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持続可能は社会は実現可能なのかとかなり不安。アインシュタインの言葉も参考に考えてみた。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.
Albert Einstein
持続可能な社会が本当に実現可能なのかとても不安だ。それはいままでの歴史が間違えていたからではないだろうか。今常識と思っていることも間違えた歴史によって作られた先入観だけかもしれない。そんなものは壊さなくてはいけない。
お金がお金を生むシステム、土地などを持っているだけでお金が儲かるシステム、それらは常識だと思っているかもしれないが、それは間違えた先入観だ。なぜならそれらからは格差の増大が容易に想定できるからだ。格差は平和を呼ばない。差別を生む。社会の不安定を呼ぶ。本当に必要なことよりもお金をもうけること、それが正しいことになってしまう。お金儲けをゲームのように楽しめる人には楽しい社会になるが、本当に大切なことがないがしろにされていることに心を痛める人には生き難い社会になる。自分の本当にやりたいことよりも、お金が儲かる方の仕事を選ぶ人も多くなってくる。でもそのような仕事はやりがいがない。心ある人々の気持ちは停滞し、ゲーム感覚でお金儲けを楽しめる人々の気持ちは高揚していく。そんな社会が持続可能なわけがない。
既得権という言葉がある。人それぞれの立場によって美しくも汚くも聞こえる。政治家との癒着によってお金儲けが楽にできる既得権、それは多くの人には汚く聞こえるだろう。でも、一部の人にはとても美しい言葉。既得権もっと広く考えれば、土地を持っていること、お金をもっていること自体も既得権かもしれない。本来土地なんて誰のものでもないはずだ。お金だって社会のルールで価値を保っているだけのものだ。
とは言え今のシステムに逆らうこともできない。そんなことをしたら生活ができなくなってしまう。犯罪者として多くの人達に迷惑をかけてしまうかもしれない。為政者達と彼らに癒着して既得権を得た者たちは、既得権に漏れた人々の生活を人質にして自分の既得権を守ろうとしている。
そんな社会を少しずつでも変えていくにはどうしたらよいのだろうか。
お金を多くもうけている人を羨む風潮があり、テレビ番組なども、それを煽っている。それはよくないと思う。本当はエッセンシャルワーカーの方が、お金でお金を生むことを考えている人よりも、ずっとずっと尊敬すべき人たちなのだ。今の偏見を捨て、そんな常識を作っていかなければならない。そしてなにより、過剰なお金儲けでなく自分のできることで社会に貢献したいと思っている人が、安心して普通に生活できるように、そのくらいは為政者にしていただかないといけない。
世界中がお金儲けに支配されている中、ひとつの国だけで方針を転換するのは難しいだろう。でも他の国のやり方に左右されずに少しずつでも変えていくには、食糧とエネルギーくらいは自給できないと、他の国との相場のズレに翻弄されてしまう。これは国だけでなく、一定の地域や集団、個人にも当てはめられることだ。
昨今の選挙などを見ていると、社会全体の持続性よりも、今の自分にどれだけ利益をもたらしてくれるかで選ばれているように思われる。しかし、為政者達に生活を人質にとられている以上はそうするのも仕方ないのだろう。でも、本当に持続可能な社会を実現するためには、最近の選挙戦で議論されることよりも、もっともっと大きな次元で社会システムの変革をしなければいけないように思う。
本当はこんなテーマで物語性のある小説が書きたいのですが、なかなか進みません。そこでこんな形で投稿しました。もし同調して下さる方がおられましたら、ご自由に内容を膨らませて物語にして頂けると嬉しいです。