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王は残虐、走れよメロス
メロスは激怒した。
シラクスの街、初夏の青。
邪智暴虐の王に、竹馬の友に、そして正直な心の為。
政治も分からぬ村の牧人よ、走れ。
メロスは、邪悪に対しては人一倍敏感な、村の牧人である。
父も母も、そして女房すらもいない。
16の内気な妹との2人暮らしで、笛を吹き、羊と遊んで過ごしてきた。
その妹は村のとある律儀な一牧人と、近々結婚する。式も近い。
そのためメロスは本日、花嫁となる妹の衣装や宴会のご馳走などを買いに、十里も離れたシラクスの街にはるばるやってきたのである。
目的の品を買い終わった後、シラクスの街に住む竹馬の友のセリヌンティウスを訪ねようと都の大路をぶらぶらと歩いた。
セリヌンティウスはこの街で石工をしている。
久しぶりに会うものだから、どんな話をしようかと胸を弾ませながら歩いていた。
しばらくそうしていると、ある事に気がついた。
街が妙に寂しい。
日の沈んだ夜の静けさのせいもあるだろうが、それを踏まえてなお街全体が暗く、違和感を覚える。
呑気なメロスでさえも、だんだん不安になってきた。
2年前にこの街に来た時は、夜でも皆が歌を歌って踊って、街は賑やかだったはずだ。
偶然通りかかった若い衆を捕まえ、聞いてみる。
だが、若い衆は首を横に振って答えようとはしない。
しばらく歩いて、老爺に聞いてみたが、それでも何も答えない。
「……答えろよ、なんでこんなんになっちゃったんだよ!!」
老爺の肩を揺さぶり、藁にも縋る思いで聞いた。
何も言わない老爺だったが、ようやく重い口を開いた。
「王様は、人を◯すんです。」
周りをはばかるような、低声で答える。
「んなっ…なんで…!?」
「『悪心を抱いている』と仰るのですが、誰もそんな悪心なんて持ってないですよ。」
老爺はそう語ると、周りを気にするように後ろを振り返り、また再びメロスの方を向く。
「…沢山の人を、殺したって言うのか」
動揺だろうか、語尾が震えてしまったようにメロスは思った。
「ええ。まず初めに、王様の妹婿様を。次にご自身のお世継ぎ、妹様、妹様のお子様、皇后様、そして賢臣のアレキス様、を。」
老爺は感情を押し殺したように淡々と答える。
「驚いた…王はご乱心なのか?」
「いえ、乱心じゃないんです。人を信じれない、所謂人間不信だって言うんです。最近じゃあ臣下の心をもお疑いになって、少しでも派手な生活をしてる奴には人質を1人ずつ差し出すことを命じてるんですよ。命令を拒んだら十字架にかけて◯されるんです。……今日は6人、◯されました。」
それを聞いて、メロスは激怒した。
「そんな王、いていいのかよ…っ!!」
メロスは単純な男だった。
大きな買い物袋を背負ったまま、のそのそ王宮に入って行った。
だが、正面から行こうとすれば流石にバレる。
たちまちメロスは純羅の警吏に捕縛されてしまった。
そしてメロスの懐中から出てきた短剣に騒ぎは大きくなり、彼は王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりだったのか、言え」
暴君ディオニスは顔面蒼白しながらも静かに、威厳を持って問い詰める。
「街を暴君の手から救うんですよ」
メロスは悪びれずに答える。
「…は?お前がか?」
王は憫笑した。
「仕方ない奴だな。お前なんかにはわしの孤独の心なんかまったく分りゃしない。」
「……んだと!?」
メロスはいきり立って反駁した。
「人の心を疑うのは、王としてどうなんですか!!恥ずかしくないのかよ、民の忠誠さえも疑いやがって!!」
一気に大声を出して、少し息が上がる。
「…疑うのが正しい心構えだって事、わしに教えたのはお前達だろ。人の心なんか当てにしてどうする。人間なんか私欲の塊なんだから、信じない方が賢いだろ。」
暴君は静かに呟き、ため息を吐いた。
「わしだって平和を望んでおるのだが」
それを聞いて、今度はメロスが嘲笑する。
「何のための平和だよ人◯しといて。自分の地位がそれほど大事なんですか」
「黙れ。」
王はさっと顔を上げて報いた。
