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    炎のドレス
    
    
    
    少女が斧を天から地目掛けて振りおろしていた。
しんしんと降り積もる白雪が肩と頭に降りかかって、まるで粉砂糖を振りかけたシュトーレンのようになっている。
かこん、かこん、という小気味良い音を刻みながらひたすらに太い木を割っていくたびに、後ろで結われた腰までの長い黒髪が衝撃で重力に抗うように跳ねた。
手慣れた様子で細く割られた薪を華奢な白い腕で担ぎ上げると、彼女は同じく白い息を吐きながら軽くため息をつく。
「急がなきゃ、やることがまだたくさんあるわ。」
小さな木組みの平屋の家の戸をそっと開くと、奥の暖炉の前に一目散に向かい、寒さに|悴《かじか》んだ手を気にも留めずにひたすら薪をくべていった。
|炉床《ろしょう》と薪がぶつかり、かこん、かこん、という音が家の中に響く。
彼女の腕の中にあった10本にも満たない薪は全て暖炉の中に落とされた。
「えっと、|燐寸《マッチ》はどこだったかしら。」
辺りを見回すと五歩ほど先の箪笥の上に燐寸の小箱がちょこんと寂しげな様子で置かれていた。
少女はそれに手を伸ばす。
マッチの箱の中には、かろうじて一本の棒が入っていた。
「失敗は許されないわね。」
彼女は緊迫した面持ちでジワっと音を立てて燐寸の棒を擦った。
仄かでほんのりと温かい小さな炎が手の内で揺らめいた。
その小さな炎を暖炉の薪の近くにおいたよく乾いた葉にそっと近づけると、しばらくしてから炎は葉に移り、パチパチと心地よい音を立てながら暖炉いっぱいに広がっていった。
「これでよし。」
少女は満足した様子で、また慌ただしく動き始める。次は夕飯を作るようだ。
朝のうちに森で調達しておいたジャガイモとドングリと毒の入っていないキノコを鍋の中にぶち込む。
そして水をいっぱいに入れた後、大量のレンズ豆を再び鍋の中にぶち込んだ。
先ほど火を入れた暖炉の上部にタプタプになった鍋をかける。
炎が鍋の底にぶつかり、蓮の花のように広がっていった。
「あとは待つだけ、さてと。」
少女は小さな家の、小さな窓枠から外を眺める。
静かに降っていた雪は激しさを増して、風と共に扉を叩いていた。
「おじ様、大丈夫かしら。」
そう呟いた時、丁度よく家の扉が開いた。
「ふぅ、あぁ、暖かい。ただいま、ブレンダ。」
口元に黒く若々しい髭を生やした大男が、分厚いコートの姿でのそりのそりと入ってきた。
熊のように大きな手を擦り合わせて寒さを凌いできたようだ。
「おかえりなさいませ、ベーレン様。」
ブレンダは主人であるベーレンを笑顔で迎え入れ、素早く毛布を渡してから暖炉にかけておいた鍋の近くに移動する。
「まもなくお粥が完成しますので、まずはこちらでお体をお温めください。」
彼女は主人に熱しておいたお湯を手渡すと、次は粥を盛りつける皿を取りに棚へと向かった。
「お仕事は順調ですか?」
ブレンダは、なみなみと粥の入った平皿をベーレンの前に置くと、そう尋ねた。
するとベーレンは分かりやすい笑顔で大きく頷いた。
「それがなぁ、ここ最近は客の入りが良くてなぁ!もう少ししたらご馳走が食えるくらいの金が貯まるんだ。」
ガッハッハ、と大きな声をあげて笑いご満悦だ。
「そういや、明日はお前さん、誕生日だろう。」
ベーレンは遠い昔を見るような目で近くの箪笥を見た。
「もう18か。俺たちが出会って10年、時が経つのは早いもんだ。」
そう人に聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟く。
「何か、欲しいもんはないのか。なんでも買ってやるぞ、常識の範囲内でな。」
ベーレンは悪戯っぽい笑みを浮かべながらそういうと、屈託の無い様子で粥を喉に流し込んだ。
それを聞いたブレンダは少し困った表情をする。
「欲しいもの、ですか?それはとても嬉しいのですが…特には…」
まごついた様子で俯き、か細い声で答える。
ベーレンは笑みを浮かべたまま
「そいじゃ、明日お前さんは一日休みだ!欲しいものを街で探しこい!」
