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2 月桂樹
薬の香りと白衣を纏う、月桂樹の噺
綺麗な純白の服
幸せそうな笑み
繋がれた手
きらりと光る涙
形容する言葉は似通っているのに、彼女の服はドレス、私の服は白衣。
なぜこうも違うのだろう
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「パンジー、ちょっと聞いてよ!」
私はあるカフェで友人のパンジーとお茶をしていた。
アフタヌーンティーとは名ばかりの、所謂愚痴大会である。
「はいはい、ダフネ。どうしたの?」
紅茶に口をつけながら尋ねてくる彼女がパンジー。
いやいや聞いているように見えるが、それが彼女の通常であり、照れ隠しでもあることを私は知っている。
私が捲し立てる前で穏やかに笑ったり、一緒になって怒ったりしてくれる彼女は、前と少し変わった。
例えば、その美しく整えられた黒髪を耳にかけ、紅茶を飲む一連の動作。
前はもっと余裕がなかった。
次に、血色。メイクで厚塗りしていた目の下の隈や、肌のくすみがなくなっている。
そして、爪。ネイルで誤魔化していたわずかなひび割れが少なくなっている。
(きっと、精神的に余裕ができたんだろうなぁ)
今よりももっと昔。彼女が縫製からメイクまでのテクニックを身につけて、店を開いた頃はもっと酷かった。
基本的に個人は個人、と割り切るところがある私が心配する程度には。
じっと私が観察していることが気になったのか、何よ、と訝しげな目をする彼女に何でもないわ、と笑った。
つまんだプチフールが、ほんの少し空虚な味に感じられた。
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私は|慰者《ヒーラー》だ。呪いを解き、外傷を治し、癒しの経過を観察し、薬を煎じる者。
私なりにこの仕事にプライドを持ち、今日も働いている。
まだ、研修が終わって数年しか経っていないが。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
後ろから舌足らずな幼い声が聞こえて振り向くと、少し前に診察した子供が立っていた。
「お姉ちゃんのお陰で治ったよ!」
母親に嗜められながらも言う小さな妖精に、私はどういたしまして、と笑みを返した。
『お姉ちゃん、ありがとう』
あの言葉を言われるのは久しぶりだった。
寝たきりだった妹に、庭の花を持って行った時。
一緒に本を読んだ時。
眠れないと呟く妹とを抱きしめた時。
ホグワーツの写真を見せた時。
言われるたびに、私は嬉しくて、暖かくて。
もっと言って欲しいと思ったことを、今でも覚えている。
そして、それがきっかけで今、私がここにいることも。
妹……アストリアは血の呪いだった。
グリーングラス家に蔓延る呪い。
それは、私には受け継がれず、アストリアに受け継がれた。
私だったらよかったのに。
熱にうなされる妹を見ながら何度思ったことか。
奇跡的にも、ホグワーツに行く頃には呪いは影を潜めて、笑う姿が増えていった。
それでも、彼女は箒にも乗れず、一週間に一度は医務室に通い、不自由だったと思う。
だから私は思ったのだ。
血の呪いでさえも治せるような、|慰者《ヒーラー》になりたいと。
妹がホグワーツに入った頃からぼんやりと抱き始めていた夢が、輪郭を持ち始めたのはあの出来事がきっかけだった。
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私が四年生の頃。
今思えば、戦争の始まりだったあの|三校対抗試合《トライウィザードトーナメント》があった年だ。
あの年、うちの寮ではダームストラング校と共に食事をとることが多かった。
ダームストラング校では、マグル生まれの者が入学できない。
そのため、純血のものも多かったのだが。
「ねえ、ここ、良いですか」
そう言って私の隣に座ったのは、ブラウンの髪の女子生徒。
「ええ、良いわよ」
その子は私よりも3歳程年上だったが、毎食隣になるおかげで親しくなった。
そんな頃だった。私が妹と家の話をしたのは。
同情を求めるでもなく、ぽろりと口にしたその言葉に彼女は少し驚いたようだった。
その後、母国語で何か捲し立てたようだったが、私の疑問符を浮かべた顔に気づき、英語で再び喋ってくれた。
「わたしも、そうなんです。血の呪い。わたしは、蛇になってしまうのですが」
「蛇に……」
血の呪いには様々な種類がある。妹のように病弱で、早逝する事が定められている者から、動物の器に精神が囚われてしまう者まで。
彼女は、後者の者だったらしい。
「眠るときに勝手に変化してしまう。そのせいで気味悪がられたりもしますし、何より、あの感覚が気持ち悪いです。自分でも、嫌になってしまうぐらい」
「……」
私は、ただ黙って聞いていた。
「このままいけば、私は30になる頃には自主的な変化が難しくなり、40には人間に戻れなくなり、50になる前には完全に蛇になってしまうでしょう」
「私の、この体が恨めしいです。でも……あなたに、色んな人に良かったです」
そう言ってふわりと微笑む彼女には、底無しの諦めが滲んでいた。
血の呪いに苦しむ者は、彼女や妹だけではない。
海を超えた向こうにも、南のさらに南の国にも沢山いるはずだ。
その人々が皆、同じように苦しみ、諦め、それでも生きようとしているのなら?