「口ではどんな清らかなことも言える。だけどな、わしには人の黒いはらわたが見え透いてならないんだよ。お前だって磔になってから泣いて詫びたって何も聞かんぞ。」
「そこまで考えられるなら民のこともちゃんと信じてあげればいいじゃないですか。……俺はちゃんと死ねる覚悟でいるし、命乞いだってしないのに……あ」
言い掛けて、足元に視線を落とした。少し躊躇ってから、口を開いた。
「ただ、俺に情けを掛けてくれるんだったら処刑まで3日、待ってくれませんか?大事な妹に亭主を持たせてやりたいんです。3日で俺は村で結婚式挙げてここに戻って、処刑されてやります。」
「馬鹿な、そんなことあるわけないだろ」
暴君はしゃがれ声で低く笑った。
「大嘘つきだな。逃した小鳥が帰ってくるわけ」
「帰ってくるんですねそれが」
メロスは食い気味に反論した。
「俺は約束を守ります。だから3日間だけ、妹の結婚式の分だけ、待っててください。」
だが暴君は疑いの目を捨てようとはしない。
メロスは大きなため息をつき、言い放った。
「…分かりました。そんなに俺の事が信じられないならこうしましょう。この街に俺の唯一無二の親友、セリヌンティウスっつう石工がいるんで、もし俺が帰ってこなかったら俺の代わりにしてください。」
それを聞いた王は、残虐な気持ちでほくそ笑んだ。
(生意気な。どうせ帰ってこないに決まってる。この嘘つきに騙されたふりをして離してやったり、3日目に◯してやるのもいい気味だろう。)
「…どうですか」
メロスは鋭い目で暴君を見つめた。
(人はこれだから信じられぬ、とわしは悲しい顔をしてその石工を磔刑にしてやるんだ。世の中の偽善者にうんと見せつけてやりたいものだな。)
「分かった、その石工を呼ぶが良い。3日目の日没までには戻ってこい。ちょっとでも遅れたらその石工の命はない。……ちょっと遅れて来いよ、そうしたらお前の罪は許してやる。」
「なっ…何を」
「っはは、命が大事なら遅れて来い。お前の心は分かっておるぞ」
「っ……!!」
邪悪な笑みを浮かべる王を前に、何も言いたくはなかった。
セリヌンティウスは深夜、王宮に召された。
暴君ディオニス、その面前で親友は2年ぶりに再開した。
メロスが一切の事情を語ると、セリヌンティウスは無言で頷き、メロスと抱き合った。友と友の間は、それだけでよかった。
セリヌンティウスは鞭打たれ、メロスは出発した。
初夏、満天の星である。
メロスはその夜、一睡もせずに十里の道を急ぎに急いで、村に着いたのは太陽が真上に上がる頃だった。
村人達はとっくに仕事を始め、メロスの妹も兄に代わって羊の世話を焼いていた。
「おかえ…何があったの!?」
「っ……な……なんでも、ない」
無理に笑おうとしたが、疲労困憊した様子は隠しきれていなかっただろう。
「ちょっと色々あって…俺またすぐ街に戻らなきゃなんだよね。早い方がいいだろ、明日あげるよ。お前の結婚式。」
妹は顔を赤らめた。
「よかったよ素敵な婿さんが見つかって。綺麗な衣装も買ってきたから、結婚式は明日だって村のみんなに伝えてきて。」
メロスはまた、よろよろと歩き出し家に帰って、神々の祭壇を飾り祝宴の席を整え、そのまま床にひれ伏して呼吸もしないような深い眠りに落ちた。
目が覚めた頃には月がこちらを照らしていた。
(……え、嘘だろ俺いつの間の寝てたんだよ)
メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。
「あ、メロスさんおはようございます」
「おはよう。急でごめんなんだけど、どうしても外せない事情が出来たので結婚式明日にしてくれない…」
当然、花婿は驚いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ…!?まだなんの支度もできてないし葡萄の季節まで待ってもらえませんか…!?」
「……無理なお願いな事は分かってる、だけどさどうしても明日じゃないと駄目なんだよ…」
婿の牧人も頑固だった。
結局夜明けまで議論を続け、やっと承諾が得られた。
結婚式は、真昼頃に行われた。
群青色の天井と壁が、新婚夫婦の幸せそうな横顔をくっきりと映し出す。
「………て、2人は愛し合うことを誓いますか」
『誓います』
メロスの腕に一粒、空から水滴が落ちる。
(雨…?)
