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糸の繋ぎ方
2025/08/28
幼稚園の頃から一緒の、裕という名前の幼馴染がいる。気が強くて、しっかり者の女の子だ。小さい頃は毎日遊んでいた。小学校に上がってクラスが別々になっても、何せ家が隣なので、離れることはなかった。
小学5年生。私は中学受験のため、進学塾に通うようになった。毎日裕の家に通うことは出来なくなったけれど、交流は確かに続いていた。
中学に上がって、会う回数は格段に減った。裕は公立中学、私は私立中学で、家を出る時間も家に帰る時間も全く違うし、勉強たら部活やらそれぞれの人間関係やらで忙しかった。見かけること自体はあるが、長話することは少なかった。その分、時々の長話が新鮮なものになっていった。
中1の、6月頃か。突然、裕の姿を見ることが無くなった。最初は偶然だろう、あるいは風邪でも引いたのかなーなんて思っていたけど、それが1ヶ月近く続くと、偶然でも風邪でもなさそうだと不安になってくる。そんな中、ある日私が家に帰っていると、買い物帰りらしき裕のお母さん、以下おばさん、を見かけた。思い切って話しかけ、裕のことについて訊いてみることにした。
「こんにちは。えっと、最近、裕の姿を見かけないけど、何かあったんですか?」とたんにおばさんは顔を曇らせ、頬に手を当て、困ったような動作をしてみせた。「そう……渚ちゃんだから言うけどね。実はね、裕が引きこもるようになっちゃってね。」えっと声が出た。おばさんは視線を落とした。「私とは話したくないみたいなのよね。」あの裕が、と思う。あの、元気はつらつで気が強くて、みんなを引っ張っていってくれるような裕が?驚きと戸惑いと心配が入り混じったような、変な感情だった。なんと返すべきかわからず俯いて黙り込んでいると、おばさんはポツンと呟いた。
「渚ちゃんと会うことが減ってから、ちょっと変わったからね。寂しかったのかもね…。」「え、そうなんですか。」顔を上げる。意外だった。裕は誰にも依存しないタイプで、誰とでも仲良くなれるタイプで、どこででもうまくやっていけるタイプだよね。そう思い込んでいた。でもそれは私の押し付けだったのかも知れなかった。私はおばさんにぺこりと頭を下げて、家に帰った。
私の部屋の窓からは、裕の部屋の窓が見れる。カーテンを開け、窓から顔を覗かせた。オレンジ色の光が漏れ出ているが、カーテンが閉じているため中は見えない。少しの間それをぼぅっと眺めていると、急に裕の部屋のカーテン、そして窓が開かれた。裕の顔があった。視線が交わると裕は心底驚いたような表情を浮かべ、何も言わぬまますごいスピードで部屋に引っ込んでいった。私は10秒ほど呆然としていたが、雨がポツポツと降り出したことに気づき、窓を閉ざした。内心ではちょっとだけ安心していた。窓を開けるということは、外との関わりを完全に拒否しているわけではないんだね、と。
翌日、学校から帰ってきた私は、自室の窓から顔を突き出した。もしかしたら、昨日と同じように裕が出てくるかも知れない。昨日はすぐに引っ込んでいっちゃった裕も、今日は話してくれるかも知れない、とそこまで考え、どうやって話すのだろうと疑問を抱く。この距離だと声は届くかも知れないが、明らかに近所迷惑だ。かといって紙に文字を書いてそれを見せるのも、今はもう6時、黒い文字がきちんと見えるのか、果たしてよくわからない。携帯でメッセージを送ることはできない。そもそもお互い、携帯を持っていないからだ。うーんと唸っていると、ひとつ、良い案が思い浮かんできた。私はその場から離れ、大急ぎで紙コップと糸を部屋に持ってきて、勉強机に向かってテープでつなげた。糸電話である。糸の長さはこれだと少し短いか?いやちょうどいいか?でもとりあえず長くしておこうか?まあ短いくらいなら長いほうがいいもんな、などと考えながら、一応完成した糸電話を手に、再び窓から外を見る。なんということか、裕がいた。「あっ!」裕は私を見て、信じられないというような反応をしたが、信じられないのはこちらである。今作った糸電話も、作りながら、使うことなく捨てるのかもなぁなんて想像をしていたのだ。
私が糸電話を見せると裕は怪訝な顔をしたが、そんなの関係ねぇので紙コップの片方を投げた。裕がそれをなんとか受け取ったことを確認し、私は自分の方の紙コップを口に当てた。「えーと、こんばんは。聞こえてますか。」今度は裕が口に当てる。「うん。」と、それだけだった。私は次に何を言おうかと焦りつつ、とりあえず口を開いた。「あー、えーと、えーと、今日はなんで出てたの、窓から?」裕はしばらく黙った。ぴくりともしない裕を見て、訊くべきじゃなかったかなと後悔し出した頃、耳に当てていた紙コップから声が聞こえた。「別に、なんか、気分。」そっけないなと思った。裕らしくないなとも思った。でも、裕らしいなんてないんだよなと思い直した。口元が緩むのを感じながら、私は紙コップを口に当てた。