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故国戦乱
テル
かつて、この国には夜がなかった。
都市は無数の灯りに照らされ、空には人工衛星が巡り、人々は一瞬で世界中と繋がっていた。
食料も水も電気も、「当たり前」に存在しており、誰もが、この文明は永遠に続くと信じていた。
しかし、それはある日、音を立てて崩れ始める。
世界規模のインフラ障害、長期化する国際紛争、物流の崩壊、食料不足、感染症、そして国家機能の麻痺。
一つなら耐えられた危機も、幾重にも重なったことで、人類の文明は自らを支えきれなくなった。
電気は消えた。
通信は途絶えた。
鉄道は止まり、工場は沈黙し、都市は飢えと混乱に飲み込まれた。
日本政府もまた全国を統治する力を失い、地方は次々と孤立していく。
やがて人々は、生きるために故郷へ戻り、田畑を耕し、川の水を引き、鍛冶屋を復活させた。
高度な機械は壊れていき、直せる者はいなくなった。
知識は書物に残っていても、それを再現する技術も設備は失われた。
文明は、ゆっくりと後退していった。
そして二百七十年後。
かつて「東京」と呼ばれた巨大都市は、城塞都市と廃墟が混在する土地となり、高層ビルは森に飲み込まれていた。
日本には、もはや一つの国家は存在しない。
各地では土地と水を巡って豪族たちが争う。
戦は槍と刀、火縄銃と大砲によって行われる。
武士という身分は消えたが、「武士のように戦う者たち」が再び現れた。
人々はこの時代を、新戦国時代と呼び始める。
その乱世の関東。
相模国・小田原では、一人の男が立ち上がる。
その名は、北条宗景。
彼は古い名門の名を継ぎ、「革命政府」の樹立を宣言した。
「乱世を終わらせる。日本を再び一つの国にする。」
理想を掲げたその軍勢は、瞬く間に南関東を制圧し、唐沢山、渡良瀬川へと進軍する。
その前に立ちはだかるのは、山梨、長野、静岡を治める秋山家。
革命暦3年、三月。二つの大勢力は、北関東の平野で激突する。
その中で、一人の青年が、舞い始める。
ーーー
夜明け前。
渡瀬川を渡る風は冷たく、濃霧が兵たちの足元を隠していた。
相馬識(しき)は馬上から、闇に沈む唐沢山を見つめる。
「寒いな」
彼はそうつぶやいた。
漆黒の髪。前髪が少し長い。
少年らしさが残る、整った顔だった。
あの山の向こうに、秋山軍三万。
こちらは北条革命軍四万。
明日の日の出とともに、この国の未来が決まる。
「旅団長。」
若い伝令が駆け寄り、息を切らせた。
「軍議が始まります。」
彼は返事をせず、しばらく渡瀬川の流れを見つめる。
敵も味方も、この川を渡れば数千、数万の命が消える。
勝てば日本統一への道が開く。
負ければ革命は終わる。
その重みだけが、二十歳の肩に静かにのしかかっていた。
やがて彼は手綱を引き、静かに言った。
「……行こう。」
この軍議で、自分は味方と戦うことになる。
敵ではない。
味方と。
ーーー
渡瀬川の西岸、北条軍本陣。
湿った霧が幕のように張りつき、松明の火だけが揺れていた。地図を広げた机の周りに、武将たちが集まっている。
空気は重い。
「……で、結論は?」
総大将・北条宗親が静かに机を叩いた。
二十代半ばの若い顔には、戦の興奮と焦りが同居している。
北条宗景の三男である。
そんな中、識は伝令兵に連れられ、幕舎へ入った。
識はそのまま、武将たちの中に入り込む。
「挨拶ぐらいしないのか?」
宗親が苛立たしそうに言った。
「相馬識、旅団長でございます」
識は敬礼した。
「相馬の倅か」
「はい」
二人の会話は短く終わった。
「案がある」
宗親は机を指さす。唐沢山の簡易地図の周りに黒と赤の配置図が空しく並んでいた。
「革命に反対する諸勢力が秋山に合流しようとする動きがある。