(この諦めを、取り去りたい。諦め無しで、生きようとして欲しい)
傲慢かも知れないが、そのとき、そう思ったのだ。
そしてそれは、その年のダンスパーティで決意になった。
サリーやチャイナ服、ふわりとしたドレス、タキシード……
その色とりどりの中で、楽しそうな笑みで踊る彼女を見て。
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だが、今。私はそれを諦めかけていた。
日々、救えた命と手からこぼれ落ちていった命。
自分の確認不足で発見が遅れた疾患から、病院に着いたときにはほぼ手遅れだったもの。
完治して笑顔を見せてくれる人もいれば、憎悪を胸に病院を後にする人もいる。
文句を言うこともできずに永遠の眠りにつく人もいる。
先ほどのように感謝を笑って伝えられる状態で退院できた人がどんなに多くても。
笑顔で退院できなかった人たちが脳裏に張り付いてしまって。
こんな私が、血の呪いを治せるような、「なんでも治せるお慰者さん」になれるのだろうか。
この前のアフタヌーンティーの時。
心が空虚だったのはそのせいだ。
パンジーは職に誇りを持てる人間だ。
もちろん、それが一朝一夕のものとは思っていない。
そこに到達するまでの長い道のりと苦労があったはずだ。
けれど、思ってしまうのだ。
どうして、私は、と。
妹は結婚した。
友は立派だ。
では、私は?
いつまでもぐじぐじと悩んでばかり。
私だけが、ホグワーツの湖を最後に眺めた時から離れられていない。
私だけが、妹の結婚式で夢を語ったあの場所から離れられていない。
手を伸ばせども、その手は空を掴むばかりで。
嫌になってしまう。
ふうっと息をつくと、「グリーングラス?」と声を掛けられた。
誰だろう、と振り向くと、黒髪を三つ編みにした、同い年ほどの女性が立っていた。
格好からして、見舞だろうか。
「どちら様?」
「私よ。パドマ・パチル。レイブンクローの」
「! ああ!」
思い出した。確か姉がグリフィンドールの双子の片割れだ。
接点はあまりなかったが、ホグワーツ最後の一年間の時、闇の魔術に対する防衛術でペアを何度か組んだ覚えがある。
「久しぶりね。どうしたの?」
「うちの姉の付き添いよ。もしかしたら妊娠してるかも知れなくて。さっきお墨付きを貰ったわ」
「あら! おめでとう」
妊娠か。それはおめでたい。
姉は結婚していたと言うのは初めて耳にしたが。
だが確かに、私たちの年齢からすれば私も結婚していて良い年頃である。下手をすれば子供も。
そんなことを思っていると、パドマはため息をついた。
「ありがとう……全く、結婚してないのに。避妊してたらしいのに、できちゃうって本当なのね…」
「え……?」
「何よ、そんな意外そうな顔して」
よくあることじゃないの?という目を向けられたが、知るわけがない。産婦人科にいたのは初期研修の時だけだったのだから。
「パーバティ、不覚って言ってたけど、嬉しそうだった。困った顔で仕事の引き継ぎしなきゃな、とか言ってるのよ。全く、嫌になっちゃう」
「……」
「もうすぐ自分が担当の事業が終わるんですって。その完成だけ見て、休職するって言ってたわ」
「そう」
ああ、やはり皆、色々あるのだ。成長して、大きくなって。私だけが、やはり取り残されている。視線を落としかけたその時、パドマが言った。
「でもあいつ、パドマも早く良い人見つけたら、なんて言うのよ。人には人の生き方があるって言うのに。人の一生なんて誰にも分からないし、その人のものよ。ね、そう思うでしょ?」
はっとした。人には人の。わかりきっていたことなのに、その意味を本当の意味で捉えたことなどなかった。
これまで、個人個人、十人十色という意味だと思っていた。
でも違うのだ。
人の一生はその人のもの。
それだけじゃない。どう生きるか、どうなるかなんて、今から見通せるはずないのだ。
それに……
「血の呪い」を治したい。
私は今、どんな思いでそれを思っていた?
哀れみ? 救済? それとも夢を叶える為?
馬鹿みたいだ。
そんな上から目線で自分本位のものを、喜んで受け取る人がいるはずがない。
でも、私は助けたい。
だって、その呪いがなければもっと、もっと、生きられるのだ。
私はその可能性を伸ばしたい。
私が最初に思ったのは、そういうことじゃないのか?
必要なのは、その思いと、技術じゃないか。
私はその二つを大きく、深く、そして謙虚に育てていくべきなのではないか。
私は、視線を上げた。
「そうね、ありがとう!」
私は困惑した顔のパドマを置いて、待機室に戻っていった。
窓の外には、美しい月桂樹が茂っていた。
眠り姫です
流れがぐだぐだ……
ちなみに私の中でダフネはカールした黒髪のお姉さんです。
人前では姉御肌の。
さて、次は誰にしようかな。薫衣草か、紅蓮華か。それとも山の娘……?
では、ここまで見てくれたあなたに、心からの祝福を!