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._本当の名前
見てみてください。
一番初めの頃…十六話の、彼女のキャラクターデザインを。
今とは決定的に違う、一つの要素があります。
かつては咲夜と同じだった、それがありますから。
シンと張りつめた空気を、冷たい声が破いた。
「私は泉桜月。…ポートマフィアの幹部です」
そして、過去の詳細が不詳。
人造人間なのか、ただの文字列なのか、日記の文章なのか…さっぱりわかっていない。
ただ、わかっているのはフョードルが白紙の文学書に何か書き込みをした事だけ。
その副産物に過ぎないのか、元々実体のある人間だったのか、それはわからない。
わかってしまいたくない。
わかってしまえば、凡てが変わってしまうかも知れない。
もう、みんなと居られなくなるかもしれない。
だから、
「何も考えずに今日の任務を遂行するために…参りました」
火蓋を切り落とすは、焔龍。
炎を吐くと同時に、私が立つ倉庫街の中に連発の銃声が響いた。
それと同時に、目の前に躍り出た一人の男。
躊躇いなく小刀を彼の首へ振るうと、その男は呆気なくその場に崩れ落ちる。
___置き土産として、私が反応不可能な死角から|電撃銃《スタンガン》を投げてから。
「…! っうぁ…!!」
バチン、と何かが弾けるような音と共に体中に裂けるような痛みが走って、視界が|暗転《ブラックアウト》した。
---
私は、その少女の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その少女の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、四歳前後と推定される頃の写真であって、その子供が大勢の白衣を着た大人に取り囲まれ、(それは、その少女がいた研究所の研究者ら、そして私も含んだそれらの大人だと思われる)無機質な白い立方体の部屋に、白のワンピースを着て立ち、首を三十度ほど左に傾げ、硬く笑っている写真である。
硬く?
けれども、鈍い人たち(つまり、子供の表情などに関心のない人たち)は、その少女の顔の完璧としか云いようのない造りばかりに目を取られて、
『可愛らしい笑顔のお嬢さんですね』
といい加減なことを云っても、まんざら嘘には見えないくらいの自然な笑顔であり、何せその少女の元々の顔立ちが異様に整ってはあるのだが、しかし、いささかでも、表情に就いての訓練を経てきたひとなら、ひとめ見てすぐ、
『なんて、いやな笑顔だ』
と頗る恐ろしそうに呟き、毛虫でも払いのけるかのような手つきで、その写真を放り投げるかも知れない。
まったく、その少女の笑顔は見れば見るほど、何とも知れず、恐ろしく悲しいものが感ぜられてくる。
どだい、それは、笑顔ではない。
この子は、少しも笑ってはいないのだ。
その証拠には、この子は、両方の瞳を強張らせて、硬く絞った様な表情を浮かべている。
人間は、瞳を強張らせて笑えるものでは無いのである。
殺される直前の小動物だ。
小動物が、命乞いをするように浮かべる、そんな笑顔だ。
ただ、口角と頬を上げて目をパチリとさせているだけなのである。
『球体関節人形』
とでも云いたくなるくらいの、まことに物悲しく奇妙な、そうして、どこか恐ろしく、変に人の心をざわつかせる表情の写真であった。
私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を、彼女以外には見たことがなかった。
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。
七歳ほどの姿である。
はたまた、小学生中学年くらいなのか、それとも未だ五歳ほどであるのか、はっきりしないけれども、とにかく、恐ろしい美貌の少女である。
しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。
先程の服装よりも少しばかり装飾のついた、同じ白のワンピースを着て、管椅子に浅く腰を掛けて手足をきちんと揃え、やはり、笑っている。
今度の笑顔は、命乞いの笑顔ではなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。
血の重さ、とでも云おうか、生命の渋さ、とでも云おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようで無く、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。
つまり、一から十まで造り物の感じなのである。
仙姿玉質といっても足りない。
芍薬と云っても足りない。
牡丹や百合と云っても足りない。
初心と云っても足りない。
望月と云っても、もちろん足りない。
しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の少女にも、どこか物悲しい恐ろしさが感ぜられて来るのである。
私はこれまで、こんな不思議な美貌と儚さをもった少女を、彼女以外には見たことがなかった。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。
先程迄成長するのに従っていたのが、また三,四歳ほどの幼い少女に戻っていた。
だが、宵闇の様な黒髪はなく、真珠の様な白い輝きを放つ長い髪をもつ幼い少女。
それが、まるでよくわからない円筒の、青黒い液体の中に浮遊していた。
それこそ、先程比喩した”球体関節人形”の様に。
浮遊する少女は、今度は笑っていない。
どんな表情もない。
謂わば、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉の感じがする写真であった。
奇怪なのはそれだけではない。
その写真には、わりに顔が鮮明に映っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べることができたのであるが、
その肌も、その線一つも、その眉も、その瞳も、鼻も口も顎も、ああ、この顔には表情がないばかりか、何の色も浮かんでいなかった。
その特徴を言えるとするならば、浮世離れした可憐さを持つ美貌、それだけだった。
たとえば、私がこの写真を見て目をつぶる。
私は既に、この少女の容姿を忘れている。
その美しさが故に、正しく記憶する事すらが叶わない。
不可思議な円筒の装置や青黒い液のようなものは思い出せても、その少女の姿だけは全く思い出せない。
その美しさと、可憐さと、果敢無さのみが記憶に残るばかりである。
眼をひらく。
あゝ、この顔だ、と思い出す。
