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第2章
**第二章:霧の中の真実**
霧は、記憶を曖昧にする。
現場に立ち尽くすレインの足元で、床がきしんだ。彼女は死体を見下ろしたまま、視線を動かさない。男の顔は痩せこけ、目を見開いたままだった。苦しんだ様子も、暴れた痕もない。ただ、静かにそこに横たわっている。死因の痕跡はない。窓はロックされ、外部侵入の記録もゼロ。
AIが死因を判断できなかった理由は、すぐにわかった。
死体に明確な外傷がないのだ。心停止。だが、自然死では説明がつかない年齢。おそらく三十代前半。若すぎる。
レインは室内を静かに歩く。目に見える手がかりは少ない。壁際に、古いデバイスが一つ。今では使用されていないアナログタイプの録音端末だった。再生ボタンを押すと、音が流れた。
「霧の中にいる。どこまでが自分で、どこからが他人なのか、もうわからない……」
男の声だ。感情がこもっている。震えている。
その震えが、レインの中に眠る“感情の残滓”をかすかに揺らした。彼女はそれを無視するように、音声を止めた。
「分析に回して」
背後からドローンが飛び、録音データを回収する。彼女はベッドの横に立ち、視線を再びメモへ向けた。
「あなたも、この霧の中にいるの?」
この言葉には、既視感があった。レインは8年前のある事件を思い出していた。自分の妹、エルが最後に残した言葉も、似たようなものだった。霧の中で消えた、エル・ノヴァ。その死もまた、AIに判定不能とされた異例のものだった。
「関連があるかもしれない……」
それは彼女にとって“禁じられた仮説”だった。
UGPの職員は、過去の個人的事件を捜査に持ち込むことを禁じられている。だが、今目の前の死と、過去の“あの死”は、あまりにも似ている。
レインは手袋を外し、男の手をそっと握った。冷たい。だが、死の直前までこの人が何かを伝えようとしていたことが、確かに伝わる気がした。
「“霧”とは、何を意味しているの……?」
思わず漏れたその声には、ほんのわずかに温度があった。
彼女の中に、長いこと封じられていた“問い”が、ゆっくりと浮上していた。
→ 第三章「妹とガラスの記憶」へ続く