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第4章
第四章:霧の向こう側
レインは動かず、ただ画面を見つめていた。「次は、あなた。」その言葉は短く、明確だった。脅しなのか、予告なのか。それとも、呼びかけなのか。だが確かなのは、このメッセージの送り主は、UGPのAIにも探知されない場所から発信してきたということだ。
送信元情報はゼロ。ログにも痕跡なし。つまり、“霧の中”から来た。
「アクセス不能領域……オフネット・ゾーン」
それは、都市の管理網から外れた空白地帯の総称だ。廃棄区画、無認可住宅、信号遮断エリア。一般市民には知らされず、UGP内でもごく一部の者にしかアクセスが許されていない。
8年前、エルの失踪後に唯一目撃された彼女の姿も、オフネット・ゾーンの端にある旧地下鉄構内だった。レインはすぐに調査記録を開いた。件の自殺判定不能の男、名前はイアン・クラウス。職業、元通信技師。3年前に姿を消し、死亡者リストにも載っていなかった。
「死者として登録されていない人間が、公式には存在しないはずの場所から戻ってきて、死んだ」
まるで一度、都市の“外側”に行って帰ってきたようだ。
その意味を思った瞬間、背中にひやりとした感覚が走った。
自動車両に乗り込む。行き先を入力する際、彼女は一瞬迷った。オフネット・ゾーンに向かうことは、規定上の違反行為になる。だが、彼女の中で何かが明確に形を持ち始めていた。
「私はエルを見つける。たとえ、その先が禁止領域でも」
車両は通常ルートから外れ、地下トンネルへと潜り始めた。光は少なく、車内の照明だけが淡く揺れている。外の壁にはスプレーで描かれた落書きが流れていく。
《WHO OWNS THE SKY?(空は誰のものだ?)》
《FEEL TO BE FREE(感じろ、自由を)》
管理社会のひずみにひそむ、反体制の言葉たち。エルが興味を持っていた、いわゆる“思想者”たちの記録に似ていた。詩のように、皮肉のように。だが、そのどれもが、どこか人間的だった。
やがてトンネルの終端に近づく。光が消え、車両が止まる。そこは、完全な闇だった。停車音が止むと、何かの気配がした。
静かに、靴音がひとつ。
「レイン・ノヴァ。君が来るとは思っていた」
暗闇の中から男の声がした。冷静で落ち着いた声。しかし、その声には感情があった。明確な、温度を持った何かが。
「あなたは——」レインは声の主に問いかけようとしたが、その言葉を遮るように、暗闇の中に青い光が浮かび上がった。
男の瞳。いや、それは——
「AI……?」
違う。人間だ。だが、瞳の奥に確かに、光学素子が埋め込まれている。生身の中に、非生身のものが混在している。
「俺は、グレイフォグの“外側”を見た。君の妹も、同じだ」
レインの中で、再び記憶がざわついた。
→ 第五章「ノヴァ家の真実」へ続く