今は優勢でも、数日後には敵は倍近くに膨れ上がる。
なら、今すぐ軍を再編し各個撃破ーー」
「無理です」
声を遮ったのは、若い幕僚だった。
浅井紘一、彼は誇らしげに表れる。
「なぜ?」
浅井は配置図を指さす。
「秋山家は主力を投入し、兵はおよそ3万。一方わが軍は4万ですが、長い出征により消耗しております」
「それで?」
「加えて、秋山家の騎馬隊は最強と恐れられており、兵の士気が急速に低下しております」
「そんなことはわかりきっている」
「撤退するべきです」
浅井の口から撤退、と発せられた瞬間、軍議がざわついた。
宗親はこぶしを握り締めす。
彼とて、まっとうに戦っても勝てないことぐらいわかっている。
運よく拮抗できたところで、彼の望む「武功」はつかめないことも。
「案を聞こう」
「まず、全軍を埼玉中央まで撤退させます」
浅井は誇らしげに答える。
「補給線も短くなり、何より兵に休養を取らせることができます。万全の状態で敵を迎え撃つのです」
浅井の案は、対して中身があったわけではなかった。
偽造撤退で敵をあぶりだし迎撃するなど、古今東西を見ればいくらでも事例がある。
しかし、正面決戦をしても勝ち目がないと割り切り始めていた宗親は、案を受け入れようとしていた。
諸将も賛同する。
「現実的だ」
「理にかなっている」
賛成派が軍議を染め始め、宗親は考え込んだ。
「お待ちください」
軍議を制したのは、識だった。
彼は武将の中から割って出てくる。
「なんだね?」
浅井は挑戦的に、高圧的に言う。
「撤退はなりません、総大将」
識は浅井を平然と無視した。
軍議が再びざわめく。
「やはり、撤退はならんな!」
「しかし、いったいどうやって敵に対抗する?」
ざわめきのなかで、一人の老将軍だけが識を興味深く見据えていた。
北条家正規軍元帥・伊庭 恒一斎。
幕舎の端っこで一人だけ椅子を持ち、座っている。
「なぜ?」
考え込んだ宗親の代わりに、恒一斎が言葉を投げかけた。
「北条軍は革命軍です。つまり大半が義勇兵ということになります」
識は黒と赤の駒を配置図の後ろに下げる。
「もし、我が軍が戦いもせずに後退してしまっては、義勇兵の大半は『負け』と感じることになります」
「ほう」
恒一斎はかすかに呟いた。
「義勇軍は崩壊し、我が軍は半壊することになりかねません.おそらく、軍は1万程度にまで縮小するでしょう」
「ごもっともだ」
恒一斎は、椅子から立ち上がった。
「殿下、今ここで秋山軍を食い止めなければ、せっかく統一した南関東は敵の騎馬隊に蹂躙されます。私も、撤退には反対です」
宗親は、ため息を漏らした。
「机上の空論だ。仮に踏みとどまるとして、今の劣勢をどう挽回するつもりだ?」
浅井は識を強く指差した。
「まさか、何も考えていないとは言わないだろうな!?」
浅井の怒声が幕舎に響き渡る。
「作戦はあります」
「なら言ってみよ!」
「我が旅団が唐沢山を右翼から迂回し、敵の側面を奇襲します」
識は黒の駒を手に持って移動させた。
「迂回…だと」
宗親が唸った。
迂回して奇襲。そんなことは子供でも考えられる。
「敵も予測しているだろう」
「だからこそ、敵は正面にしか注意を向けません。奇襲など、赤子の理屈ですから」
この山は南北に伸びている山です。夜明け前に山の南側から大回りで迂回すれば、捕捉されないでしょう」
「捕捉されたら?」
「全速力で突破します」
識の発言に、浅井をはじめとする多くの者が笑った。
「突破だと?包囲されて終わりだ」
「敵が態勢を整える前に、一気に突撃します。もしバレたら、私はそうします」
「なら勝手にしろ。北条軍のために死ぬが良い」
浅井の弁舌により、多くの将軍がヤジを飛ばす。
「松明もつけずに行進できるか。戦列が乱れて終わりだ!」
「乱れるから、良いのです」
識の反論で、一瞬幕舎は静まり返った。
