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部誌20:私たちの夏
かなり遅れましたが、ついに夏公演本番です!
SE→サウンドエフェクトの略。演劇では扉の開閉、足音、車のエンジンや電車、踏切、銃音といった効果音のこと。
おにぎりと一緒に買ったコールスローサラダをほおばり、マカロンを味わった。甘い味が体に染みる。しばらく堪能していたが、遅い昼食だったためかもう準備する時間になったようだ。
ゴミをレジ袋に入れて、持ってきたカバンにしまう。
「みんなもう食べ終わった?ホール、戻るわよ!」
一階の扉の隙間から見えたホールには、お客さんの姿が。あの中に、私のお母さんもお父さんもいる。
「うぇ、え、こんなにいるんですか!?」
私が舞台に立つわけではないのに、少し緊張してきてしまった。
「秋の文化祭公演とか、もっとお客さんいるからねぇ。」
「梨音先輩、本当なんですか?」
もしそうだったら、私は倒れるかも……。
「本当よ。でも、気楽にやっていいんだからね!劇が進むうちに、お客さんとかもう気にならなくなるし。劇の世界に引き込まれる、って感じ?」
そう言いながらバシバシ梨音先輩は私の背中を叩く。地味に痛いが嬉しい。
「あ、ありがとうございます。」
私はまた階段を駆け上がった。映写室から下のホールを覗くと、休憩時間のようだった。前のダンスチームの発表は終わっている。
「もうそろそろいいよね?」
私は2人が無言でうなずいたのを確認して、壁についているスイッチを押しブザーを鳴らす。
5秒間。休憩時間がそろそろ終わることを示すブザー。
1、2、3、4、5。数え終わったところで指を離す。蛍くんが音響のところにあるマイクを手にとって、会場に向けてアナウンスする。
「本日はご来場誠にありがとうございます。まもなく、私立弥生高等学校付属中学校による『その少女たちは諦めたくない』を上演いたします。開演に先立ちまして、皆様にご案内申し上げます。客席内での飲食はご遠慮ください。携帯電話などの音の出る機械の電源はお切りいただき、撮影は客席後方の撮影スペースでお願いします。それでは、もうしばらくお待ちください。」
「ふぅ。噛まずに言えた。」
「俺には絶対無理だったから……。天音さんも桑垣さんも、ありがとうございます。」
「いやいや!別に、大したことしてないし!」
だって私はブザーを鳴らしただけだ。お客さんたちに向かってアナウンスした蛍くんの方がすごい。
「ほら、2人とも。最終確認っすよ!」
蛍くんに言われて、私は台本を手に持つ。最初のシーンの照明は、次の転換は……。
とあれこれ考えているうちに、2回目のブザーを鳴らす時間だ。私はまた立ち上がって、スイッチを押した。
ゆっくり。焦らないように、5秒間数える。そして優しく離す!
すかさず蛍くんがマイクの元へ行った。
「それでは、上演いたします。ごゆっくりお楽しみください。」
レバーを動かす。緞帳が上がる。
お客さんが、緞帳の奥の暗闇に釘付けになる。
BGMが、伊勢谷くんの手によって流される。陽気な、音楽番組のテーマ。
私はBGMがしばらく鳴ったのを確認して、照明を一気につけた。中央に、梨音先輩と美月先輩が見えた。
私たちの夏公演が、始まる。
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「さぁ、始まりました!ミュージック・フライデー!実況はわたくし、カネコがお送りいたします!」
割れんばかりの拍手が、1人の少女の元に届く。
「本日の目玉は……この方!人気絶頂モデル兼アイドル、|暁《あかつき》|夕華《ゆうか》さんでーす!」
「こんばんは!今日はよろしくお願いしますね!」
観客は歓喜する。テレビの向こうでこの少女を見ている人々の多くも、歓喜している。
「本当はですね、ミュージック・フライデー、出演NG!……だったんですが!本日!特別に!OKしてくださったんです!パチパチー!」
テンションが高い司会者。夕華は少し苦笑いを見せる。
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「ここで、照明を落とす!……んだよね!?」
「何不安になってるんすか。合ってますよ、それで。」
蛍くんがサムズアップする。
「よ、良かったあ……。」
一気に全体照明のレバーを下げたから、舞台に立っている美月先輩……夕華だけが、お客さんに見えている状態だ。
蛍くんの言う通りだ。今、本番なのに私はなぜ不安になっているんだ。
ああでも、確認しても確認しても、不安になる。どこかでミスしないかな?迷惑かけちゃわないかな?って。
それを感じ取ったのか、蛍くんがこう言ってくれた。
「……まあ、気にせずやる!人間だから、間違えた時は間違えた時っすよ。気にしない。ウジウジされるのが1番困るから。」
「うん、ありがとう。」
元々演劇クラブに入っていたからか、すごく場慣れしているように見える。キリッとしている!