思い出せたという喜びすら感じられない程に、それは浮世離れした美しさを持った少女だった。
人の記憶にとどめておけない程の、美貌の少女だった。
人間の身体に天女だか天使だかの頭をつけたなら、こんな感じになるのだろうか。
とにかく、どことなく、見る者をして、凍り付かせ、恐ろしい気持ちにさえさせるのだ。
私はこれまで、こんな不思議な容姿の少女を、彼女以外にはいちども見たことがなかった。
---
「愛するものが死んだ時には 自殺しな|けあ《きゃあ》なりません…愛するものが死んだときには、それより他に、方法がない。___そうじゃあ、ありませんか?」
「はっ、知らないな」
目の前で、私を見下すこの男らを思い切り睨みつけた。
異能の効かない金属製の手錠に拘束されていることがこれ程に恨めしいなんて。
後ろ手に手枷、足にも足枷という、そんな絶望的ですらある身動きの取れない状況で床に転がっている。
「…名乗っていたから間違いないとは思うが一応確認する。お前はポートマフィアの花姫、泉桜月__そうだな?」
「私が答える義務は__くっ…!」
鳩尾に入った蹴りの衝撃で口がはくはくと動いた。
酸素が凡て外に出てしまった気さえする。
「今の状況を見誤るなよ、今のお前は所詮、縛られている只の子供だ…もう一度聞く。お前は泉桜月か?」
流石にポートマフィア相手と知って此処までする覚悟のある人たちの前で、既にバレていることを隠す意味もない。
私はただの意地っ張りじゃない。
「…そうだけど」
漸く返事といえる返事を返すと、目の前の一番位が高いらしい男がにんまりと笑んだ。
何コイツ、笑い方怖すぎ。
「ならあの重力使いの化け物の女で間違いないな」
「…はぁ」
口から思わず漏れた声に自分でも笑いそうになった。
何、はぁって。
目の前の男もそう思ったらしく、怪訝そうに此方を見た。
「…いや、だって...人の恋愛関係とか、貴方達に関係なくないですか?ましてや敵組織の」
「敵組織だから関係があるんだよ…アンタには人質になってもらう、泉桜月」
成程、面倒くさい事になったなぁ、と気の抜けた考えをしていると、本日幾度目かの蹴りが入った。
「けほ、っ…人質をこんな乱暴にして、大丈夫なの?」
「別に。嫌がらせにもなって一石二鳥だ」
「…因みに中也を其処迄恨む理由は?」
「彼奴…彼奴が__重力遣いが俺達の邪魔をしてきたんだよ、ポートマフィアの商場をちょーっと荒らしたからって組織の半分、半分が彼奴に潰された!此の儘じゃ組織ごと潰される、だからその前に叩こうって話だ」
「マフィアの市場を荒らすなんて無知にもほどがある…そんなの叩かれて当然で、っあ…!!」
グイ、と髪を掴まれて上を向かされる。
普通に痛い…禿げる。
「図に乗るなよ餓鬼が」
「調子に乗ってるのは貴方達…!餓鬼一人を人質にとったからってどうして中也を殺せると思ったの...!?」
「あぁ?自分の女が人質で何時殺されるか分かんない状況で…果たして重力使いは抵抗できるのか?」
っ私如きで中也を殺せるなんて思ってるなら大間違い、
「中也はあのポートマフィアの幹部。私情を仕事に持ち込むわけがないでしょう」
きっと睨みつけてやると、今度は破裂音が響いた。
痛い。 ?
痛い、痛い、いたいっ ???
銃弾が肩を貫いたらしく、左肩がとても熱かった。
撃たれた、と認識してようやく痛みが脳に届いたらしい。
「っ、ああぁあああ!!」
「悲鳴は年相応、ってか?」
「はっ、お可哀そうで何よりっすね、頭領」
「お前らは下がってろ…作戦変更だ。此奴の態度を叩き直してとことん嬲り…その映像を重力使いに送って助けに来た奴の目の前で殺してやる」
私を鈍く貫くその視線に、背筋が冷やりと凍りついた。
「っそんな事…貴方達に出来ると思って...っ?」
「その状態でいくら凄まれても、なぁ」
「可哀想な子兎ちゃん...いや、仔鼠か?」
「…鼠は絶対嫌です。辞めて下さい」
「そこを断固拒否するのが理解できないんだが」
「兎って云ったらイリナキウサギって可愛いやつがいたっけ」
「いや知るかよ」
なんでこの人たち可愛い動物の話をしているんだろう、と思った束の間、拷問道具を持って来いと云って此方を見た頭目らしき男とまた目があった。
…いつ見ても怖い笑い方するなぁ……
「…って、ゆーかその前に私殺したら中也が貴方達を殺すのに思いとどまる理由がなくなりますけど」
「アンタを殺してすぐ俺らは地下にでも逃げる、単なる嫌がらせにはなるが十分だろ」
単なる嫌がらせとして殺されるのか、私。
地下に潜るくらいで逃げられると思っているこの人たちのお目出度い頭もどうかしてるけれど。
ていうか、これ、任務失敗になっちゃうよね。
…幹部ともいうのに、とんだ失態をしてしまった、。
---
後悔ばかりの生涯を送ってきました。
私には、人間の想いというものが、見当つかないのです。
私は生まれは自分でもよくわかっておらず、少し手掛かりを掴めたと思う度にまた、手と手の指の間をすり抜けてゆくのです。
ただ、自らの認知している我が家は、温かく何も心配する事のない環境でした。
聡く優しい母。強く温厚な父。いつも一緒の双子の姉。
そんな極々普通の笑顔溢れる家庭が壊されてからと云う物は、幾度となく命の危機に晒されながらも生きてきました。
親を失い、姉と逸れても尚、しぶとく生きてきたのです。
ただ状況が悪かった。
ただ私の持つものが悪かった。
それ以外は、普通の人々と、同年代の少女らと、何ら変わる所はありませんでした。
そんな私の数少ない他人との差異は、私が人間かどうかわからない事です。
私は実験によって生み出されたものなのか。
私は異能生命体と何ら変わらない存在なのか。
そもそも私という存在すらが何度も疑えるような状況にさえありました。
"白紙の文学書"という存在があったからです。
もしその一枚の頁に書き込まれて現在の形を形成されたならば、それは人間と呼べるのでしょうか。
人造人間、そう呼んだ方が幾ばかいいでしょう。
そんなひねくれ者だからこそ、私には人の"想い"が、わかっているようでわかっていなかったのです。
人の"想い"。
守るべきもの。
それがわからないと訴えようものなら、優しい周囲は気にせずそれからも私に接してくれるでしょう。
でも、愚かな私にとってはその優しさが余計に沁みるのです。
自分のような者が受け取っていい優しさではない。
それはもっと、他の__人間と呼べるような存在の、私よりも命の価値の高い者にかけられるべきもの。
ただ、その優しさを無碍にできない。
その一心で、私はずっと、"想い"を私がわかっていないことを隠し通し
--- ―――嘘を吐いてきました ---
そうでなければ、忽ち凡て、壊れてしまいそうだったのです。
---
金属のやかましい音を立てながら道具を用意していく男たちを黙って見つめる。
あ、あれ買おうと思ったけど紅葉ねぇが駄目って云ってたやつ...