そう言って軽くブレンダの肩を叩いた。
ブレンダはその衝撃で少し前に倒れかけた。
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次の日の昼。
ブレンダはベーレンに言われるがままに山の下にある街へと向かわされた。
「欲しいものと言ったって、何から見ればいいのやら、わからないわ。」
普段滅多に街に降りることはない彼女は、初めて見る町民や華やかな店たちに気圧されかけていた。
それを振り払うように一度深呼吸すると、先ほどまで気が付かなかった香ばしい香りが鼻腔に届いた。
目線を上げると、少し先に『|Bäckerei《ベッカライ》』と書かれた看板が下げられていた。
ショーウィンドウを覗くとこんがりと焼かれたパンが所狭しと並べられている。
「美味しそう…」
ブレンダは垂れかけた|涎《よだれ》に気がつき、それを押し戻すと気を取り直してまた街を歩き始めた。
「本当に欲しいものを見つけるにはまだ探索が足りないわ。」
そう一人呟くや否や、あるものがブレンダの目を釘付けにした。
目の前にあるそれは、赤いボリューミーなドレスで、薔薇やジュエリーで装飾された豪奢なシルエットだった。それはブレンダだけでなく、その道を通りかかる全女性の視線を掻っ攫っていた。
「あんな素敵なもの…いまだかつて見たことがない。」
吸い寄せられるようにそれ、ドレスの眼前に近づいていくと、遠くからでは見ることのできなかった繊細な刺繍などのディティールがさらにそのドレスの魅力を強めた。
ブレンダはそのドレスに本気になり、値段の立て札を恐る恐る見る。
案の定とてもじゃないけれど手が届かない代物だった。
落胆したブレンダはその後、燐寸を購入し帰路についた。
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家に帰り、待ち構えていたベーレンの質問に対して適当に「街で一番人気のパンが欲しい」と嘘をついたブレンダは、その夜、布団の中で悶々とあのドレスについて考え続けていた。
瞼を閉じると思い出す、炎のような赤いドレス。
豪華だけれど決してくどくない、絶妙なバランスのフリル。
道ゆく人の瞳を釘付けにする圧倒的な美麗さ。
まるで自分とは正反対の存在だった。
「はぁ、私には、高嶺の花だわ…」
その夜は満足に眠ることができなかった。
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朝を迎え、暖炉の残り火がちょうど消えた頃。
寒い空気に抗いブレンダは起き上がった。
身支度をするため鏡の前に移動するが、その足取りには昨晩の疲れが現れており、髪を梳かしている間も、暖炉に火をつけている間も、朝食を作っている間もずっと上の空で地に足がついていない状態であった。
鈍感なベーレンはそれに気付かぬ様子で仕事に出掛けていく。
「そんじゃ、ご所望のパン買ってくるからなー!」
「いってらっしゃいませ…」
ベーレンはブレンダとは対照的にご機嫌な様子で山を下っていった。
「お掃除でも、しようかしら…」
ブレンダは俯きがちに箒を手に取ると、大して汚れてもいない床を無言で掃き始めた。
それから1時間程たった頃のことだった。
滅多に来客の来ないこの|辺鄙《へんぴ》な家の扉をノックする音が聞こえた。
「お客さん?珍しいわね…?」
ブレンダは不審に思い、箒を構えながら慎重に戸を開けた。
「はい、どちら様でしょうか?」
外を見ると、立派な帽子を被った見知らぬ男が3人、険しい顔つきで立っていた。
「私たちは城のものだ。魔女裁判の件でお前に城まで来てもらう。」
そうして男の一人がブレンダの腕を引っ掴もうとしたので、思わず彼女は扉を勢いよく閉めた。
その時に男の腕は一瞬扉の間に挟まり、情けない悲鳴が近辺に響き渡った。
「え、え、え、一体全体どういうことなの…?」
ブレンダは何もかもわからない様子で裏口の方へと駆け出していた。
「捕まったら問答無用で酷い目に遭うわ!そういった話を聞いたことがあるもの!」
魔女裁判、自分とは縁のない話かと思っていたが、実際に城の人間が来るとは!