「伊勢谷も!」
「アッ、そ、そうっすね!」
伊勢谷くんはグビッとエナドリを飲む。
私たちはまた、舞台に視線を戻した。
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夕華は立ち上がる。
司会者は固まり、流れていたミュージック・フライデーのテーマはフェードアウトした。
「私が、ここに立てたこと。あの頃の私なら考えられない。奇跡、かもね。」
座っていた椅子から立ち上がる。
「あの頃の、私……。」
そう夕華は呟いた。
ライトが完全に消える。
1年前の教室。
夕華は今日も1人だった。
「おはよう。」
そう言ってみたところで、ガヤガヤと話しているクラスメイトたちは誰も返事をしてくれない。
無言で机にカバンを置き、朝の支度を始める。
「だよなぁ!それでな……あ、来たぞアイツ。珍しいな。」
「来たね、『氷の華』が。やっぱりすごく美人だ。でも、絶対話しかけらんないや。」
「めっちゃ分かる。あ、それでさ、昨日姉ちゃんが……。」
ついたあだ名は「氷の華」。一年生のころから今まで、雑誌やMVの撮影、勉強や毎日のランニング、ストレッチなどやることがたくさん。体育祭や文化祭、合唱コンクールにも参加したことがないのだ。成績は悪くないが、授業も受けられないことがあるし、定期テストだって後日別室でやることが多い。友達を作る暇なんてない。
どうにも近づきにくい人認定されてしまっているのだ。
夕華1人にスポットライトが当たる。
「こんなことは慣れてる。私は私で、彼らは彼ら。交わることなんてない、高校生活の1年間だけ顔を見るただのクラスメイト。そうだと思っていたのに。」
スポットライトは消える。夕華はカバンから本を取り出して読み始めた。
その後、1人の少女が勢いよく教室に飛び込んできた。
「おっはようございまーす!」
「おはよう!」
「おはよう!あ、夕華ちゃん、今日は来たんできすね!」
「……おはよう。」
少女は慌ただしく朝の支度を始める。
「あれ?今日の宿題、どこやっちゃったっけ?」
夕華にまたスポットライトが当たる。
「……あの子、私に懲りもせず話しかけてくる。何でだろう。変な人よね。」
また夕華が読書を始めると、先生が教室にやってくる。
「やば!先生だよ、早く座って!」
「はい、今日のホームルームを始めます。日直。」
「きりーつ。礼。おはようございます。」
「おはようございます。」
ガタガタと音を立てて椅子に座る生徒たち。
「さて、もうすぐ文化祭の準備を始めるぞ!」
「やったぁ!」
「ついに文化祭かぁ。」
「今年何やる?何やる?」
「はいそこ!静かにする。」
先生が教卓を強く叩くと、生徒たち(ついでに何も話していない夕華まで)ビクッと震え上がる。
「とにかく、明日の6時間目の学活から準備を始めるので、心の中で何をやりたいか考えておいてください。」
「はーい。」
「一時間目は理科だ。早く準備するんだぞ。それじゃあ、解散!」
担任教師はファイルなどを持って、立ち去っていった。
「何がいいと思う?」
「えーっ、まだ考えてないなぁ。あ、フード販売は?チョコバナナとか作りたい!」
「それ、高3だけだから。高2の俺たちは作れないよ。」
「そっか。残念だなぁ。でも、来年出来るよね、チョコバナナ屋!」
楽しそうに談笑しながら、少女とその友人は理科の教科書を持って教室を出て行った。
教室に残っているのは夕華だけだ。
「どうせ、文化祭なんて今年も出られないんだから……。」
そう呟くと、夕華も理科の教科書を持って教室を出た。
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「うん、無事にシーン2も終わりっすね!」
「ミスしなかったよ、良かった!」
「俺だけ何も貢献してない……。」
「そんなことないよ、伊勢谷くん。ほら、この後とか仕事あるよ!」
私は教室のセットを片付けている先輩たちを眺めながら言った。
