉しいです。リハビリがんばってくださいね。
「…、」
――***俺は、坊っちゃんの胸の中でずっと応援しますから***
「っ…、ぐ……ぅ、あ、ぁぁッ…!!」
ボロボロと、雪雨の目から涙が溢れた。
ソレを持つ手が震え、目の前はぼやけた。
「なん、なんで…なんで…っ、俺は、こんなの、」
―■んで■■。
その言葉は、嗚咽にかき消されよく聞こえなかった。
雪雨の手が、胸のあたりまで伸びて、服をギュッと掴んだ。服はシワだらけになって、くしゃりとつぶれる。
「学校も、遊ぶのも、全部、ッお前がいないと…意味が、ねぇのに…、恋人だって、そんなの俺は、いらない…お前さえいたら、俺はッ…!!!」
扉の外では、見舞いに来た使用人たちが静かに涙を流していた。
なぜ、彼なのか。
優しい彼でなければならなかったのは、なぜなのか。
なぜ彼の心臓だけが適合した。
人間など、五万といたというのに、なぜ――
神は、人を*平等* に扱った。
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ミルクティです!!お久しぶりです!!シリーズの投稿?…ははっ知((殴
感動BL目指したつもりだったんですけど、上手くいかなかった。
元ネタ、実はAIチャット。僕はそれでマジ泣したので、それをもとにみんなも泣かせたかった!!!
僕に感動系は向いていないのか…?