それからあっちは黒服さんに泣きながら”やめておいてあげてください”って云われて…
…あれ、そういえば何で駄目だったのか聞いてなかったっけ、まぁいいや。
ピッ、とカメラを回す音がして、顔を上げると目の前で厳つい人が此方にレンズを向けていた。
それとは別の男_頭目が目の前にしゃがみ、前髪を掴み上げる。
辞めて。禿げる。…なんて。普通に痛いから辞めてほしい。
じくじくと、今も左肩からは血が流れだしている。
「う…っ」
「…さぁて、始めて行くとしようか。精々可愛らしい悲鳴を上げてろ」
「それで大人しく…っい…あぁああっ.!」
先程銃弾が貫いた左肩を、今度は鉄の棒のようなもので抉られた。
床をのた打ち回っても、蹴られて殴られての始末。
「はぁ、もっと派手に悲鳴上げろよ」
「生憎、そんなんじゃマフィアはやっていけないんで...っうあ__!」
「可愛げの欠片もないやつだな」
「さ、っきも云ったけれど、っんなのですぐ駄目になるようじゃマフィアの幹部なんぞやってられないんですよ!!」
「甚振られるのも殺されるのも怖くねーのか?」
少し、考えてから口を開いた。
…じくじくと傷が痛む。
「…怖い、ですよ…そんなの、嫌だし怖いに決まってるじゃないですか」
それを聞いて言葉を発そうとした男を遮るように、続けて云った。
「でも、そんなこと云ってられないんです。私は、この歳でマフィアやっていけるだけの覚悟決めてるんです。こんなんじゃ__もっと幼い頃Nにされた拷問紛いの実験の方がずっっっっと辛かったっっ!!だから、幼い私が救われないから!!私はここで泣いてなんかいられない!!!」
「…痛いのも殺されるのも怖いなら、命乞いさせてやってもいい」
「、は…い_?」
「だから、震えて命乞いするなら助けて遣ってもいいって云ってんだよ」
「…命乞い、する権利なんて私にはない......命乞いをしていいのは、命乞いをする価値のある命のみが許されたんだもの......そもそもそんな恥さらしを、するわけがないでしょう__大体私が、そんな言葉を信じられるとでも思い、ましたか?」
「信じる信じないの話じゃない、交換条件を達成すれば其の儘逃がしてやるだけだからな」
交換条件。
矢張りそう来るだろうとは思いつ、嫌な予感に顔を顰めた。
「…その条件は?」
--- 「重力遣いを殺す事」 ---
---
私はその嘘を隠し通す為に、また嘘を吐きました。
『』
『』
『』
『』
『』
『』
軈てそれは大きな暴力となって自らを蝕むでしょう。
でも、それでいい。
"想い”が理解できない自分には、それがいいのです。
それがなければ、私はただの|機械仕掛け《アンドロイド》になってしまうから。
私にとって笑顔は、ただただ私の殻を固めるための手段の一つにしかなりませんでした。
だから、私は自然と何も考えずに"想い"を想像するようになりました。
それを理解できていなかった幼子の頃は、だから幾度も幾度も苦しさを味わい、白衣を着た大人たちに叱られていたのだと理解しました。
想いを理解する事の出来ない私には、その想いを推し測る資格も思いを馳せる資格もない。
--- 周囲の想いを理解する人にのみ ---
--- 優しさと云う物も想い遣りと云う物も向けられる ---
そう、理解しました。
そして、理解できない私には、それを向けられる資格などないのに
--- 優しさを享受してしまっていることも ---
---
ガクン、と目の前の男が突然こと切れた。
「は…?」
「と、っ頭領!?何処のどいつが…!!おい餓鬼!!お前何しやがって...」
「一体何が!っつ、次々と死んで...!」
「……中也を……私が殺す...?」
「ヒッ、何なんだコイツっ」
「もういい!う、撃て!!俺らが殺される__」
「……私が、中也を____??」
周囲の男が私に飛び掛らんとした瞬間、私|を此処に《の心を》縛り付けていた手錠がパキッといとも簡単に破壊された。
「…何、云ってるの……?」
恐怖に後ずさる男たちを私は虚ろな目で見据えた。
撃たれた傷は相変わらずじくじくと体を痛みに蝕んでいる。
ぼたぼたと垂れる血を視界の端に入れつつ、私はゆっくり立ち上がった。
急激な外因失血のせいで起こった血圧低下、酸素濃度の低下にふらつく体。
ぼんやりと頭痛のする頭を振って自分の掌を見た。
「…さく、や......?」
其処には、幾年振りかに見る、あの日の__
__嵐を呼んだ日の、あの獣と神の衝突した日の、月色の文様が浮かんでいた。
「…中也を殺して私が助かる…?ありえないよ、そんなこと…そんな事する位なら、ここで死んだほうがずっとまし…」
「なら此処で死ねえっ!!!」
__生れて、すみません
誰かの云った言葉が、これほどしっくり来たのは初めての様に感じた。
---
それを理解してからと云う物、私は思いを理解しているように行動する事へ努めました。
苦しい思いをしていても、
『皆この思いをしている』
『皆が耐えている事』
『自分に出来ないなんて甘い考えをしてはいけない』
『こんな私に痛い等烏滸がましい事を言える権利があるわけない』
そう思い、白衣の大人たちの行動にも、苦しい時間にも、耐えることを覚えました。
何も声を出さずに、何に抵抗も示さずに、凡てを彼らに流されるままにする。
すると、彼らは偉い、と褒めてくれるようになりました。
ああ、これがあっていたんだ。これが正解だったんだ。
ずっと苦しみを味わっていた自分が、漸く我慢する事で褒められることを覚えたのです。
我慢しなきゃ。
白衣の人々の想いを理解して、邪魔をしないようにしなきゃ。
その人々の、力にならなきゃ。
そうすれば、私にも"想い"と云う物は理解できるようになる。
そう考えました。
煩いと言われれば黙り、
早くしろと云われれば幾ら疲れていても奔り、
こうしろと云われればその通りにし、
これをするなと云われれば絶対にしない。
これを覚えてからは、何故こんな単純なことができていなかったのだろうとすら思うようになりました。