夕華役の美月先輩、それから重要な役割を任されている朱鳥ちゃんもとっても自然だった。美月先輩のセリフは独り言も多い。独り言は独り言、としっかり分かるのに客席の人には伝わる声の大きさなのだ。私には無理だ。
先生役は宝川先輩だ。友人1役は孤色先輩、友人2役は梨音先輩。最初のシーンの司会者役は東先輩だ。役者がとにかく足りない!と宝川先輩が嘆いていたが、何とかなっている。私たち1年生が3人も映写室にいるからだろうか。
美月先輩が懸念していた声量も、リハーサルの時よりも大きくなっている。あくまでもここは映写室で、ホールの音を拾っている機械からの音声を聞いているにすぎないのだが。
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理科の授業は実験だった。
夕華の隣のテーブルからボン、という小さな爆発音が聞こえた。
「すげー、爆発したんだけど。」
「メモメモ、っと。」
隣の2人が賑やかに実験を進める中、夕華のペアは黙々と試薬を試験管に入れている。
夕華は試薬が爆発したのを確認すると、ペンケースからシャープペンシルを取り出してノートに結果を記録した。
また夕華にスポットライトが当てられる。
「つまらない。ただ、実験をこなすだけ。」
夕華は試験管の様子のイラストをノートに書いていく。
「夕華ちゃん、絵の才能あるんじゃないの!」
「……はぁ?」
「すごく見やすいし、私もノートに模写してもいい?」
「別に、いいけど。減るもんじゃないし。」
ノートを机に置くと、その少女はにかっと笑って絵を模写し始める。
スポットライトが夕華に当たると、隣で実験していた2人も、絵を模写していた少女も動かなくなった。
「変な子よね、本当。だけど、みんなから愛されるタイプ。愛嬌があるっていうか。私とは大違い。」
また3人が動き出す。少女が一生懸命に絵を模写する中、理科の教師でもある担任教師がドタバタと入ってきた。
「すまんすまん!記録用紙取ってきたから、改めてこっちに記録してくれ!おっと、その前に実験用具の片付けだ。」
担任教師が記録用紙を配り始め、生徒は机を拭いたり、試験管を持って理科室から去っていった。
ゆっくり、照明が消えていく。
自分の席に座って夕華はお弁当を食べている。当たり前のように1人だった。
そこに、きょろきょろとしている少女がやってきた。夕華を見つけると笑顔になったので、夕華を探していたものと思われた。
「あ、あの!あたしのこと、覚えてますか?」
しばらく、間が空いた。
ベンチにスポットライトが当たる。
「どこかで見たことあるような……ああ、実験の時の変な子か。でも、面倒くさいから別に言わなくていいかも。」
お弁当のハンバーグをつまみながら、夕華は答える。
「……唐突に覚えてますか、って訊かれてもわかるわけないでしょ。私が全然学校来てないの、もしかして知らないのかしら?変な子ね。」
「あたしは夕華ちゃんと同じクラスの|朝乃《あさの》って言います!知ってますよ、夕華ちゃんがそんなに学校来れてないこと。最近雑誌の撮影忙しいんですもんね!」
「同じクラスなことくらい知ってるわよ!このクラスにいるし、さっきの実験だって一緒にやったでしょう。」
「あっ、そっかぁ。あたしったら、おかしなこと言ってましたね!それから、お弁当一緒に食べましょう。座りますね。」
そのまま夕華の前の席に座って、朝乃はパンの袋を開けた。
「一緒に食べることは決定事項なのね……。」
はぁ、とため息をつくも夕華はその場から動かなかった。
「夕華ちゃん、勢いすごいですよね。今から4年前、彗星のように芸能界に現れてあっという間に雑誌の表紙を飾ると、ZeuTubeでチャンネルを設立!登録者数も爆発的に増え、伸びやかで透明なその声は多くの人を魅了し、噂ではあの有名音楽番組『ミュージック・フライデー』のオファーも」