「どういう意味だ?」
「街があります。瓦礫に隠れつつ、接近します」
識は堂々と言った。
隠れながらの行進。確かにそれなら、戦列が乱れようとも関係ない。
浅井らは効果的な反論を思い浮かべるのに、しばしの時間を要した。
「もうよい」
宗親が言った。
「突破だと…本気で言っているのか?」
「失敗すれば、我が旅団は全滅します」
「覚悟の上か」
「はい」
宗親は識をしばし見据えた。何かを決心したかのように。
「奇襲の合図はどうする?」
「戦いの歓声です」
「勝率は?」
「成功は保証できません」
「そらみろ!」
浅井は食いついた。反撃の機会を与えられたとばかりに、笑い始める。
「ですが殿下。正面突撃は1割にもなりません」
宗親は再び黙った。
「鉄砲衆も連れて行くのか?」
一人の将軍から、冷静な疑問が上がった。
「もちろん。威嚇射撃でも敵は乱れます」
将軍は納得したように下がった。
「幸い、濃霧のおかげで奇襲は成功するだろう。問題は頃合いだ。下手をすればお前の旅団は、孤立するぞ」
宗親の声が低くなる。
「なら夜明け直後、我が隊は突撃します」
「なら、私の旅団にも先鋒を!」
浅井が大声で言った。
「山に乗り込み、相馬旅団と合わせて、敵と正面から激突します。ついでに監視にもなりますし」
「監視、だと?」
識は初めて言葉を荒げた。
「自分だけ安全なところでじっとしている…そのようなことがないように、と」
浅井は織を睨みつけた。
「相馬」
「はっ」
「お前は、正しい。ーーだからこそ、迷う」
宗親はそう言った。
「決まりだ。相馬旅団は迂回して奇襲、頃合いを見て本軍も攻勢に移る!」
(失敗してもたかが1、2旅団。蚊に刺されるようなものではないか)
彼の心中はどうあれ、恒一斎は頷いた。
「これで、作戦が決まりましたな」
だが、浅井は裏でニヤリと笑っていた。
ーーー
織は、幕舎から自陣へと歩いていた。
暗闇で道は見えず、定期的に現れる松明だけが足元を照らしていた。
「相馬旅団長」
不意に、背後から声がした。
恒一斎の、低い声であった。
識は振り返る。
老将の顔が松明で照らされた。
「此度の戦い、厳しいものになるだろう」
それは識も分かっていたことだった。
浅井という旅団長が時間を合わせてくれなければ、全ては水泡と化す。
「だが私も総大将も、君の知略と勇気を買っている。失敗してもいい。だがーー」
老将は振り返り、ゆっくり歩き始める。
「死ぬなよ」
識は、彼の後ろ姿に対して敬礼した。
ーーー
相馬旅団。兵3235。
軍紀はそれなりに厳しく、士気もそれなりに高い。
要するに、比較的マシな部隊である。
「旅団長。お戻りですか」
識に真っ先に声をかけてきたのは、副官だった。
名は、朝比奈最(かなめ)
識より7歳年上だった。
「それで、軍議はどうでしたか?」
最は冷静な一定の口調で話しかけてくる。
「部隊を調えろ。夜に紛れて敵を奇襲することになった」
「はっ?」
今度ばかりは、最も驚きを隠せなかった。
「我が隊単体でですか」
「あぁ、単体だ」
識は肩をすくめて見せた。
「針路は単純。山の南側を右から迂回し、夜明けに敵左翼を襲撃する」
「それなら、旧時代の集落に隠れながら進むしかありませんな」
最はすぐに平静さを取り戻していた。
「頼むぞ。朝比奈大尉」
最はすぐに走っていった。
それを見送りながら、識は辺りを探し始めた。
地面には、一つの鞄。脇には剣。
鞄を開けると、銃とナイフがあった。
識は銃の残弾と、ナイフの切れ味を目視で確認する。
剣を取り、鞘から抜き取った。
「はっ!」
識は剣を一回だけ振った。
だが、剣は勢いよく吹っ飛んだ。
「何やってんだ!」
識は思わず怒鳴った。
手が、いや体が震えている。
3万の大軍に対し、3000人で奇襲する。
斥候にバレたら?浅井が動いてくれなかったら?霧が晴れたら?
