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中島敦風、弓が下手すぎる男の話
「中島敦風の文体で弓が下手すぎる男の話を書いて」>
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夜、朧な月が雲間から顔を出すたびに、弓を引く男の影が地面にゆらりと伸びては縮んだ。その男、名を李徴といった。いや、李徴ではない。李徴は虎になった男だ。だが、この男は虎にもなれない。せいぜい、的にすら当たらない、ただの人間だ。
的は、彼の眼前に悠然と鎮座している。その的まで、せいぜい二十歩ほど。だが、彼にとって、その二十歩は果てしなく遠い。いや、距離の問題ではない。彼の弓から放たれる矢は、彼の意図をまるで無視して、まるで気の狂った蝶のように、あらぬ方向へと飛んでいく。ある時は虚空をさまよい、ある時は的の手前の地面に突き刺さる。そして、ほとんどの場合は、弓を離れることすらなく、その場でカタンと音を立てて落ちるのだ。
彼はもはや、的に当てることを諦めていた。いや、正確には、的に当たることを期待するのをやめていた。彼はただ、矢を放つ、という行為そのものに囚われていた。まるで、そこにあるべき己の運命を確かめるかのように、何度も何度も弓を構え、矢を番え、そして、その度に深く絶望するのだ。
傍らに立つ友人は、もはや何も言わない。かつては、「もっと腰を落とせ」「肘を上げろ」などと助言をしていたが、今ではただ、静かにその無様な姿を見守るだけだ。まるで、そこにいるのは人間ではなく、ただの滑稽な道化師であるかのように。
男はふと、矢を番える手を止めた。夜風が、彼の顔を撫でる。その風は、どこか遠い、まだ彼が希望を持っていた頃の自分を運んでくるようだった。弓を引けば、的の中心に吸い込まれるように矢が突き刺さる。そんな、ありもしない過去の幻影を。
彼は、再び弓を構える。だが、その瞳に宿る光は、もはや的を射抜く光ではない。それは、自分自身を、この不器用な、あまりに無力な自分自身を、見つめる光だった。そして、彼は知る。自分は、李徴のように詩人として名を成すことも、ましてや虎に化けるような非凡な力を持つこともない。ただ、弓を引くことしかできない、そして、その弓すら満足に扱えない、ただの凡庸な人間であるということを。そして、そのことに、彼は深く、深く、安堵するのだった。
夜は更け、月は雲に隠れた。男の姿は、闇に溶けていく。だが、カタンと乾いた音が、彼の絶望と、そして安堵の証として、静かに響き続けるのだった。