「はいはい!分かった、分かったから!一旦ね、あの、静かにしてほしいんだけど。ほら、あなたもパン食べたら?」
手に持っていたパンと夕華の顔を、視線が行ったり来たり。
「あっ、はい!お気遣いありがとうございます!あっ!ちなみに『ミュージック・フライデー』のオファー来たって噂、本当なんですか!?」
「え、ええ。来たけど。」
「本当ですか!絶対録画しなきゃ。いつかな、いつなのかな!?」
「出るとは言ってないんだけどね。」
その言葉は朝乃には届いていないようだった。
「ああ、あとこの前の映えメイク特集欄も見ましたよ!いやー、いつものビューティーな夕華ちゃんじゃなくて、少し幼く可愛らしい雰囲気になっていて!ちょっとお値段は高めですが、あたし買っちゃいましたよ!」
「もうダメだこの子……。」
朝乃はまだまだ話し続け、照明が落ちてようやく静かになった。
「結局、あの子……朝乃さんの話はお昼休みが終わるまで続いた。」
やれやれ、と大げさに手を振ると、夕華は弁当を抱えてベンチを去っていった。
「ただいま。……母さんも父さんも、まだ仕事か。」
夕華が自室に入る。カチッという音が鳴って、同時に部屋の照明もついたようだ。
伸びをして、ベットに倒れ込む。しばらく目を瞑っていた夕華だったが、携帯のけたたましい音によって飛び起きた。
「マネージャーさんから電話ねぇ。どうせあのことだろうな。」
一度携帯を近くのテーブルに置くも、やっぱり手にとって電話に出る。
「もしもし?夕華ちゃん?」
「マネージャーさん、こんばんは。」
「こんばんは。何の話か分かってるね?」
「はい。」
夕華は立ち上がると、ベッドから近くの椅子へと座り直した。
「ミュージック・フライデー、やっぱり断らない方がいいと思うんだよ。だってさ」
「その話は!」
携帯を投げつけそうになるも、ギリギリで自分を抑えた夕華。
「……その話はもう、やめてください。私は出ません。出ないって、決めたから。」
「そう。でも、気が変わったらすぐ連絡するんだぞ!」
「はい。」
「ああ、明日のお天気キャスター1日体験の話なんだけど……。」
マネージャーの音声とともに夕華の部屋も暗くなっていった。
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「タイミング、バッチリだったよ!」
「アッ、そうですかね。ありがとうございます、天音さん。」
さっきのマネージャーの音声は、全て東先輩の声を録音したもの。伊勢谷くんが舞台上の美月先輩とタイミングを合わせて音声を流すシーンだったのだ。
「練習の時は、美月先輩のセリフに被りまくったり、逆に変な間が出来たり。本番でも失敗しないか緊張して、手汗ベトベトっす。……あれ、手汗で音響卓壊れたりしませんよね!?壊してたらどうしよう!俺、弁償出来ねぇ!」
「大丈夫っすよ、そんなに慌てなくても。それぐらい平気平気。」
「あ、良かった……。」
しっかり期待以上の仕事をしてくれる伊勢谷くん。
蛍くんはそんな彼を見て、くすくすと笑い出すのだった。
「わ、笑わないでくださいよ!」
と、言いつつも伊勢谷くんは次のSEの準備を始めるのだった。
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「こんにちは、夕華ちゃん!」
「こんにちは、朝乃さん。」
「あっ、名前を覚えてくれたんですね!」
翌日、朝のお天気コーナーに出演した夕華はお昼から学校に登校した。
「朝から夕華ちゃんの声が聞けて元気出ました!あ、学校行く前に毎日ZeuTubeで夕華ちゃんの歌、聴いてるんですけどね。」
「毎日聴いてて飽きないの?」
「飽きるわけないじゃないですか!だってあたしの推しなんですから。」
「あっそう。」
夕華が席に座って、次の授業の準備をし始めても朝乃は戻らない。
「文化祭のことなんだけどね、夕華ちゃんいませんでしたよね?ちなみに、話し合いの結果『お化け屋敷』を行うことに決まりましたー!パチパチー!」