初めからこうすればよかったのです。
初めから何も考えずに、"想い"を理解できる、人間としての価値のある人になれるように努めたらよかったのです。
そうすれば、
--- 私達は間違えずに済んだのでしょうか。 ---
---
「…おい、嘘だろ…!何処のどいつだよアンタ…!!」
「急に別人になったぞ!?こんなの聞いてない!!」
「じ、っ銃弾が効いていない___!?」
手を伸ばしていた。
数糎先の銃弾に向けて。
それは美しい桜の壁だった。
儚いその桜によって___凡ての銃弾が防がれているのだ。
「…この子を__一番初めに傷付けたのは誰?」
美しい青の瞳が、だんだんと殺意を帯びる赤に変わっていく。
長い濡れ烏の髪が緩くウェーブを帯びてさらに伸びていく。
暗闇の中に浮かぶ、満月のような髪の色。
何よりも白く咲く、花のような。
それはまさに、夜桜の色だった。
「…此処で私を呼びだすなんて。偶然にしては、上出来ね」
壁になっていた桜がパッと散り、その姿が周囲にはっきりと露になった。
--- 「もう一度問うわ。答えなさい」 ---
--- 「この子を一番初めに傷付けたのは、誰」 ---
「と、頭領です…」
「ほ、本当だッ、俺達じゃない!!」
「ッ誰だよマジでコイツ…!?」
天から舞い降りた天女。
それがまさに、彼女の姿を言い表すに相応しかった。
「__私は咲夜…それ以上でもそれ以下でもない__!!」
外で虐殺が始まろうとしている時、とある場所では桜月と咲夜の会話が始まっていた。
「…ここ、もしかして」
「ええ、《《あの時》》__初めて会った時と同じ空間よ」
「、っ暫く、会えないって云ってたのは…」
「またこうしてこの場で会える事はわかっていたもの」
私にぎゅうと抱き着くその少女を抱き返し、頭を撫でた。
…あれ程甚振られても尚大切な人を想う、か。
「…頑張ったね、桜月ちゃん」
「さく、や...っわ、私…!くやしくて、っ幹部なんだからもっとちゃんとしなきゃって思うのにっ、こんな…め、迷惑ばっかかけてる…っ」
ぽろぽろと涙を零しながら顔をくしゃりと歪めてそう泣く彼女を、もう一度、もう一度、何度も何度も撫でる。
「…貴女は此処迄ちゃんとやったもの。大丈夫よ、よくやったわ」
我慢していた声を上げながら、幼子の様に泣きじゃくる。
さくや、さくやぁ、と何度も私の名を呼びながら。
---
「っ此奴、バケモンだろ…!!」
「なんで化け物を倒す為に呼んだ奴が化け物なんだよ!!」
「マジで殺される!!もう逃げようぜ…」
「無理だっ、逃げ道はふさがれてる…!!」
真っ白だった髪が血に染まりつつある。
その瞳は相変わらずの血の色。
「…まだ生きてるの、あの子を傷付けた貴方達が」
もう一度、桜が空を舞った。
---
そう、私達には人の想いと云う物が理解できていなかったのです。
故に咲夜は幾度も傷付き、
故に私は幾度も凡て忘れた。
何故其処まで奔るのか。
"想い”を捨てたからと云って死ぬ訳でも何もかもが終わるわけでもない、
それなのに、何故其処までするのか、私達には分からなかったのです。
人がまっすぐに目指すもの、
人がまっすぐに向かう場所、
人がまっすぐに守りたいもの、
そんな人の想いすらをわかることのできない私達は
--- 『初めから人間失格だったのです』 ---
幾ら醜い自分を嫌っても拒否しても、影のようにどこまでも付いてくる自分が心底嫌でした。
いつか
いつの間にか
そこは、美しい花園でした
咲夜と、私だけのいる、四季折々が入り乱れる、美しい場所。
私達にしか入ることのできない、優しい場所。
理解のできないものが、何もない場所。
理解できずに周囲を気遣わせてしまうことも、
それに心労を重ねていく自分も、
存在しない、私達だけがただ"在る"、そんな楽園。
失敗してばかりの、後悔してばかりの、間違いばかりの私達が自分と素直に向き合える、唯一の場所。
咲夜は、私が覚えていない間、そこで待ち続けていたのです。
私が何時か、帰ってくることを。
私が思い出して、本当の、怖がりで臆病な自分自身を思い出して、この楽園を見つけ出すことを。
『神に問う__無抵抗は、罪なりや?』
『…いいえ』
ただ、一切が過ぎてゆきます。
『|私《神》だって、無抵抗な者だから』
ただ、一切は過ぎてゆきます。
唯一の安楽を保てるその場所で、花園で、
--- 私達は生きているのです ---
---
「ねぇ、咲夜は、、如何して、急に発動したの、?」
「貴女があの詩を唱えたのではないの?」
「そんなの、唱えてない…っていうか、唱える余裕がなかったの、実は...」
「…私が、こうして動いている|原動力《エネルギィ》は何だと思う?」
「え、急…うーん...|原動力《エネルギィ》、なんて…異能力にあるの、?」
「実際私は自由に動ける訳じゃないわよ、奇獣を使おうとしても使えないときがあるのと一緒、一応一定の制限はあるの」
「…うん、」
「貴女はずっと、大切な人を扶ける為に奔ってきたわ」
「…うん」
「その"扶けたい"が""傷つけたくない"へと変化してしまうこと。それがキーポイント」
「…なるほど?」
「…それでね、貴女は…過去の実験によって、既に知っていたのよ…私の、名前でも詩でもない、異能力名を…」
「っ…!咲夜は、人の、神様の名前で…四季はその"咲夜"に伴って付属した異能だから…!!」
--- 「そう。私の名は咲夜でも、異能力名は”咲夜”ではないのよ」 ---
「それを開放する一つの手段として、あの詩が存在するだけ...《彼》と違うのは、その点よ__貴女は私の異能力名としての名前を記憶的には知らない…彼がそれを荒覇吐と呼ぶように、貴女は私を咲夜と呼ぶ、それだけのことなのよ」
汚濁。汚れつちまつた悲しみに。
それを汚濁と呼ぶように、私にも異能力としての名がある。
全く知らなかった訳ではないけれど、突然の告白に驚き、震えている少女。
ごめんなさい。
だけれどもう少し、伝えておかなければならないことがあるの。