やがて暗雲が空を覆い小雨を降らせ、小雨もすぐに車軸を流すような大雨へと姿を変える。
祝宴に参列していた村人達は何か不吉なものを感じたが、それでも狭い家の中で陽気に歌い、踊り、手を叩き、祝った。
メロスも満面に喜色を讃え、一生ここに居たいと思うほどの祝宴に王との約束さえも忘れかけていたが、我が身に鞭打ち、遂に出発を決意した。
「おめでとう。俺は疲れちゃったからごめんね、ちょっと先に寝るよ。起きたらすぐ街に向かう、大事な用事を残してきちゃってさ。俺がいなくてもお前には優しい旦那さんがいるんだから寂しくないだろ。俺が1番嫌いなのは人を疑うのと嘘をつく事。…昔から言ってきたからよく分かってると思うけどな。旦那さんとの間に、隠し事はするなよ。…それだけ。お前の兄は多分偉い男だろう…から、お前もその誇りを持っててくれ。」
そう、妹に伝えた。
「分かったよ」
妹は夢見心地で頷いた。そしてメロスは花婿の肩を叩き、言った。
「支度がないのはお互い様。俺の宝はあいつと羊だけだけど、全部あげるから、大事にしてくれ。……っと、それともう1つ。メロスの弟になった事を誇ってくれ。」
「あ…は、はい!」
花婿は揉み手して照れていた。
メロスは笑って村人達に会釈をして、宴会場を後にした。
そして羊小屋に潜り込んで、◯んだように深く眠った。
小鳥の囀りに目が覚めた。
(寝坊した…!?)
メロスは跳ね起きる。
小窓からは薄朝の白い光が差し込んでいる。4時程度だろうか。
これからすぐに出発すれば、約束の時間には十分間に合うだろう。
そう言い聞かせ、メロスは身支度を始めた。
雨も随分小ぶりになっている。
(待ってろよ邪智暴虐の王。人の信実があるってこと、教えてやるよ)
ぶるんと両腕を大きく振って、メロスは雨中矢の如く走り出した。
今宵◯される為に、身代わりの友を救う為に、王の奸佞邪智を打ち破る為に。
走れ。走らなければいけないんだから。
そうして、◯されろ。若い時から名誉を守れ。
故郷に別れを告げた。
若いメロスは、辛かった。
幾度か立ち止まり、悩み、悔やんだ。
大声を上げて自信を叱らなければ走れない位には。
村を出て、野を横切って、森を潜り抜けて、隣町に着く頃には雨も止み、日は高く登って暑さが増してくる。
額の汗を拳で払った。
ここまで来ればもう、故郷への未練もない。
妹達はきっと、いい夫婦になるだろう。
もう何の気掛かりもない。
まっすぐ王都へ辿り着ければ、それだけで良い。
…まだまだ時間もある、焦る必要はない。
ならば、歩こう。
と持ち前の呑気さを取り戻し、好きな小唄を歌いながら歩いた。
二里、三里。
全里の半ばに到達した頃、振ってわいた災難に、メロスの足ははたと止まった。
前方の川が昨日の豪雨で氾濫し、橋が濁流に飲み込まれて無くなっている。
繋船もなければ渡し守もいない。
収まる様子も見せない激流に、メロスは呆然と立ち尽くした。
「……ゼウスよ」
