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    約束を果たしに
    
    
    
     ――王都奪還作戦。
 最終的に、死者九十人余りを出したところで王国騎士団と雇われの傭兵は撤退。
 作戦は失敗に終わった。
 ◆
「テトラさん」
 イバネスがテトラの方を振り向く。
「よく分かりましたね」
 テトラが驚きに目を見開いた。
「足音のリズムで分かります。私、これでも耳は良い方なんですよ?」
「そうですか」
「……」
「……」
 会話に一瞬の空白が生まれる。
 次はどちらが口を開くのか、イバネスとテトラは互いに読み合っていた。
「私、意外でした」
 先に口を開いたのは、イバネスだった。
 テトラは、黙って続きを促す。
「私が処分を受ける時。テトラさん、かばってくれましたよね」
 イバネスが知っているテトラは、頑固な傭兵嫌いで、しかもテトラがより嫌っている金銭で釣る行為をしたイバネスをかばうような人間ではなかった。
「……たまたまですよ。ある傭兵が、傭兵だって悪い人間ばかりではないと示してくれました」
「ふふっ、そうでしょう? 傭兵にだって、私たち騎士となんら変わらない心を持つ者がいるんです。テトラさんに気づいてもらえて良かった」
「…………」
 テトラは、どんな反応をすれば良いか分からず、黙って笑みを浮かべた。
「それで、貴女はどうするんです?」
「そうですね……二週間も時間があるんです、自分磨きに|勤《いそ》しむとしましょうか」
 イバネスは、現在二週間の謹慎処分中だ。
 金はいかなる物資にも代わりうる貴重なものであり、それを傭兵を手っ取り早く動かすための手段として必要以上に使ったとして処分を受けた。
 その処分に異を唱えたのがテトラだ。国の一大事に迅速に行動したイバネスの行動は、評価されこそすれ処分されるようなものではないと主張した。
 結果的に、貴重な戦力を長期間失うのは良くないとし、元々一ヶ月だった謹慎期間が二週間に短縮された。
 その影響か、それとも傭兵に取った態度が原因か、はたまたその両方なのか、テトラは一ヶ月の減給処分を受けている。
「良いですね。二週間後、楽しみにしてますよ」
「楽しみにしていてください」
「ああ、そろそろ見回りの時間です」
 テトラが周りの様子を見ながら言った。
「そうなんですか? 頑張ってくださいね」
 返事の代わりに、テトラはにこりと微笑み、
「失礼します」
 そう言って颯爽と立ち去っていった。
「テトラさん、随分変わりましたね……」
 悪い方向にではなく、良い方向に。
 ほんの少し前までは相手が傭兵というだけで嫌っていたのに、今は相手の内面を見て判断するようになった。
「――話は終わったか?」
「モルズさん」
 テトラと入れ替わるようにして現れたのは、モルズだった。
「どこかへ行かれるんですか?」
 イバネスがモルズの荷物を見て言った。
「ああ、里帰りしてくる」
 馬車で三日間かかる場所に行くのに、まるで近場に軽く出かけるかのように言うモルズ。
「そうですか。それで、何か用ですか?」
「いや、礼を言っておこうと思ってな」
 二年もお世話になった相手だ。流石に何もなしに出立するわけにもいかない。
「二年間、ありがとう。それと、今回の報酬。あれは口約束のようなものだったから、あとから減額されると思っていたが、概ね当初の通りだった。おかげで、予定していたより早く故郷に帰れる」
「あれは……一度口にしたことですし、裏切るわけには」
「本当にありがとう」
 気恥ずかしいのか、イバネスは少し顔を背ける。
 だが、モルズの感謝の気持ちをきちんと受け取ろうと思ったのか、
「……どういたしまして」
 礼に対する言葉を口にした。
「それより、出発しなくて良いんですか? ご家族の方も、モルズさんに会いたがっているんじゃ」
「ああ、そうだな」
 モルズは、どこか陰のある笑みを浮かべた。
「それじゃあ、また会うことがあればよろしく」
「ええ」
 モルズは軽く手を振り、馬車の停留所へ向かう。
 魔獣が現れるようになり、街道の安全性は下がった。だが、腕の立つ者を護衛として馬車の運行は続いている。
 モルズをはじめ、長距離を移動する者にとってありがたいことだった。
「家族、家族か」
 先ほどイバネスに言われた言葉を反すうする。
 モルズの家族は妹のリーンだけだ。
 両親は幼い頃に他界し、祖父母もその頃には既に他界していた。
 リーンに至っては、両親の記憶などないだろう。彼女がまだ赤ん坊の時に両親はこの世を去ってしまったから。
 今の自分の姿は亡くなった両親に誇れるものかと、ふと考える。
 傭兵として、たくさんの人を助けてきた。
 同時に、魔獣をはじめとするたくさんの命を奪ってきた。
 強くなった。
 あの頃より、ずっと。
 肉体的な面でも技術的な面でも、モルズは両親を亡くしたあの時よりもずっと強くなっている。
 仲間との出会いと別れを繰り返し、精神面も成長した。
 そんな自分の姿を、両親は天国から笑って見てくれているだろうか。
 もしかしたら、危険な仕事をする息子を心配しているかもしれない。