実戦は、何度か経験してきた。
だが、本格的な軍隊と戦うのは初めてだった。
識は、剣を拾う。
そして恐怖と共に、また鞘に収めた。
ーーー
最の迅速な対応により、3000名以上の兵士はすぐに整列した。
歩兵隊、長槍隊、騎馬隊、鉄砲隊。
暗闇で見えなかったが、各兵科の兵士たちが並んでいる。
識は馬に乗り、剣を掲げる。
「いくぞ。私についてこい」
識はそれだけをいい、東に向け馬を進めた。
詳細は、話していない。敵の間諜に聞かれたら、一大事だからだ。
「夜明けまで、まだ時はあります。ゆっくり、静かに行きましょう」
最が馬を寄せて言った。
「ああ、そうだな」
識はずっと、前だけを見ていた。
「もし勝てたら昇進だな」
振り返ったことなどまだない。
秋が、来る。
識は、それだけを願っていた。
味方の陣をすり抜け、南、というより南東に向かう、
案の定、すぐに瓦礫や鉄の板などが見えるようになった。
道路や、鉄柱の跡である。
「旧時代の遺跡です。珍しい」
最が瓦礫のあちこちを指差し、道路だの家だと言った。
「馬でいけそうか」
「行けます」
二人は先頭に立って村に入り込む。
住宅が一列に並んでいるというよりは、荒地と建物が混在しているという感じだった。
20分ほど進み、識は緑に埋もれそうになっている灰ビルの一階に赴いた。
識と最は皮がほぼ破れている椅子に座ろうとしたが、カビ臭いのでやめた。
入り口のガラスが、月に照らされている。
そのガラスが、勢いよく開いた。
入ってきたのは、正規軍軍服を着ている男2人。
「よぉ若大将」
男の1人、佐野昌明が言った。
旅団騎馬隊隊長である。若大将、と愛称を付けてはいるが、実際は若いからといって侮っているだけである。
もっとも、昌明自身もかなり若いが。
「俺らだけで奇襲をかけるってのは本当か」
最が事前に教えていたのだろう。
「本当だ」
識が答えると、昌明の表情が深刻になった。
「渡瀬川、どうやって渡る
「水深は浅い」
「水の音は?」
「騎馬隊だけでも、敵が態勢を整える前に攻撃に移って欲しい」
識とて、無茶なことは承知している。
だがそれでも、唯一の勝機なのだ。
北条家が滅びれば、革命派貴族の相馬家も潰される。
「いいぜ、坊ちゃん」
昌明は笑った。
「鉄砲隊は?」
不意に、隣の男が声を出した。
鉄砲隊隊長の、笠原吾妻である。
普段から、寡黙な男だった。
「騎馬隊を背後から補佐しろ」
その時、ガラスが再び開いた。
伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます!前方に秋山家騎馬衆およそ数十騎!」
その報告は、一同の血相を変えるのには十分であった。
「こちらに気づいたか!?」
識は怒鳴りつけた。
もしそうだとしたら、作戦はすでに破綻している。
最悪、逃走か降伏を図らなければ、家は滅ぶ。
「敵はただ散開しているのみで、おそらく気付けてはいないかと」
安堵した。良かった、と識は言った。
「で、どうする?騎馬で殲滅するか」
「1騎でも取り残したらおしまいだ」
識より前に、最が反論した。
「だからだ。少しずつ包囲し、頃を見て一斉にーー」
「戦いの音が出る」
識が言うと、昌明は黙り込んだ。
「栃木まで迂回するしかない」
それか、逃走。
「駄目です。間に合いませんし、あそこは別勢力が治めております」
「じゃあなんだ。おれは逃げれば良いのか?」
思わず、言ってしまった。