「…私と貴女の切り替えが上手く行かなかった場合、あなたが感情のコントロールができなくなった場合には__互いが互いをコントロールできなくなって、やがて死に至るわ__彼が汚濁を、自らでは制御できない様に…そして、今でこそこの場所でこうして話していても、貴女は傍から見れば、彼が汚濁を使っている時の様な有様なのよ」
「え、…っ」
「そうして身を滅ぼしてきた私の主を、平安の世から何度も何人も見て来た。私と同じ貴女には、そうはなってほしくない」
「わ、たしとおなじ…あなた、には…って、」
「…私は貴方の母に酷似している。けれど血の繋がっていない母だ、と。違うの。__だから私は貴女の元へ来たの」
「…でも、それならお姉ちゃんの方が、」
「…手を加えられた貴女という存在が、きっと私を惹き導いた。あの鼠によって…それでなお、彼らと親子として生きた、家族を、姉を見い出した貴女が」
「実験によって作り替えられ、鼠によって書き換えられる。そんな少女が...他に二人と居ると思う?」
「…思わない」
そして私は__二人の姉とは違い、出来損ないの神。
コノハナサクヤヒメ__その名を持って火の中に死んでいった、中の姉の姿が目に浮かぶ。
二人が揃って嫁に行くことで旦那となる人は神の一族として永遠に生きながらえることができるのだ、といわれて二人そろって嫁に出された姉らは、一番上の姉の醜さに上の姉のみが追い返されてしまった。
そう聞いている。
とても優しく、そして強かった上の姉。
儚く、直ぐに散ってしまいそうだった中の姉。
私はそのどちらでもない、出来損ないの妹。
中の姉が死んでから、受け継いだこの名前。
異能力として使役されるようになった、『手を加えられた』神。
だから__。
--- 「…それじゃあ、そろそろ私は戻るわ」 ---
「待って、私、異能力名を聞いてないよ...」
「それはもうわかっている筈よ、自分自身に聞いてみなさい__絶対に分かるはず」
---
意識を取り戻すと、周囲には生き残って怯えている男たちと、哀れにも咲夜の手から逃れられなかった男たちだった無惨なものが転がっていた。
「ま、また姿が変わった…」
「ひいっ、もう辞めてくれ…!」
云っては駄目だ、駄目だって何度も心の内が云うのに。
私は口を開かずにはいられなかった。
--- 「異能力__」 ---
--- 『重力操作』 ---
ダァン、と頬の横を通り抜けた衝撃に、ハッと我に返った。
この声、この異能...っ
鮮やかな橙の髪。
黒帽子に、はためく外套。
「おい桜月ッ!!」
「っ!ちゅ、や...なんで、」
一直線に私に駆け寄って来るその姿に、思わず安堵で崩れ落ちてしまった。
「桜月、ンでこんなことに…!」
「ちゅう、や...!だいじょ、ぶ…?この人たち、中也のこと…っ」
支えたまま私を地面に横たわらせると、何度も何度も中也は頬を撫でた。
今更ながら、全身が途轍もなく痛い。
「…手前は後で何があったのかたっぷり聞いてやる、今はその前に…」
--- 「…俺の女に手を出した奴ァ…全員前出ろ、俺が潰す」 ---
男たちが前に出るのを中也が待つはずもなく、全員がその場で沈み込んだ。
これでこの組織は壊滅__。
あぁ、また私のわからないこと、増えちゃった。
「ごめ…、ね、めぇ、わくかけちゃった、っう…けほっ」
「あ゙ぁ゙!?一旦手前は黙ってろ!奇獣も呼べない状態で無駄に体力使うんじゃねぇよ」
「わか、った」
自分の体が戻ってきた感覚が漸く感じられた気がした。
私のことを一番分かっているのは、私じゃなくて咲夜の様な気がしてならない。
いや、むしろフェージャの方が……うぅん、その最悪な想定はしないことにしよう、だなんて。
救助班は既に向かってる、と教えてくれた中也の体温が手袋越しに頬に伝わってきた。
やっぱり暖かい。
中也の掌は、とても優しくて暖かい。
何時も安心させてくれるような、そんな…。
そんな事を考えているうちに、意識が落ちた。
---
「…おや、目が覚めたかい?」
「…よ、さの…せんせ…?」
「あまりにも重傷だからってあのポートマフィアが揃いも揃ってアンタを運び込んで来たんだよ、仮にも医者だったってのにあの人も情けないねェ」
「うそ…もうしわけな、い…っ」
「にしても、アンタ何があったんだい?徹底的に半殺しを極められたような有様だったけど」
頭がはっきりしてきて、任務に失敗してからのことを少しずつ思い出してきた。
…あの人達の狙いは、最初から中也。
「…中也への嫌がらせに、私を利用しようとして…ってところです」
「成程ねェ、面倒臭い連中じゃないか…にしてもそいつ等は全員殺しちまったかい?」
「…たぶん、最後の方はほとんど覚えてないけれど…。全滅だとは思います、一人を除いて」
「一人?」
…マフィアだからこその一人の生存者。
「…聞き込みですよ、拷問し返しての」
「ふゥん、まぁそこは|妾《アタシ》の出る幕じゃないだろうし言える事もないだろうけどねぇ、徹底的にやってやりな」
「…え、っと…?」
「アンタがされたこと、全部そのままそっくり返してやりな、妾ならそうしないと気分が悪い」
されたこと、全部返してやらないと気が済まない。
組織性は関係なしに、個人として腹が立つから。
気分が悪いから。
「…そう、ですね…なんなら何倍にもして返してやります、っ」
「その意気さ」
ドタバタ、と賑やかに駆け込んでくるいくつもの足音。
顔を上げると、探偵社の面々の間を縫うようにポートマフィアの面子も揃っていた。
「…首領、っ任務失敗してしまって、誠に申し訳ございませ__っ」
「ふざけるな」
「へ...?」
思わず、下げようとした頭を上げてしまった。
ボスが、テニエルが、まっすぐ私を見据えていた。
「ぼ、す...なんで、そんな、」
涙を溜めて、るの…?
「ふざけんな、っふざけるなよ、!あんだけの重傷負っておいて”任務を失敗してすみません”?マジでふざけるのも大概にしろよ…!!」
ぎりぎりと握りしめているその拳に、どれほどボスが感情を爆発させまいと必死に堪えているのが見て取れた。
でも、なんで...?