メロスはその場にうずくまる。
そして、手を上げた。
「静めたまえ、荒れ狂う流れを…!!時は刻々に過ぎていきます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着く事ができなかったら、あの良い友達が、俺の為に◯ぬんです」
しかしメロスの祈りも虚しく、濁流はますます勢いを増していく。
ただ収まるのを待っていても、時間が過ぎていくだけだ。
(お、泳ぐか…。)
それしか選択肢はなかった。
メロスは川に飛び込んだ。
100匹の大蛇のように、腕に、脚に、水が纏わり付く。
負けじと、腕に全身の力を込めた。
普段使わない体の動きに激痛が走るが、その程度でひるむメロスではない。
溺れかけようが、ただただ必死に前に進んで、もがいた。
獅子奮迅の人の子の姿に神も哀れと思ったのか、遂に憐憫を垂れてくれたのだろう。
やっとの思いで、対岸の樹木の幹に縋り付く事が出来たのだ。
陸に上がると馬のように大きく身震いをしたが、すぐにまた先を急ぐ。
一刻たりとも無駄にはしたくなかった。
「かはっ……ぅ…」
先程入り込んできた泥水が呼吸の邪魔をした。
荒い呼吸をしながら峠を登り、頂上に立った。
すると突然、目の前に一体の山賊が躍り出た。
「待て」
「何だよ、俺は今急いでるんだよ、他を当たってくれ」
ぶっきらぼうに言い放った。
「いぃーやお前に用があるんだよ。持ち物全部寄越しやがれ」
山賊の1人が棍棒をメロスに向けた。
「今命以外何も持ってないし、それもこれからあげるべき人がいるから無理だよ」
「その命を頂きたいんだよ」
その台詞に、何かを察した。
「…さては王の命令で待ち伏せしてたな?」
沈黙は肯定を意味する。
山賊達は一斉に棍棒を振り上げた。
だがそれをメロスはひょいと体を折り曲げて回避する。
そして近くの1人の棍棒を素早く奪い、振り上げる。
「気の毒だけど、正義の為だ!!」
と猛然一撃、瞬く間に3人の盗賊を殴り倒した。
「ごめんよ、恨むならこうさせた王を恨んでくれ」
メロスはそう言い残し、その場を颯爽と去っていった。
走り始めた脚の跡だけがくっきりと残っていた。
峠を登って、一気に駆け降りる。
山吹に染まりかけている斜陽がメロスを正面から照らした。
「っ………」
幾度とない眩暈が襲う。
ふと、脚に違和感を覚えた。
よろよろと2、3歩歩く。
その時だった。
「っあ……!!」
脚が、動かなくなった。
成す術もなく、膝から崩れ落ちる。
こんな所で動けなくなって、何も出来なくなる自分が悔しくて、何か足掻きたくて、何も出来なくて、ただ少しでも前に進もうと、手で掴んだ土は地面から剥がれていく。
立ち上がれない。脚が動かない。
天を仰いだ。
山吹色の空が滲む。
いつの間にか悔し涙が頬を伝った。
濁流を泳ぎ、山賊を打ち倒し、走って、ここまで突破してきた勇者、メロスよ。
ああ、こんな所で力尽きるとは情けない。