識は慌てて背後を向き、壁を勢いよく殴った。
拳が、痛い。
「策が、ある」
吾妻が、口を開いた。
「なんだ?」
「全軍で突撃する」
「はっ?」
識は、思わず唸った。
「全速力で斥候を突破し、敵本軍に肉薄する」
「荒唐無稽だ」
昌明はそう言って笑った。
識には、少しだけわかった。
敵斥候を追い散らし、斥候を至近距離で追いつつ敵本陣に肉薄するのである。
それなら、敵が迎え撃つ暇を与えず、実質的な奇襲になる。
「危なすぎます。夜明けより速く、下手をすれば孤立します」
最が、呆れながら言った。
「いや」
識は、閃いた。
「鉄を集めさせろ。大至急だ!」
伝令が、急いで部屋を出ていく。
「どういう意図ーー」
「主力が来たと思い込ませろ。そうすれば、敵はろくに戦わずに撤退するかもしれない!」
「しかしーー」
「うるさい!」
識は高揚を抑えられず、部屋を出ていった。
もし成功すれば、浅井の力など借りる必要もない。
わずか3000で3万を破った英雄として、語り継がれるだろう。
外に出て、識は言った。
「金属と金属を当てて大きい音を出すんだ」
その姿に、部屋の幕僚たちは見入っていた。
昌明の目には侮りの目つきはもうない。
口だけと見るべきか、それとも真の勇将か、測りきれていない表情だった。
ーーー
「革命に、終わりなき」
相馬一刀斎。識の父親の最期の言葉だった。
革命に率先して協力し、弱小領主の相馬家を守ったとされている。
しかし、彼は本気で日本を統一しようと思っていたのではなかったか。
「識!」
不意に、背後から父親の声がした。
「日本中に革命を、広めーー」
言葉は、もう続かない。
夢だからだ。
「旅団長。これ以上は限界です」
隣の最が言ってきた。
全軍は金属を持ち、村の建物に隠れつつ、敵の斥候隊に着々と迫っている。
「わかった」
識は大きく息を吸った。そして
「全軍。突撃!!」
金属と歓声を限界まで鳴らしながら、識と共に兵が突撃する。
戦闘開始。
暗闇と濃霧の中、佐野昌明らの騎馬隊が村から駆け出していく。
まだ夜明けには程遠い。だが、今やれば勝てる。
カンカンカン。数え切れないほどの金属音。
秋山軍の斥候隊は、急な襲撃によりほとんどの兵が取り乱した。
視界不良で兵力はわからず、どこから攻撃してくるか分からない。
馬を反転して逃走に移ったが、昌明の騎馬隊に追いつかれ半数以上が数分で戦死した。
識も、剣を掲げ突撃に移る。
「すぐに川を渡れ。夜明け前に勝負をつける」
近くでは、最が腰から銃を取り出して敵騎兵を撃っている。
「佐野騎馬隊、川を渡りました!あと少しで、敵本軍と会敵します!」
馬上の伝令が、そう言った。
「我々も、川を渡るぞ!」
識は馬の尻を叩き、速度を速めた。
川の水深は浅く、歩兵でも楽に渡れる。
識は川の流れには目もくれず、流れるように渡った。
そのまま、駆け続けた。
ーーー
秋山軍・本陣。
歩哨などは座り込んで寝ていたが、高級士官らは幕舎内で、机の配置図に向かい合っていた。
伝令が、幕舎に駆け込んできた。
「申し上げます!南東の方角で、敵と交戦。敵はまっすぐこちらに向かってきています!」
その報告に、中年の男が反応した。
「敵の数は?」
秋山家当主・秋山信高である。
筋骨隆々で、顔の彫りは深い。
遠くから、戦の歓声が聞こえ始めている。
「数、不明にございます!」
濃霧と暗闇。完璧な奇襲である。
「予備隊を回しましょう。下手に敵を勢いづかせれば、我が軍は潰走します!」