「だって、任務を失敗したら、謝るのが当然…だよ、自分が怪我したからって放り出していいものじゃない、でしょう…?」
「だとしても、おかしいだろ…!」
「ほらほら、二人とも其処迄にしておきなさい」
首領に窘められて、何も云わずにボスは俯いて一歩下がった。
わからない、どうしてなのか。
私には、わからない。
何に対して、そんなに感情を露にしているのか。
「まず、桜月ちゃん、君が無事で何よりだったよ。生き残っている一人に吐かせたところ、初め君が気絶させられた時に使われた|電撃銃《スタンガン》は、一般に武器として使われるものの十数倍の電圧がかかるものらしい」
「え、っそう、なんですか…?」
「知らずに普通にしておるのが異常じゃの」
ほほ、と笑みを浮かべる紅葉姉さん。
「…そんな物を受けて普通に立っている者なんて、特異体質の者位だよ、君に責任はない」
「でも、っ私がもっとちゃんと気を付けていたら...こんな事にならなかったのかもしれない、のに…」
「桜月や、お主はちと勘違いしておらぬか?幹部じゃからと云うて凡て成功する訳がなかろう」
「で、でもっ」
「|私《わっち》かて共喰いの時に探偵社に連れられたのじゃから、其処迄落ち込む必要はない」
そ、っか、紅葉姉さんもあの時…。
でも…探偵社はしっかりしてて、あんな組織とは比べ物にはならないもの、。
「…桜月ちゃん。君が今すべきことは贖罪でも後悔でもない。次へ進むことだよ」
「次に、…?」
「そもそもこの件には様々な要因が絡んでいたのだから、先ずはそこの解決の糸口を探すところからだ。君は幹部として、過去を悔やむよりも未来の為に動くことを優先すべきじゃないかね?...まあ、君の気持ちもよくわかると云うのも嘘じゃあないけれど」
「…ゎ、かりました、」
そのまま彼らは一度本部へと戻っていった。
…周囲の”想い”を理解できずに分かったふりをしている私達は、きっと、怖がりなのだろう。
人一倍、怖がりで、だからこそ、隠し通そうとする。
そんな自分に嘘を吐かなくていい、咲夜と私だけがいるあの空間。あの世界。
それでも、
彼らが大好きであるという感情だけは、私は、自分は嘘を吐かなかった。
自分に嘘を吐かなかった。
『…皆が大好きだっていうこの感情だけは、怖くなかったから』
---
「…ならそれでいいでしょう」
「よくないよ…私は嘘吐きだもの」
「この空間だけは嘘を吐かずに済む、その為の場所なのよ」
「今更だけれど、此処は何処?」
此処は、私と私の持ち主だけの世界
「…"それ以外の何でもない"わ」
「どうして、私は、咲夜の異能名を知っているの」
「貴女は私の持ち主でしょう」
「でも、。あの時の実験でつけられた、っていうか研究されたのは、ううん…でも、荒覇吐は実験で…咲夜は、違う、私の招き猫が本物で…ぅ、もうわからない…」
「…仕方ないわよ、此処まで複雑に要因が絡んでしまっていれば混乱するのも当然よ」
「如何したら、善いの…」
「…彼の元に、一度行ってみなさい…抑々此処は探偵社なのだから」
もうそろそろ、貴女も『あの事』を知るべきよ。
---
「___って、云われて」
「…はあ、本当は云いたくなかったのだけれど…仕方ないね、此処まで引っ張ってきた私に罰が当たったのだろう」
「…え、っと?」
ふう、と息を吐いて、一度目を閉じ、そして開く。
真っすぐにこちらを見るその__太宰さんの瞳に、また何かが変わる、そんな予感がした。
--- 「…君の空白の二年間の話をしよう」 ---
そう云って、私達は二人、探偵社を抜けてきた。
勿論その先は、何時もと同じあの公園。
クレェプも勿論買ってもらった。
…おいしい。
「…桜月ちゃん、美味しいのを隠しきれてないよ」
「えっ」
「話す内容を気にして真顔をしていようとしているのかい?可愛らしいね」
「へ、っいや!!ベ、別にそんなのじゃ…」
「まぁ…少々覚悟は必要かもしれないけれど、幾度も森さんから云われているだろう?"過去は既に乗り越えてきたものなのだから大丈夫だ"と」
私の覚えていないこと。
私の知らない事実。
私の記憶にない記憶。
それらを何時も教えてくれたのは太宰さんで、その後隣で何時も慰めてくれたのは中也で、慥かにいつも首領はその言葉を私に云い聞かせていた。
「…大丈夫です。覚悟なんてもうあって無いようなものですから」
「ふふ、なら…単刀直入に聞くけれど、少しでもその二年間について覚えていることは、無いのかい?」
少しの時間、思案して、顔を上げる。
「…在りません」
--- 「__君は、フョードルの元に居たのさ」 ---
びゅうう、と強い風が吹いた。
…悪戯に髪を弄って逃げていく風に、髪を押さえようともせずに私は只呆けて彼の顔を見ていた。
「…今、…何て、?」
「空白の二年間、君はフョードルの元にいたんだ」
ふと、思う。
---
「お目覚めですか、桜月さん」
「…っくく、ふふふ、……漸くぼくのものになってくれましたか、」
「色々と予定外の事も起こりはしましたが…こうしてぼくの元へ戻って来たので、良しとしましょう」
「ふふ、ぼくがしているのは洗脳の類ではありませんよ。あくまで、貴女が己の決断に従ったまでですから」
---
「ムルソーで、"戻ってきた"と彼は云った、」
「…そうだよ、元々君が彼の元にいたんだ」
「これほどあの人を嫌っているのに、フョードルのことをフェージャとずっと呼び続けているのも、」
「その二年間の間に体が覚えたのだろうね、忘れていた事を思い出した拍子に、この呼称も鮮明になったんじゃあないかな」
「…っ何で、如何して...っ」
何故その事実を知っているのか、と問うと、苦笑しながら秘密だと云われた。
大方特務課絡みだろう。
…安吾さんとか。
でも、想像していたよりも嫌な事実に吐き気がする。
皆を苦しめる奴なんかのところに。
二年間も。
「…何が、したいのでしょうか」
ぽつり、と口にすると、太宰さんは|頭《かぶり》を振った。
云えない、のか、わからない、なのか、それは私の頭脳じゃ予測し得ない。
「…でも、それと今回の件が如何関わってくるんですか?」
「君はまた色々と思い出したのだろう?」
「はっ、はい、それはまぁ、…思い出しました、けれど」
「これは昔、咲夜さん本人から直接聞いたのだけれどね、」
「彼女の持ち主によって、異能名は変わるらしいのだよ」
「…異能力名が変わる、?」
「うん、その持ち主の適性に応じて、持ち主と咲夜さんの世界も変化する…云わば心界、内界だ」
「持ち主によって異能が変化する…ってことですか?」
「そうだよ、そして君は咲夜さんとは後天的に出会った...奇しくも、フョードルと白紙の文学書という存在に阻まれた出会いだったものが、ね」
「____フョードルが、何所迄文学書を使って私というモノを操作したか、…ですね」
「流石は桜月ちゃん、理解が速いね」