唯一の親友は、君を信じたばかりに殺されてしまう、王の思う壺だ。
人の心は当てにならない。
(俺は…)
鉛でも流されたように動かない体で、もう動けない。
肉体が疲労したならば、比例するように精神も疲労する。
(もうどうにでもなれ)
勇者に不似合いな不貞腐れた根性がメロスの心を侵食する。
これほど頑張ったっていうのに、もう無理かもしれない。
約束を守りたい一心だった。
初めから諦めた訳じゃないんだから、悪心なんか持ってない。
ただ、もう動けないだけなんだ。
言い訳ばかりがつらつらと出てくる。
自分でも見てみたいよ、正直な奴の血を動かしている真紅の心の臓。
遠くに見える陽を睨んだ。
俺はこんな大事な所で動けなくなっちまった。
気力も体力も底をついた。
「……不幸だな」
きっと俺は笑われるんだろう。
そんな奴を持った俺の一家も。
友を欺いた最低な男。
途中でやめるのならば、それは初めからいかないのと同じだ。
…そうだ、ここで1人力尽きていくのが俺の運命だったんだろう。
セリヌンティウス、こんな俺をどうか許してくれ。そして惨めな俺を笑ってくれ。
お互いに疑った事は一度もなかっただろう、良い友だった。
今もきっと信じて待ってくれている。
そうだ、セリヌンティウスは信じて待ってくれているのだ。
(……ごめん、な)
だが、もう動かない体を動かす術は見つからない。
燃料のない汽車は走れない。
(ああ、俺は負けたんだな)
王はあの時、ちょっと遅れて来いと耳打ちした。
このままここで動けないままでは、王の思い通りになってしまう。
裏切り者になって…しまう。
セリヌンティウス、共に◯なせてくれ。
君だけは信じてくれただろう。
根拠のない空想を、巣食う不貞腐れた根性に抗う延命処置の代わりに生み出す。
(もういっそ、悪徳者の道を行ってしまおうか)
村には家も羊もある。
妹夫婦はまさか自分を家から追い出すなんて事はしないだろう。
正義、信実、愛。よくよく考えれば馬鹿の言い訳に過ぎない。
くだらない。
弱肉強食、それは人間社会にも通じるものなのだから。
(もーうどうでもいいや。動けないし)
四肢を投げ出してうとうととまどろみ始めてしまった。
何も考えなくなったからだろうか、今まで聞こうともしなかった小さな音がメロスの耳に入って出ていく。
その中に1つ、水の流れる音が混じった。
かろうじて動く頭を持ち上げる。すぐ近くに水が流れている。
重い身体を引きずって、そこへ向かった。
岩の裂け目から、清水を両手ですくって飲んだ。
氷の入ったように冷たい。
たちまち夢から覚めたように、肉体疲労の回復が訪れた。
(行こう。さっきのは悪い夢だったんだ)
「ふぅーっ……」
大きな深呼吸を1つ。
真紅の斜陽に向かって、地面を蹴った。
日没までには、まだ時間がある。
(俺を信じて、待ってくれてる)
自分の命など問題はない。死んで詫びるなんて戯言言ってる場合じゃない。
走れ。信頼を無駄にするな。走れ!!