幕僚の一人が、そう言った。
「敵正面に動きは?」
信高は焦ってはいたが、それを口調に出しはしなかった。
「今のところ、なし!」
「なら良い。第3、第4軍団を救援に回せ。敵を包囲し、殲滅せよ!」
「はっ!」
伝令は幕舎から駆け去っていった。
ーーー
北条軍前衛。浅井旅団・本陣。
浅井は、椅子に座っていた。
まだ、夜明けではない。
だが、東からは戦の歓声が聞こえている。
「速まったか。あの若造が」
彼自身もまだ20代ではあるが、侮蔑の意図を交えて言った。
「前進の合図は、歓声です。今こそ、出撃の時です」
隣で直立している副官が、そう言った。
「確かに、そうだな。だがーーー」
浅井は立ち上がった。
「合図はもう一つある。夜明け、だ」
「どういう意味でしょう」
副官は怪訝な表情をする。
浅井は副官の肩に手を回した。
「少しは頭を使え。今突撃しても、秋山軍の騎馬隊には敵うまい。だが、俺には案がある」
副官は、答えない。
「敵の主力が相馬に向けられる。敵の正面はガラ空きだ。そこを、夜明けに突く」
浅井は、そう言って笑った。
「おい!」
そして隣にいる伝令を呼びつける。
「出撃は、夜明けだ!宗親にもそう言っておけ!」
伝令は、黙って陣を出ていった。
ーーー
識は、自ら剣を振い、前線で戦っていた。
すでに、一時間は戦っている。
昌明の騎馬隊は秋山軍正面を突破し、敵深くに入り込んでいる。
鉄砲の音がする。
吾妻の鉄砲隊が、騎馬隊を背後から援護している。
もう少しで、勝てる。
北条軍主力が動かなくとも、自分の旅団だけで勝利を掴んでみせる。
敵兵が、槍を突き出してきた。
識は間一髪でそれをかわし、剣で敵の首筋を斬る。
敵兵は、倒れた。
「旅団長。ご無事ですか!」
最が、徒歩で近づいてきた。
馬は、乱戦で失ったのだろう。
「大丈夫だ」
「浅井旅団に、動きがありません」
「それがどうした?」
「もうすぐ、夜明けにございます」
「だからなんだ」
識は、不機嫌だった。
そして、分かりきったことを言うものだ、と思った。
「我が軍が寡兵だと、知られてしまいます」
「その前に、敵本陣を落とせば良い」
不意に、背後から敵兵が襲いかかってきた。
「大尉!」
識は、咄嗟に叫んだ。
最は振り返りもせず、左手で銃を背後にまわし、敵兵を撃った。
「敵軍は、崩れませんでした!!」
最の怒声が、響いた。
周りの味方兵士たちも、思わず止まる。
「敵は急速に統制を取り戻し、組織的な反撃に転じております!」
その一言に、識ははっとした。
自分が.とてつもなく甘すぎたのではないのか。
敵が、そう易々と崩れるわけがない。
その結論が、急速に頭を支配し始めた。
「こだわって戦いを続ければ、いずれ包囲されます。そして何より、あなたも…」
識は、下を向いた。
できることは、全てやった。
偽造もさせた。策も考えた。それでも駄目だったのなら、逃げるしかないのではないのか。
夜空が、少しずつ明るくなってくる。
「撤退だ」
彼は、呟いた。
最は、息を吸った。
「全軍、旧村落まで後退せよ!」
声の限り。
識は、直ちに振り返り、馬を駆け出した。
すぐに川まで駆ける。
水深は、浅い。だが、歩兵にとっては別だ。
下手をすれば、敵兵に追いつかれる。
振り返ると、騎兵や歩兵が乱れ、思い思いに逃げてきている。
その中に、昌明の姿があった。
「騎馬隊を再編する。敵に再突撃し、そのまま下がれ」
「殿軍ってことだな!?」
「おれも戦う」