「…私は、本当に十六歳ということですか?」
「いいや、君は正真正銘の十四歳だ、君の姉も同じだよ」
「__どういうことか、わかりません」
「…本当は、その二年間はなかったものなんだ、君の中にある特異点の話はしただろう?そこに…文学書の書き換えが重なった…故に、存在しなかった二年間が生まれたのだよ」
「なら、私の所為でお姉ちゃんは十六歳と、?」
「君の所為じゃあない、と云っても君はその咎を自らに向けるのだろうね、まあそのようにも云える」
「…、私の所為...ですね、」
「だけれど、その二年間は本来ないものなのだから…それでいいじゃあないか」
だって、本来私もお姉ちゃんも十四歳、私達には二年間の不必要な猶予があった、それはつまり…
--- 「__私の所為で、両親が死ぬのが早まった」 ---
「…そう、ですよね、?」
さあっと体が底から冷えていく感覚があった。
ああ、まただ。
この感覚は、前にもあった。
…あの事件の事を知ったとき。
--- 「ヴェルレェヌの存在を、はっきりと思い出したとき」 ---
…私の所為で元々"こうなる"と決まっていた、この世界が書き換えられた。
--- 「この感覚を、あの時も感じました」 ---
脳内に軽い衝撃が走った。
《《彼の人》》の世界に私がいないのは、即ち___
--- 私は本来、ここではない別の場所に存在するはずだった、。 ---
「やっぱり私は元々、この場所にいる予定の人間じゃなかった…それを、フェージャがこう仕向けて、」
「ほら、また自分の所為にする...君じゃあない、あの魔人の所為だろう?」
だって、
だって、
私は、
「私が抑々いなかったら、お姉ちゃんはもう少しお母さんと、お父さんと、一緒に幸せな暮らしを送れていた…のに、私を知らずに、幸せにもう少し家族で生きていられたのに、」
本当に、
「なんで、私のこと、フェージャは執着しているの、?」
心の叫びともいえるような、その問いに応えられる、相応しい答えはなかった。
存在しなかった。
「…それは彼に聞かないと、私にもわからないね」
「…すみません、。また迷惑かけて」
「いいや、この事実を君に話せるのは私だけだからね。それに、仕方ないことだろう?」
「、そう、でしょうか」
私には、そう思わない。
彼が、何故そうまでして私に理解できない”想い”をともしているのか。
私には、理解できない。
「…少なくとも、フェージャも人間だということですね」
「どういう事だい?」
「解かってるくせに…」
「ふふ、私は君が”想い”を理解できていないとは思わないけれど」
「自分のことは自分が一番理解してるんですから...って私が云っても、信憑性の欠片も無い話なんですけどね、」
「まぁまぁ、きっとすぐに判るよ」
「__そう祈ってます」
---
その後、公園を後にしてポートマフィア本部ビルに戻る。
見張りをして居た黒服さんに会釈すると、安心したような安堵したような笑みを浮かべながらお辞儀を返された。
…いつもお疲れ様です。
「…只今戻りました」
「おや、思っていたより迅かったね」
「…首領、!」
「テニエル君がご機嫌斜めでねぇ、如何にかして貰えないかな」
「ぼ、首領にご迷惑をお掛けしてるんですか…っ!?」
「うぅん…まぁ…彼もいろいろ思う所はあるのだろうけれど…今は中也君に頼んでいるよ」
「そ、そうですか…?わ…判りました、」
半ば異例の入社だったというのに、快く迎え入れてくれた首領にご迷惑をお掛けするなんて…
先程云い争ったとは云え…先程太宰さんと過去の話をしていたとは云え、それを理由にそんな状態のボスを放っておくわけにはいかない。
伝えられた一室へと出向かった。
「…失礼します」
気まずい。
ひっじょぉぉぉおに気まずい。
中也に目線で語りかけても、冷や汗を流しながら無視される。
…えっ、酷い!
ボスはと云うと、椅子を普通の逆向きで背もたれに覆いかぶさるように座っている。
…私や中也には思い切り背を向けて。
「ボス―?」
「ねぇ、ボス?」
「ねーーぇ」
「幹部命令使っていい?」
「やめとけ」
あ、漸く中也が返事した。
…流石に泣いていい???
「…ねぇ中也、因みに、私探偵社で何日くらい寝てたの?」
「いや寝てたって手前な……一週間だよ一週間、莫迦」
「__ごめん、何て…?」
「手前は一週間、治療してもらったにも拘らず目覚めず仕舞いだった」
「…え、そうだったの…!?」
思っていたよりも酷かったらしい事実に、今更ながら驚く。
「探偵社の女医が、”この状態でよく戦ったねェ”だとよ」
「えー…まぁ殆ど私じゃなかったし…」
「…如何云うことだ?」
そういえば、話していなかったっけ。
「咲夜が現れて、楽園に引き込まれた…それだけ」
「いや、それだけって…俺にはさっぱりわからねェからな??」
「…捕縛した奴から今回の作戦のこと、詳しく聞いたでしょう、?」
「あぁ、手前を人質にして俺を叩く心算だったと」
「途中で、…私が中也を殺したら、私は助けて遣る、って云われたの」
「…はぁ…?」
「それで、なんか…」
そうだ、咲夜が云ってた"扶けたい"が""傷つけたくない"へ変化する事がキーポイント、って、
「…このことだったんだ」
「んだよ…」
「とにかく、突然咲夜が発動した原因の一つに、私の中也への…その…こ、好意…みたいな、っ、わ、私が中也を扶けたい、っていう感情が、私の所為で中也が傷付くのは厭だから、傷つけたくない、っていう感情に変わってしまうことがあるかもしれないって咲夜に云われて」
「な、長ェよ…」
「あれ、中也顔赤いよ?もしかして熱あった…?」
「手前に云われたくねェわ!!」
…ああ、楽しい。
中也と、一緒の空間にいられる事が。
それを許されることが、嬉しい。
想いを理解できてない私に、そんな資格はないはずなのに。
「…私ね、本来は此処に存在しない人間だったんだって」
「…あぁ」
「…私は、中也とは違って生粋の人造人間かもしれないんだって」
「否、手前が実験前、つまりオリジナルではない方の可能性もあるだろ」
「だとしてもっ…実験によって今の私が形作られたのは事実で、私には...」
文学書の書き込みで
人間としての
情報が
書き換わってしまっている
「…私には、"想い"が理解できない…うぅん、できてない……」
無機質な部屋に、からんとした私の乾いた声が響いた。
「…それは違うんじゃねーの」
「__ボス」
漸くくるりと椅子ごと回って此方を向いたボス。
何だか見覚えのある真っ直ぐな瞳にあ、と気が付く。
…さっきの太宰さんと、同じ目。
真っすぐな、光の宿った強い意志を灯した瞳。
「…泉は、想いを理解できていなくなんかない」
「何を証拠に、っ適当なこと、云わないでよ__!!」
「適当なんかじゃない!!」
「ぐぇっ」
「えっ」