ブレンダは混乱した頭のまま、ただひたすらに男三人衆から距離を取り、走り続けた。
そして街へ降りて、誰かの助けを求めることにした。
「すみません!追われているんです!どうか中に匿ってください!」
ブレンダは扉を叩いて助けを求めたが、誰もいないのか、はたまた知らないふりをしているのか、どこの家の扉も開くことはなかった。
「どうして…?」
ブレンダが絶望して街の中をぐるぐると回っていたところ、いたぞ!という声がしてあの男たちが再びブレンダを追い回し始めた。
「なんでーー!」
泣きそうな顔で走り続けていると、遂に男の一人がブレンダの腕を掴んだ。
「ヒィ、ヒィ、やっと、捕まえたぞ…」
だいぶ息を切らしているが、握力は少女を一人拘束するには申し分なかった。
「なぜ私が魔女裁判に…!?」
ブレンダが非力な体に力を込めながら逃げ出そうともがき続けていると、もう一方の男がまどろっこしい様子で彼女に手刀を加えて気絶させた。
ブレンダはなす術もなく、だらりと腕を垂らして担ぎ上げられてしまった。
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次に目が覚めたところは王宮の地下牢獄だった。
悪い夢かと思って頬を引っ叩いてみてもなんの変化もない。
彼女は石畳と石壁に囲まれて、あまりの寒さに震え上がった。
混乱した状態で家を飛び出してきたので、コートもマフラーも防寒具は何も身につけてきていなかった。
膝を抱え込み、少しでも体温を保とうと小さく丸くなっていると、突然、隣の牢獄から優し気な女性の声が聞こえてきた。
「貴方も、魔女の疑いをかけられたの?」
その女性は透き通った青い瞳をしており、とても美しい人だったがどこか憂いを秘めた口元をしていた。
ブレンダは他に誰かがいるとは思いもしていなかったので、少しまごついた後、こう訊ね返した。
「あの、貴方も…ですか?」
女性はこくりと一つ頷いてから、ブレンダと同じように膝を抱えてうずくまった。
「あたしはただ生きるために人との交わりをしていただけなのに…酷い話よ。|男誑《おとこたぶら》かしだとか、|阿婆擦《あばず》れだとか、魔女だとか…そんなふうに罵ってあたしをこの狭くて暗い、恐ろしい牢獄に閉じ込めた。」
口元と同じく憂いを秘めた瞳はやがて涙で潤んでいき、どこか|艶《なまめ》かしさを感じた。それがとても美しいとブレンダは密かに思ってしまった。
「そうなんですね…でも私は、どうして、私がここに連れられてきたのか、全く心当たりがないんです。」
ブレンダが女性の魅力に吸い込まれてしまわぬうちに、ふっと目を逸らすとその先に何者かの頭蓋骨があり、途端背筋に悪寒が走った。
「貴方、知らないの?町中で噂になってるわよ、ベーレンの時計屋は魔女の力で繁盛しているってね。」
「魔女の力…?」
ブレンダは眉間に皺を寄せて、聞き返した。
「あの店、最近になって何故か繁盛しだしたでしょ?だから怪しいってなってこれは呪術に違いないって、馬鹿な連中が騒ぎ出したのよ。貴方、あそこの家の人なんでしょ?」
確かにベーレンは、最近客の入りが良い、と喜んで語っていた。
ブレンダはそれを思い出し、ますます怪訝な顔をした。
「ベーレン様が、何かしたってこと?」
女性はやっぱり、というふうに頷いた後、ブレンダに向かって小さな声で囁いた。
「あそこの店主、外面はいいけど裏でなかなか酷いことやってるの。あたしにはわかる、男はこれまで死ぬほど見てきたもの。」
女性は目を丸くするブレンダを尻目に話を続ける。
「噂では安い時計をあらかじめ高値で売って、その後売るときに値下げして、お客に得な気持ちにさせて原価よりも高額で売りつけて…」
「そんなこと、ベーレン様がするはずないわ!出まかせに決まってるわ!」
ブレンダは侮辱された怒りで顔を真っ赤にして、その勢いで思わず立ち上がった。
突然のことに女性は一瞬ハッとしたが、すぐにこの世を俯瞰するような目に戻り、そっと俯いた。
そしてしばらくの間沈黙が流れた。
「…私、ここから出るわ。そして、ベーレン様に直接会って、本当のことを確かめる。」
鼻息荒く、ブレンダは決意を固め牢屋の鉄製の檻をこじ開けようと試みる。
しかし流石の非力さ、檻の棒は一ミリも歪むことさえなかった。
「ふぅぅぅぅぅ…!!」
鼻息をさらに荒くし、あられもない姿でさらに力を込めるブレンダ。
隣の檻の娼婦は白い目でそれを見て、少し引いている様子だった。
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結局ブレンダの腕力で牢獄の扉が開くことはなく、次に雪の降る灰の空を見上げたのは魔女裁判の頃だった。遠くで微かにオレンジ色の光が漏れ出る空が見える。
彼女は太い縄で強固に縛られており、逃げる隙のない完璧な兵隊バリケードに囲まれていた。
隣には憂いの女性が同じく縄で縛られて連れられている。眉間に皺を寄せてとてつもなく居心地が悪そうだった。