識が叫ぶと、昌明は軽く笑い、そして剣を掲げた。
識も剣を掲げ、再び敵に突っ込んだ。
秋山軍騎馬隊の渦に、突っ込んでいく。
「相馬家当主、相馬識だァ!」
そう言って、敵兵を薙ぎ倒していく。
そして、一途の光が、鎧を照らした。
夜明けだった。
ーーー
夜明けは、唐沢山の山頂を照らしている。
「よし、全軍突撃せよ!」
浅井は手を勢いよく振り、言った。
浅井旅団は手際よく唐沢山を登り、下る。
前面に見えたのは、万を超える軍勢だった。
「相馬め、上手く敵を惹きつけているだろうな…」
「旅団長!あれを…」
心の中で嘲笑っていた浅井に対し、副官が狼狽した口調で声を出す。
「なんだ?」
戦闘の気配が、目の前から消えていた。
だが、軍勢はいる。
「まさか、相馬旅団はもう全滅したのか!?」
だが、地面に転がっている屍はそこまで多くはない。
とても3000人が死んだとは思えなかった。
「正面に、動きが!」
見ると、正面からは無数の騎馬が浅井旅団に向けて駆け出してきている。
秋山軍だった。
「旅団長…」
副官や周りの兵士が狼狽する。
一個旅団で、数万の軍勢を正面から迎え撃たなければならない。
「何をやっている!鉄砲隊を前に出せ!」
浅井は怒鳴った。
相馬旅団が敵を引きつけている間に、自分の旅団が敵側面を突く計画だった。
そうすれば、楽に軍功を立てられるはずだった。
鉄砲隊の動きは遅い。どう見ても、秋山軍に比べて精度が劣っている。
元々正面から激突するなんて考えていなかった軍だ。
指揮官の考えが、隊全体に影響を及ぼしていた。
浅井は剣を抜き出した。
「歩兵を出せ。騎馬隊は歩兵補佐。直属隊は私についてこい!」
「どこに行くつもりで?」
「決まっているだろう。勝てぬ戦はせん!」
浅井は、馬を反転させた。
逃げるために。
ーーー
夜明けから数時間立ち、戦いの歓声は次第に少なくなっている。
山麓の旧村落には、相馬旅団の軍勢が虚しく立ち尽くしている。
秋山軍の追撃をすんでのところで振りきった。
その一角で、識は放心しながら騎乗していた。
幕僚たちが、集まってくる。
最は馬を失っており、昌明は血だらけ、吾妻のみが平然でいる。
「負けたな…」
識は、本心からそう思った。
自分が自ら剣を振い、殿を務めた。
だが、命懸けで奇襲を仕掛けた意味がどこにもなかった。
少し敵の戦列を見出しただけだ。
今遠くから聞こえる歓声は、浅井旅団のものだろう。
浅井が勝てば、彼に手柄を取られることになる。
「クソ…が」
識は、拳を握りしめた。
父に、家名に、何も報いることができなかった。
それだけじゃない。命をかけてついてきてくれた兵たちに、何を語れば良いのか。
「若大将」
不意に、血だらけの昌明が口を開いた。
「なんだ…?」
「あのまま戦えば、俺の部隊は危なかった。撤退を決断してくれたから、なんとか生きている」
その時。伝令が識のもとへ駆け込んできた。
「どうした?」
汗だくの最に変わり、吾妻が言った。
「それが、旅団長に合わせろと」
伝令の後ろに男の姿が現れた。
「相馬旅団長!」
同じ旅団長の浅井と、その兵が数人。
なぜ来たのか、というよりなぜいるのか、の方が識は気になった。
「なぜここにいる?」
「至急軍を出撃させろ。敵の側面を攻撃しろ!」
浅井は焦燥しきっていた。
「なぜ旅団長がここにいる?まさか指揮を放棄したのか?」
「私の旅団は、秋山軍の猛攻を受けている。相馬旅団が来れば、我々は助かる!」