「そうなの。」
夕華がつれない態度だったので、朝乃はその話をやめてしまう。
「そういえば、結局ミュージック・フライデーに出る日っていつなんですか?」
夕華の手が一瞬止まって、また動き出す。
「それは。それは、もうなかったことにして。」
「なかったことって!」
「確かにオファーは来た。でも、受けるか受けないかは私の自由でしょう?」
「でも。でもでも!」
タイミング悪くチャイムが鳴る。
「座らないと、国語のあの先生に怒られるよ?怖いでしょ、あの人。」
「……うん。」
朝乃が席に座ったのを確認して、夕華は息を吐き出す。
筆箱からシャープペンシルを取り出して、そのままドリルを夕華は解き始めた。
その次の時間、理科室で再び2人は実験をしていた。
しかし、この前よりもぎこちなく、手が当たりそうになると夕華は大袈裟に手をひっこめる。
「お疲れ様。はい、これで今日の授業はおしまい!急いで片付けるんだ。帰りのホームルームするからな。」
「はーい。早く帰ろうぜ。」
「さくっと片付けちゃおう!」
隣のテーブルの2人と同じように、夕華と朝乃も片付けを始めた。
終始無言である。
チラチラと朝乃は夕華を見るが、頑なに夕華は朝乃の方を見ようとしない。
片付け終わった時、ようやく朝乃は口を開く。
「なんで、『ミュージック・フライデー』の出演断ったんですか?」
朝乃はふと、彼女に訊く。理科の片付けをこなしながら、夕華は淡々と言った。
「簡単よ。私はそれに出られるほどの実力がないから。」
「そんなことないですよ!あたし、ずっと思ってたんです。なんでこんなに綺麗で歌もダンスも上手なのに、呼ばれないんだろうって!」
笑顔を夕華は浮かべる。しかしそれは、自虐するような冷えたものだった。
「それは、あなたが勝手に思っているだけよ。本当の私は……身近な人を笑顔にできない、つまらない人なんだから。」
駆けていく夕華。追いかけようとして、朝乃はパソコンや理科の教科書を落としてしまう。立ち上がったはいいものの、そこから朝乃は動けなくなって。
「朝乃!はい、パソコン。」
友人の少女にパソコンを拾い上げてもらって、朝乃はそれを受け取る。
「ありがとう。」
「それにしても『氷の華』、今日も平常運転だったな。朝乃、嫌なこと言われたりしなかったか?」
友人の青年の方に、朝乃は向いた。
「大丈夫だよ!夕華ちゃんは、悪口とか言う子じゃないし。」
「本当か?」
「本当だってば!」
「でもさ、私は話したことないから分からないよ。あの子がどんな子なのか。」
「じゃあ話してみればいいじゃん!」
友人2人は顔を見合わせる。
「でもなぁ。あの子って、『私に近づくな!』オーラがすごいだろ?」
「それになかなか学校来ないし、いつも真顔だよね。学校ってつまんない、とか内心思ってるんじゃないの?」
「それは……どうなんだろう。」
3人は理科室を出ていった。
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夕華は公園の中を走っていた。
ベンチに座って、水筒を飲む。
「毎朝の日課も、慣れてきた。」
水筒の蓋を閉めると、夕華は大きく伸びをした。
「あーやだやだ、また思い出しちゃった。思い出さないために最近学校に行かないようお仕事してるのに、嫌になっちゃう。」
立ち上がってベンチの近くをぐるぐると歩き回る夕華。
「あの子が好きなのは、アイドルの推し。目の前の人を笑顔にすることもできない、『私』は……。疲れてるのかな。なんだか憧れていた関係みたいで、楽しいなって思うなんて。馬鹿じゃないの。」
歩くスピードが早くなっていく。
おもむろに少しベンチから離れて、夕華は息を大きく吸った。
「私の、大馬鹿野郎ー!」
「大馬鹿野郎とか、そういうこと言わないんですよ!」
「きゃあっ!」
突然朝乃が入ってきて、夕華は悲鳴をあげてしまう。
「あ、あ、朝、朝乃さん!?」