城の前の大広場に連れられると、そこの中央にはこじんまりとした十字架が立っていた。
(これに、架けられるのね。)
ブレンダは思いの外、恐怖心などはそっちのけでその十字を見上げた。
(最期にどうしても、ベーレン様に会いたい…)
ブレンダが悔しさと悲しさの混ざり合う涙を頬に伝わせたその時だった。
「ブレンダ!!」
後ろから聞き慣れた暖かい声が耳に届いた。
いつもは暖炉の炎のような優し気なあの声が、今は天井まで吹き上がる火山の噴煙のような迫力を持っていた。
「なぜそいつを十字架にかける!?ブレンダは無実だ!何もやっていない!」
振り返ると、ベーレンは必死の形相で顔を歪めながら訴えかけていた。
周りの国民たちはそれを奇異な様子だというふうに眺めていた。
すると執行人が片手をあげて「静粛に」と大広場全体に通る声を上げた。
「彼女は魔女である。魔女は火刑に処さなければならない。この国を守るためだ。」
執行人の目は国民でも真実でもなく、ただ空虚な空を見上げていた。
ブレンダはその言葉を聞いて、先ほど娼婦から言われたことが混ざり合い、冷めていた怒りが再び沸き出した。
「私っ、魔女じゃないわ!そもそも証拠はどこよ?根拠は?誰がそう言ったの?魔法なんて使えない、魔法が使えたら今ここから簡単に抜け出せるし、絶対そうするし、ベーレン様にだって美味しいものたくさん食べさせてあげられるわ…!!」
慣れない大声を張り上げているうちに息が切れてきて、胸が詰まり両目から涙が溢れてきた。心臓が張り裂けそうなほど熱く燃えている。
それを聞いていたベーレンはどこか悲しそうな目をして、遠くを見つめた。
それにブレンダは気付かぬはずもなかった。
「…ベーレン、様…?」
すると周りの国民がザワザワと話し始めた。
「あの大男、よく見たら悪徳時計屋の店主じゃ…」
「わしも高額でやっすい時計買わされたんじゃ…」
「つまり店が繁盛してたのは魔法じゃなくてただ…」
「悪どい商売テクニックってこと?(笑)」
国民の間から微かに笑い声が聞こえてきたその時。
「静粛に!!」
執行人が赤い顔をして、体裁でも保つかのように大声を張り上げ、そのざわめきを静寂に戻す。
「ただいまより魔女の火炙りに入る。異議は認めない!」
ブレンダと娼婦の周りにいた兵隊たちは二人を十字架に縛りつけた後、一斉に取り囲み、周りに火をつけていく。
「ブレンダ!!」
「ベーレン様…!」
ブレンダは複雑な気持ちで最後に一言ベーレンに向かって
「ベーレン様、私は貴方のことを信じています。」
そう言った。
その言葉の後、ベーレンは微かに歪んだ笑みを浮かべ、彼女に向かって伸ばす手を下におろして俯いた。そして腰に下げていた町で一番人気のパンを雪の上にぱさりと落とした。
ブレンダは涙で歪んだ世界の端で、それを見た。
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四方八方から点火された炎は、じわじわと時間をかけてブレンダと娼婦の下に這いずり寄ってきた。
娼婦はすでに事切れているかのように死んだ目をしていた。
ブレンダは乾ききった目と疲れ切った心身を、かろうじて今世に繋ぎ止めていた。
(もう、どうでもいい…)
国に裏切られ、味方と思った人に裏切られ、最愛の人に裏切られ。
せっかくの誕生日に何もかも奪われてしまった。
もうここにいる理由なんてない、私はこの世に生まれたことを祝福されていない、そう思った時だった。
目の前にあったあのパン屋のショーウィンドウに、ブレンダと燃え上がる炎の姿が重なって写るのが目に入ってきた。
その瞬間、|磔《はりつけ》にされた彼女は最期に、最愛のドレスを思い出した。
赤くてこの世のものとは思えない、世界に一つだけのドレス。
今、目の前の自分は、そのドレスよりもずっと美しい、真紅や朱色のベールが何層にも重なった美しいドレスを身に纏っている。
胸元には揺らめく無形の花のコサージュ、裾には風が吹くたびに形を変えるジュエリー。
なんて美しいのか、ブレンダの全身と心は炎のドレスで包まれた。
彼女はこの計り知れない幸せに満面の笑みを浮かべる。
周りからは「魔女の笑顔だ」「恐ろしい」などの声が聞こえるが、今のブレンダからすればそれは有象無象の|戯言《たわごと》であった。
「最高の誕生日プレゼントよ…ありがとう…」
彼女は満足気に天に向かってそう呟くと、さらに大きく膨らんでいく炎の中で瞳を閉じた。
そして夜が明ける頃には、赤いドレスは黒いドレスへと変わり、降り積もった白い粉雪がまるで純白のベールのようだった。
    
        作品のテーマ:火×雪+中世ドイツ=魔女狩り
作品の拘り :温かみを感じる描写にこだわりました!雪と火という対照的な存在を印象的に描きました!
要望    :もし可能であれば当小説に登場したベーレンのその後の短い小説を書いていただけるととても嬉しいです…!
難しければABC探偵さんの描く魔女狩りの話を読んでみたいです!