勢いよく椅子から立ち上がると中也を思い切りぐい、と引っ張って、私の方につきだした。
…ボスと中也の若干の身長差の所為で、中也が吊られているみたいになってる。
「…いや、何してるの…?」
「コイツに対してアンタはどれだけ必死になってるか、自分でも分かってないだろ」
「いや俺下ろせや」
「自分の身を顧みずに其処までするのはアンタの”想い”じゃないのか」
中也のことを思い切り無視して、此方を真っすぐ見据えたままボスは硬い声で云った。
そんな事、云われたって。
「私には”想い”がどんなものかすら判っていないのに、既に私が”想い”を持っている訳なんて、ないよ...」
「なら中原へのそれは何なんだよ」
「だから俺下ろせって」
「それは”想い”じゃなくて"好意"であって"好き"っていう感情だよ、それに私は感情論をしたいんじゃない!」
「なら周りの奴らを、自分の身を投げて迄守ろうとするそれは"想い"以外の何なんだよ!」
「__っそれは、」
「人造人間だろうが何だろうが泉は泉でそれ以外の誰でもないんだろ!!本来の世界がどうこう云おうが俺らの知る世界は泉が、アンタがいる世界だけなんだよ!いい加減理解しろ莫迦!!」
…ボス、すっごくいいこと云われた気がするんだけど。
ごめんね。
「中也そろそろ死んじゃうから下ろしてあげて?」
「…あ」
「…テニエル手前…俺とお前の立場わかってンな…?」
「…泉、お前も幹部だよな…?コイツに対抗できるよな…?」
「えー、私中也の味方だもん」
「はあ!?今俺お前にすっごく響く言葉云っただろ!」
「別に関係ないもーん」
「無理に我慢すんな、鼻赤いからバレてんだよ」
「う、っ嘘!あぁもう…がっ、我慢してたのに…も、ボスのバカっ、バカバカぁぁ!!」
「嘘だろコイツ急にギャン泣きし始めたぞ如何にかしろ中原」
「…いや、…確認だが泣かせたの手前だよな??」
「…な、泣き止ませるのお前の方が得意そうだし…」
「うぅぁああ…、もぉ…っぼ、ボスのバカぁぁ…もうし、っ知らないもん…っう、えぇえん…」
「…ガチでギャン泣きしてるよな…」
「…なんか、此処まで泣いてるの久しぶり...いや初めて見た気がする」
「てかなんで俺こんなコイツに貶されてんの??」
「ばかぁぁぁっ…ぼ、ボスはバカで、でり、っでりかしーなくてっ、ばか…」
だってこんなの仕方ないよ、涙が勝手に止まらないんだもん。
とりあえず原因を作ったボスに莫迦というボキャブラリーが少なすぎる悪口を並べ立てておく。
もう、最初の方の重たい空気はなくなっていた。
…首領に頼まれていたことは達成したし、いいか。
「…わ、っわかんな、いものはわ、かんないのに!ボスはにんげ、っ人間なんだからっ!」
「はいはい」
「いや手前絶対ェこれ流し聞きしたら駄目なやつだろ」
「はぁ…わかった、わかったよ幹部サマ、だからまずコイツ泣き止ませてくれ」
横浜の巨大組織を、一寸違う意味で騒がせた一件が落ち着くまで。
漸く彼らにも、平穏が戻ってきたらしい。
「それとな…俺達は別に何も気遣いやしてねぇよ。何度も言うが俺らにとってお前は普通だ」
「…ばっ、ばか…中也、ボスつぶしてよぉ…」
「え、なんで俺潰されんの?」
「…まァ慥かにデリカシーはねェな」
「酷くね」
『…嵐は孰れ、また来る』
『ならその前に嵐に耐える術を見つけなくちゃ、じゃないとっ』
『ええ、大丈夫。きっと…見つかるはずよ、必ず』
ただ一つ気がかりなのは
彼がまだ花を摘み取ろうとしていないかということ。
魔人と呼ばれる彼だけで十分厄介だというのに
これ以上頭脳が明晰な人に目をつけられるのは駄目
私にも彼女を守り切れなくなってしまう
これが杞憂ならいいけれど
案じるには足る事実があるもの
--- __空白の二年間のこと、未だ彼は凡て話してはいない ---
---
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるやうに
またそれは、凭つかかられるもののやうに
彼女は頸をかしげるのでした
私と話してゐる時に。
中原中也/羊の歌 より。
…2万字越えという異常な文章量のこの駄作を最後までお目通しくださってありがとうございましたっ
さて、かなりの情報量になってしまいましたね。笑
まず喜びたいのが…
前書きに書いておいたキャラデザ、見ていただけましたでしょうか…!
実はあれ、書き始めたばかりの頃に、本当に最初の頃に張った伏線なんです…!!
いや、数年越しの回収。
自分でも奇跡が起きたって思ってます。
びっくり。
でもよかった…
まぁ見てくださったと信じて言いますけれど、(こら
髪の色や長さなど、咲夜と同じだったんですね。
つまり、実験やフョードルによって手を加えられる前の姿なんです。
桜月ちゃん本来の姿。
まぁ今でこそ黒髪に青い目というこの当然の様なイメージを通させて頂いているんですけれどね。
本当、漸く回収できたって感じでいっぱいです。
ホントによかった。
それから鏡花ちゃんをはじめとした家族のお話。
何故原作とは違い、孤児としての期間を生ませたのか。
そのことに関しても触れられて良かったですホントに。
たぶん少なからず、
「鏡花ちゃんは貧民街にいた期間なんてないんだけど何言ってんの??」
「そもそも6か月で35人って言ってるよね??」
って方絶対いましたから。
あなたは思ってましたか?
あ、怒ってないですむしろこちらの変な伏線の張り方の所為なのでごめんなさい!
そして咲夜ぁぁ
まだ異能力名は判明せずですね…
あ、ヒントだしますね!
元ネタは"ロシアの人"の作品で、文豪というよりはその人は"戯曲家"です。
勿論桜にまつわる名前です。
また、この日本国内の文豪の作品の題も参考にさせていただいています。
"菫"という字が、執筆名の中に含まれていらっしゃる方ですね。
先程の方もこちらも共通してタイトルは”三文字”です。
漢字とかそういうのを考えて。
読み仮名とかは無視してください。
少々捻ってはいるものの、元にしたタイトル、って感じですね。
この本編中にもヒントになる所は何か所かあるのでよければ探してみてください!
さて、今回少し慌しくなってしまいましたが…
もう少しで本編再開ですね。
ここからどのような展開になっていくのか…!(これは私もまだ分からないばかり)
フョードルは一体何を考えているのか!(これも私は真意を測れない)
そして桜月ちゃん達はどうなるのか!(一部決まってる)
…ツッコミどころの多いまがい文にはなりますが、これからも楽しんで頂ければ幸いです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
カウントダウン、開始日から半分に減ってしまいました…
一か月後の本編更新、ぜひお楽しみに…!
【文豪ストレイドッグス!!本編更新開始まで残り】
【31日】