「あたしも体力作りを兼ねて、ランニングすることにしたんですよ!それに前、夕華ちゃんの公式アカウントで毎日ランニングしてます、という投稿がされてましたから!」
「嫌、泣きたい……。」
ベンチへとふらふらと歩み寄っていき、顔を隠す。
「えへへ、へへ……。」
「何笑ってるのよ!」
そう叫ぶと、夕華は朝乃につかみかかる。
「ごめんなさい!つい、可愛いなって思っちゃって。」
「ふーん。どうだか。ダサいとでも思ってるんでしょ、内心。」
「本当ですよ!」
手をパタパタと振って弁明するも、夕華はそっぽを向いてしまう。
「うーん、じゃあ!この前の話をしますね!」
「この前の話?」
「はい!この前夕華ちゃん、『身近な人を笑顔にできない、つまらない人』だって言ったじゃないですか。」
「その話は、やめなさいよ……。」
「でも!」
朝乃は夕華の肩をつかんだ。夕華は驚いて一歩下がる。
「あたし、今の夕華ちゃんの行動で笑っちゃいましたよ!?」
「……あっそう。くだらない。くだらないわ。すごくくだらない。」
「そうですね。くだらないです。」
「くだらないけど、元気出た。」
「出ましたか!?」
嬉しそうに微笑む朝乃の目を真っ直ぐに見て、夕華は小さく言った。
「……ありがとう。そういうこと言ってくれたの、あなたが初めてだから。」
「ああ、我が生涯に一片の悔いなし……。」
「ちょっと、何やってんのよ!?今日も学校でしょう!倒れ込むな、ベンチにー!」
ベンチに倒れ込んだ朝乃をゆする夕華。
ようやく顔を上げた朝乃の手を引っ張って、夕華は言った。
「ほら、行くわよ学校。カバン、持ってるでしょう?あなたも。」
「はい!」
仲良く雑談しながら立ち去る2人。
穏やかなBGMが流れて、暗闇があたりを包み込む。
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「迫真の演技でしたね!美月先輩!」
「うんうん!すごいよね!」
「かっこいいっす!」
機械を通さなくても直接聞こえるくらいの「私の、大馬鹿野郎ー!」というセリフ!
その後の朱鳥ちゃんとの演技も、引き込まれてしまった。照明を落とすのが遅れそうで、危なかったな。
「はぁ、私もあんな風になれるかな?」
「天音さん、役者をやるつもりなんすか?」
「え!?あ、そ、そそそれは、考え中、なんだけどね!」
私もあんな風に、誰かを興奮させる演技をしてみたい。そう思ったのは、嘘じゃなかった。
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クラスのお化け屋敷から出てきた2人。
「いやー!夕華ちゃんがお化け屋敷、苦手だったなんて!思いもしませんでした。」
「大声で言わないでよ!」
「ごめんなさい。ああ、準備に参加できなかった分、夕華ちゃんにはたくさん働いてもらいますからね!お化け役として!」
「私が!?」
「ほら、うらめしや!」
「きゃあ!」
「さて、次はどこのブースに行きます?」
2人の目の前に、バーンとダンボールを持った担任教師が現れる。
「あれ、先生!どうしたんですか、そのダンボール。」
「出演者、募集中?どういうことかしら、朝乃さん。」
「ちょうど良かった!実は、体育館でやる予定だったライブの出演者がな、体調不良で突然休みになって。だから、シークレットゲストとして1組呼ぶことにしたんだ。どうだ、夕華!出てみないか?」
「いいじゃないですか、夕華ちゃん!」
「ええ?」
しばらく迷う夕華。
意を決して、勢いよく手を挙げる。
「やります!私、歌います!」
「出演してくれるんだな!なら早速、準備しよう。文化祭委員との打ち合わせがあるからな!大トリで、出演だ!」
「ゴーゴー、夕華ちゃーん!」
「え、大トリ?そんなのって、あーっ!」
そのまま担任教師に引きずられる夕華。走る2人を朝乃も追いかける。
体育館の舞台にて。
夕華は、パーテーションの裏で待機している。