間に合え。
王の邪智暴虐を打ち破れ、友を守れ。
そして、生まれてきた時から正直な、正義の士として、最後まで正直に、◯ね。
陽は待ってくれはしない。
少しでも遅く沈んでくれ、神に願った。
道行く人を押し除け、跳ね飛ばし、メロスは黒い風のように走った。
宴席の真っ只中を、小川を、野原を、濁流よりも、いや、沈む陽の何十倍も速く走れるよう、全力を尽くし、血を吐き、ひたすらにただ、走って、走って、走った。
街の誰かの会話も、工事の音も歪ませるような速度で、走った。
急げ。
遅れたら取り返しのつかないことになる。
正直者のまま、◯なせろ。
風体など気にしている暇はない。服もメロスの速さに適応できなかったらしく、メロスはほぼ全裸体であった。
向こうに、シラクスの塔楼が見える。
夕陽を受けて、煌めいている。
「…ま、メロス様!!」
うめくような声が、風に紛れて微かに聞こえた。
「誰!?」
メロスは脚を止めずに聞く。
「フィロストラトスです。セリヌンティウス様の弟子の!!」
メロスに話すことがあるのか、彼も走りながら叫んだ。
「もう手遅れなんですよ、走るのをやめてください!!もう駄目なんですよ!!」
それを聞いてもなおメロスは諦めず、脚の回転をやめない。
「まだ陽は出てる!!まだ…!!」
「ちょうど今セリヌンティウス様が◯される所なんですよ!!手遅れなんです!!うわぁぁぁぁぁ!!」
「空を見てよ!!まだ紅い!!」
ここまで来て、走るのをやめる選択肢はもはや無かった。
「だから、もう駄目なんですって!!セリヌンティウス様は最後まで貴方を信じてました。王様がどれだけ言っても折れませんでした!!」
「だから走ってんだよ、信じられてるから!!」
メロスの頑固さに遂に諦めたのか、フィロストラトスは脚を止めた。
「……あーあ分かった!!気でも狂ったんですね!!じゃあもう良い、勝手に走れ!!」
「言うまでもないよ!!」
まだ、まだ陽は沈みきっていない。
◯ぬ気で、走った。
道の煉瓦が割れるほど強く、走った。
ただ一筋の希望を追いかけて、疾風の如く全力疾走する。
(間に、合っ、た…?)
陽が地平線に沈みかけた頃、メロスは刑場に飛び込んだ。
そう、間に合った。
「まっ…待て…!!そいつを◯すな!!……ここに、ここにメロスがいる!!」
刑場の群衆に向かって全力で叫んだ。
だが使い切って無くなった水分と使い過ぎた肺と喉は使い物にならず、米粒程に掠れて何も聞こえない。
群衆は誰1人としてメロスの到着には気付かない。
磔の柱は立ち、セリヌンティウスは鞭打たれ、徐々に吊り上げられようとしている所だった。
(まずい…)
メロスはそれが視界に入るなり、残りの力を全て振り絞って100匹の大蛇のような程に進みにくい群衆を押し除け、かき分け、掠れた声で精一杯叫んだ。
「俺だ、刑吏!!◯ぬのは俺だ。セリヌンティウスを人質にしたメロスはここにいる!!」
磔台に登り、吊り上げられていくセリヌンティウスの脚にしがみつく。
当然、群衆はどよめいた。
「嘘だろ!?」「天晴れだな」「許してやれ!」と、口々に喚く。
やがてセリヌンティウスの縄は解かれた。
「……セリヌンティウス」
メロスは目の前が滲んで見えにくいながらも、正面からセリヌンティウスに向き合い、言った。
「人質にしてごめん。途中で悪い夢を見て、動けなくなって、情けない俺を、俺を殴ってくれ。じゃないと俺に抱擁する資格なんて無い。」
セリヌンティウスは全てを察した様子で頷き、群衆全員にも聞こえるような、刑場いっぱいに鳴り響くほどの音を立ててメロスを殴った。
そして微笑み、
「メロス、僕の事も殴ってくれ。この三日間で、初めて君を疑ったんだよ。こっちこそ殴ってくれなかったら、抱擁する資格がない」
そう言ったセリヌンティウスの頬を、メロスは殴った。
『…ありがとう』
ひしと抱き合い、嬉し泣きに、泣いて。
群衆も歔欷の声を上げた。
そんな2人の姿を群衆の背後から見つめていたディオニスは、やがて静かに2人に近づき、顔を赤らめて言った。
「お前らの望みは叶った。わしの心に勝った。……信実は空虚な妄想じゃ無かった。どうか、わしもお前らの仲間に入れてはくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れてくれ。」
群衆に歓声が沸いた。
「万歳、王様万歳。」
そんな歓声の中、1人の少女がメロスに緋のマントを捧げた。
「…?」
「……メロス、気づいてないのかよ…。君今全裸じゃん。」
セリヌンティウスが戸惑うメロスに教えた。
「え?………あ………!?」
勇者は、ひどく赤面した。
現 代 版 メ ロ ス
どうしてこれに2日もかけたのだろう