識は、最を見やった。
「奇襲はできません。玉砕するようなものです」
彼は、首を横に振りながらそう言った。
「だ、そうだが?」
識は再び浅井を見据えた。
「我々を、見殺しにするつもりか!」
「すぐに戻り、部隊を撤退させろ。まさか、なすすべもなく包囲され、逃げ出してきたのか?」
識は、嘲笑の目線で彼を見やった。
まず、指揮官ともあろう人間が指揮を投げ出し、救援を頼み込むのが許容できない。
「貴様…」
浅井は拳を握りしめた。そして
「戦闘開始は夜明けだったはず。そのくせ勝手に戦端を開き、不利と見るや逃げ出す。お前のことではないか?」
浅井は、笑った。
識たちは、反論しなかった。ある意味で正しく、ある意味で間違っている浅井の抗弁に、どう対応すれば良いか分からなかったのだ。
「もし動かないのなら、軍法会議にかける。それでも良いな!」
軍法会議、と言われて識の心が揺らいだ。
兵を助けるために動かなくとも、側から見れば都合の良い前線離脱である。
軍法会議に持っていかれれば、厳しく糾弾される恐れは十分にあった。
そして、下手をすればお家断絶。旅団全員も処罰の対象となるかもしれない。
「今は駄目だ。北条軍の本陣に戻り、態勢を立て直す。それしかない」
「それでは、軍功を立てられん」
浅井は、そう言って吐き捨てた。
繋がった。
夜明け前に一斉攻撃を仕掛けなかったのは、相馬旅団を囮にして自分が手柄を立てるため。
今援軍を頼み込んでいるのは、相馬兵を使い潰して、少しでも浅井の責任から逃れるため。
だから、本陣に援軍を要請せず、隣の旅団を選んだ。
「お前…」
識は、思わず腰に手をやった。
腰には、旧時代の拳銃がある。
軍法会議に持っていかれるわけにはいかない。言われるままに突撃するのは、自分の意地が許さない。
「決まりだな。お前は終わりだ」
浅井は身を翻して、その場を去っていこうとした。
対話の余地など、ないということだ。
「死ね」
「は?」
浅井が不審に思って振り向く前に、識は銃を取り出した。
そのまま浅井の脳を撃ち、後ろの浅井兵に向けて銃を連射する。
あっという間に、彼らは倒れた。
「大尉。佐野。笠原」
呼ばれた3人は、あまりの事態の急展開に唖然としていた。
だが識が睨みつけると、3人は思わず敬礼した。
「銃声を聞いた兵は全員始末しろ。浅井旅団長は逃亡の末、秋山兵に惨殺された。いいな?」
「はっ!」
数秒遅れて、3人は言った。
彼らにも動揺や迷いはあった。しかし、どうすることも出来ず識の命令に従う。
味方を殺した、と識は思った。
味方ではないとも、感じた。
ーーー
『渡瀬川の奇襲戦』と呼ばれる戦で、北条革命軍の北上は止められた。
奇襲の失敗、また1旅団の壊滅により、北条宗親は撤退を決断。
埼玉まで撤退したが、義勇兵の大半は離脱。
4万の軍勢は、一気に2万程度にまで減少していた。
北条軍・本陣幕舎。
「生きていたか!」
伊庭元帥は、幕舎に入る1人の青年に声をかけた。
相馬識。今回の作戦を提案した若き旅団長。
彼の憔悴した姿に、宗親は目を見やった。
「お前の言う通りだった。私の軍は、戦わずして負けたな」
彼はそう言った。
識の心に、何かが込み上げられてくる。
「負けにございます」
識は、呟いた。
「私は、負けたのでございます!」
識はそう言って、崩れた。
涙が、なんとも言えない感情と共に溢れてくる。
味方を殺した。敵から逃げた。
そして、自分に負けた。
故国戦乱