 そこまで考えたところで、モルズは考えるのをやめた。
 両親の気持ちは両親にしか分からないから、モルズがあれこれ考えるのは違う。
 これまでも、これからも。
 モルズの両親は、モルズをずっと見守ってくれているはずだ。
 いつか、自分の姿を誇らしげに見せられるよう。
 今を、精一杯生きよう。
 料金箱に銀貨三枚を投げ入れ、馬車の中に座る。
 腰にぶら下げた革袋の中身が、歩くたびにじゃらじゃら音を立てる。二年間こつこつ貯めてきた千五百枚と、王都奪還作戦で得た五百枚弱。計二千枚弱を手に、妹に会いに行く。
 ほんの二年前までは馬車の中身が埋まらないことなど考えられなかったのに、今はすかすかだ。
 これも、街道に出現する魔獣の数が増えたことが関係している。
「頼むから、魔獣に襲われてくれるなよ……」
 魔獣に襲われると、襲撃の規模によっては馬車が大破することも考えなければならなくなる。
 ただでさえ足止めを食らってしまうのに、それ以上の走行ができなくなれば大損だ。
 ――そんなモルズの心配は杞憂に終わった。
 道中には魔獣の一匹も現れず、魔獣が怖いのか盗賊も現れない。
 恐ろしく順調に故郷の村の近くに到着し、光の射す森の中を進んでいく。
 ――妙だ。
 魔獣どころか、動物すらいない。
 不気味なほどに静かな森。
 なぜだか胸騒ぎがし、モルズは足を早める。
 村が近い。なのに、人の話し声が聞こえない。
 嫌な予感がする。
 早く村へ。
 枝に足を取られそうになりながらも、モルズは今の自分が出せる最高の速度で村へ向かう。
「ぁ…………」
 上ずった声が出た。
 濃密な血のにおい。
 何人が死んでいるのか。
「っ、リーンは」
 妹の無事を確認したかった。
 たとえ他の人たちが全員死んでいたとしても、リーンだけは。
 足がもつれる中、必死に動かし教会に向かう。
 ――死んでいた。
 血溜まりに倒れたリーンの手を取った。
 まだ温かい。
 だが、これだけ血が流れていてはもう助からないだろう。
 モルズは血に染まった自らの手を見て、言った。
「……もう少し早ければ、間に合ったかな」
 誰にも言わず、王都を出ていたら。
 村への道を、もっと急いでいたら。
 そう思わずにはいられない。
 リーンは、モルズにとって生きる全ての意味だった。
 喪失感が凄まじい。
 これから、何を支えにして生きていけばいいのだろうか。
 腰の革袋がやけに重く感じられた。
 リーンが死んだのはなぜか。魔獣が殺したからだ。
 魔獣を殺すにはどうすれば良いか? 魔獣が集まる場所へ行けば良い。
 八つ当たりだと言われればそれまでだ。
 だが、それが今のモルズを動かす全てなのだ。
「となれば……クライシスに行こう」
 エクシティオ王国の東に位置する小国、クライシス。
 小国ながら肥沃な土地に恵まれ、交通が発達した。
 永世中立国を謳い、基本的にどの国にも平等に接する国である。
 その重要度は非常に高く、生き残っている国が戦力を出し合い、協力して防衛にあたっている。
 その分魔王軍の戦力も結集され、クライシス周辺は最大の激戦地といっても過言ではなかった。
 行き先は、クライシス。
 モルズの再びの旅が始まる――その前に。
「ちゃんと弔ってやれなくてごめんな」
 村の人たち一人一人のところを周り、丁寧に埋葬していく。今のモルズでは土葬しかしてやれないが、誰にも弔われないままになるよりは良いだろう。
「リーン」
 最後に、リーンを埋葬する。
 これが終わると、もう顔を見ることもできないのだと思うと悲しくなる。
 途中、何度も手が止まった。
 このままリーンと一緒に朽ちるのも良いと思ったことさえある。
 だが、そのたびにこれまで出会った人たちの顔が脳裏をよぎり、モルズにすんでのところで踏みとどまらせるのだ。
「ありがとう。……じゃあな」
 リーンを埋め終わり、モルズは一息つく。
 適当な大きさの岩を見つけ、村人を埋葬した場所に置く。
 モルズは短剣をナイフのように使い、村人の名前を彫り始めた。
 村長の名前、小さい時の隣人の名前、リーンと仲良くしてくれていた子の名前。
 誰一人として名前を忘れることはなく。
 埋葬した村人の名前を黙々と彫っていく。
「……ごめんな」
 最後の一人、リーンの名前を彫り終わり、モルズは呟いた。
 腰の革袋に手をかける。
 袋の口を緩め、中身をぶちまけようとして――やめた。
 こんなことをしても、リーンは喜ばない。
 リーンは、貧しくても楽しそうに笑っていた。
 モルズがリーンのために貯めた金をここに残して、その後。
 盗賊が回収するか、動物に踏み荒らされてしまうか。
 正確にどうなるかは分からないが、モルズのリーンに対する想いが踏みにじられるのは確かだ。
「…………」
 無言でモルズは振り返り、一歩踏み出した。
 悲しむのはこれで終わり。
 次にリーンに会いに行くのは、全てが終わった後。
 魔獣がいなくなって、世界が平和になった時。
 たとえ道半ばで力尽きたとしても、モルズはそれで良かった。
 リーンに会いに行けるのだから。
 モルズの姿が村から遠ざかる。
 行く先に光を見出し、後ろに大切なものを残して。