「続いてはシークレットゲスト。あの有名アイドルが登場!?」
「ど!どうも!暁夕華です!」
生徒たちは拍手する。
「えーっと、これから歌うのは!」
イントロが流れ出す。
「どうしよう、勢いで受けちゃったけど。ああ、みんな笑ってくれなかったら!」
その時、客席にいる夕華が目に入った。
「ハイ!ハイ!レッツゴー、夕華!」
「手拍子、してくれてる。よし!」
夕華はマイクを握りしめて、踊り出す。
「お疲れ様ー!流石、夕華ちゃんです!」
「ありがとう。」
「あたし、生で夕華ちゃんの歌を聴けて嬉しすぎるよ。」
そこに、朝乃の友人2人が雪崩れ込んできた。
「す」
「す」
「すごかったよー!」
「すごかったぞー!」
夕華を見つけるなり、叫びながら夕華の周りを飛び跳ねる。
「ごめんね、陰でその、ちょっと変なこと言っちゃって!」
「伸びやかな歌声に惚れました!」
「悪い人じゃないってことは分かってたから、いいの。」
「だから言ったでしょ!夕華ちゃんはひどい人じゃないって。目の前の人を笑顔に出来る、自慢の友達なの。」
「自慢の、友達。」
瞳を閉じて、深呼吸をする。そして、瞼を開ける。
「あっ、お化け屋敷のシフト入ってるんだった!」
「また後で、朝乃!夕華、さん!」
「また後でね、2人とも!」
夕華の様子を見て気を利かせたのか、その場からいなくなる2人。
「朝乃!」
「どうしたの?」
「これからも……友達で、いてください。」
「それ、お願いすることじゃないよ!うん、これからもよろしく!あ、大馬鹿野郎って自分で言ってたけどね。」
「朝乃ったら、もう!」
笑い合う2人。
先ほど夕華が歌った楽曲のイントロが流れる。
幕が、下りる。
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「お疲れ様っすー!」
「お疲れ様ですー!」
「お疲れ様、です!」
3人でハイタッチ。
私たちの夏公演は、無事に成功したのだ!
「桑垣さんのスポットライト技術、すごいですよ。暗い客席にいる青原さんに、ピンポイントでライトを当てたんですよ!?」
客席中央。少し広いスペースがあるので、そこにライブのシーンで朱鳥ちゃんを立たせて演技させたい。
部長の案を実現させられたのは、蛍くんの正確な技術があったからだ。
「褒めても何も出ないから!」
さっき、笑われたお返しのように伊勢谷くんは褒め続ける。
「ほら、2人とも。先輩たちが待ってるよ!」
「じゃあ、荷物をまとめましょうか。」
台本や照明メモなどを片付けて、映写室の鍵をスタッフさんに渡した。
「美也ちゃーん!」
「梨音先輩に、朱鳥ちゃん!」
「えへへ、お母さんに褒められちゃったよ!」
朱鳥ちゃんは瞳を輝かせる。
「アマネにクワガキ、イセヤ!お疲れ様。」
「みんな、安定してたよ!」
「ああ。タイミングが完璧だった。」
「そうそう!それに、俺らが演技出来たのは、3人のおかげといっても過言ではないから!」
先輩たちの温かい言葉が、沁みる。
それから、遅れて1人、歩いてきた。
「美月、先輩。」
「楽しかった。1年生の初めの頃に戻ったみたいだったよ。それに。」
ふぅ、と息を美月先輩は吐き出した。
「僕なりに、誰かを笑顔にしたつもりだ。」
「……はい!」
美月先輩は、笑って輪の中に入ってくる。
「さぁて、この後夏祭り行く人?」
「夏祭り?」
「美也ちゃん、見てごらん!公会堂の外!」
朱鳥ちゃんに連れられて、私は公会堂の外に出た。
公会堂の周りに、屋台が並んでいる。
焼きそば、りんご飴、わたあめ、ラムネ。
お祭りの定番フードが並ぶ屋台。
それから、射的、くじ引き、金魚すくい、ヨーヨー釣り。
たくさんのゲームも出来るようだ。
「お疲れ様会も兼ねて、みんなで夏祭りに行きましょう!盛り上がっていくぞー!」
部長の声に合わせて、みんな楽しそうに屋台に向かう。
「天音さん!」
「あ、天音さん!」
「美也ちゃーん、行くよ!」
「はーい!」