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炎は氷に還る
金属で構成された列車が黒煙を吹きつつ、霧中を突き進む。窓からは先も見えない霧が広がり、この先を案じているようで気味が悪かった。
微かに揺れる車内で目を通すのは、大昔の話のことが載った新聞の一つに過ぎず、いやにつまらない。それでも、目を通すのは探偵という役柄なのかもしれない。
<太古の昔、ある研究者が科学的には説明のつかない物質、大気中からエネルギーを吸収し、振りかけた使用者の“思考”を“物理現象”へと変換する触媒として機能させる|星屑の粉《スターダスト・パウダー》を発見したことを世の中に公表した。それは瞬く内に拡散され、世界中の人々が頭の中で考える“空想の魔法”を具現化することに成功し、具現化する魔法が人によって得意なものによって分けられる“属性”が誕生した。始原属性としての破壊や熱を司る“火”、氷属性の母体となり癒しや変化を司る“水”、速度や不可視の斬撃、移動を司る“風”、防御や安定、岩石の操作を司る“土“、科学と魔法の融合属性としての速度と麻痺を司る“雷”、水と風が複合し、停止の概念を司る“氷”、生命力や拘束、毒、植物を司る“木”、武器生成や硬化、磁力を司る“金属”、特定の属性を持たない純粋な属性としてのテレパシーなどの精神を司る“無”。上下の位はないものの、幅広い属性があり、個によって得意的な伸び代があるものには“異名”がつくことがある。>
そう長々とした内容に目を通している最中、暇を持て余した片手が純粋な属性特有の奇妙な糸を無意識に掴んでいることに気づき、慌てて手を振り払う。自分の属性は“無”であり、精神や記憶なども手に取るように分かるものの、知らなくてもいいことを拾ってしまう。まったくもって、嫌なものだ。
逃げるようにして、新聞から別の話に目を通し、一人の小柄な男性の写真が目を引いた。痩せ細った身体に、ぼさぼさとした白髮の男だが、瞳は星屑のような輝きを称えている。名前は『アルス・レッグヴィッグ』、私のことだ。
客室には、金属の軋む音と、石炭が焼けるなまぐさい匂いが満ち、纏わりつく。私は手元の新聞を折り畳み、窓の外へと視線を投げた。相変わらず、霧がべっとりと窓ガラスにへばりついて離れることを知らないようだった。
「……ふぅ、やれやれ」
再び、無意識に指先に絡みついた“無属性”特有の、目に見えない精神の糸を無造作に振り払った。この糸は厄介で、触れるだけで、他人の薄汚い欲望や、昨日の夕食の献立といった、どうでもいい記憶が流れ込んでくる。探偵としては便利だが、一人の人間としては、プライバシーの欠片もない最悪の体質と言える。
そんな感傷を切り裂くように、客室の扉が激しく叩かれ、悲鳴に近い声が響いた。
「アルス・レッグヴィッグ先生!先生はいらっしゃいますか!?」
私は溜息をつき、座席の隣に置いていた古びたトランクをたぐり寄せて席を立つ。この声の主は、先程、食堂車で見かけた“金属属性”の従者の一人、ルディだと指先が教えている。彼の精神の糸は、今、恐怖という濁った色に変色していたものの、その代わり、私の色は生き生きとした黄金に包まれていた。
扉を開けると、肩を上下させ、息を切らしたルディが一言だけ呟いた。
「オーナーが!マダム・ローザが、死んだんです!」
ルディの糸が、奇妙なまでに舞うのが瞳に映されているようだった。
ルディに案内されたのは、この列車の最上級個室“スイート・ステラ”だった。
「い゙っ……!」
「先生!大丈夫ですか?」
扉に手をかけると、バチッと静電気の音がして、つい顔を顰めると同時に痛みが広がる。
「も、問題ない……」
改めて、“土属性”の硬化ガラスに包まれ、“金属属性”の特殊錠がかけられた扉を開けた瞬間、肺の奥まで凍りつくような冷気が吹き抜ける。室内は、まるでお伽話の雪の女王の住処のように、壁から天井までが分厚い氷に覆われていた。
その中心で、この列車の実質的なオーナーであるマダム・ローザが、椅子に座ったまま“氷の彫刻”と化している。その姿を見た途端に、新聞の写真のように私の瞳は星屑のような輝きを称え始めていた。
「……奇妙だな」
私はパウダーを指先に少量振りかけ、“無”の感覚を鋭敏に研ぎ澄ませ、胸の高鳴りはしばらく止まりそうになかった。
部屋の隅に設置された暖房機、“火属性の魔導具”は、今も尚、真っ赤に熱せられ、最大出力で熱を放出し続けている。本来なら、この部屋は通気口を通る程、サウナのような熱気に包まれているはずだが、実際は氷で覆われている。それと同時に、少し氷が侵食された通気口にはやや溶けつつある凍りついた植物の繊維が貼りついていた。そこが、奇妙でしかたがなかった。不意に後ろからルディの声がかけられ、私もそれに応える。
「先生、これは……『氷属性』の使い手の仕業でしょうか?しかし、この部屋は『土』の硬化ガラスと『金属』の特殊錠で閉ざされた完全な密室でしたし……」
「……」
その言葉を聞きつつ、氷漬けになったマダム・ローザの指先に触れる。そこには、無理やり熱を奪い去られた後に残る、局所的にだけ熱が奪われた物理的な“熱力学の敗北”の跡があった。
「いや、違う……これは『氷』の魔法による凍結じゃない。ルディ君、マダム・ローザと特に親交の深い人達はいるかい?」
「ええっと……『木属性持ち執事のセバス』、『風属性持ちの魔導技師のリン』、『雷属性の護衛騎士のカイル』……大抵、こちらの三名ですね」
「ということは、やはり……『氷』はないと」
「ええ、マダム・ローザの属性は『火』ですから、不可能だと思いますが……」
「いいや……可能だよ」
触れた指先にはひどく驚愕した熱が、冷たさに覆われていく喉が映り込んでいた。脳がゆっくりと、興奮に溶けだして無から有へ変わっていくようだった。
現場に残された微かな思考の残渣を辿り、三人の男女が食堂車へと呼び出されていた。一人は冷徹な眼差しをした執事のセバス、一人は苛立ちを隠せない若き騎士カイル、そしてもう一人は、怯えたように窓の外を眺める魔導技師で、変に火傷の目立つリンだった。
「マダム・ローザを殺したのは、君たち三人だろう?」
唐突に放った私の言葉に、食堂車が凍りつき、本物の氷よりも冷たい沈黙が流れる。それでも、私の中は燃え盛ったままだった。
「冗談はやめて下さい、アルスさん。私は『雷』、リンは『風』、セバスは『木』だ……誰一人として、あんな氷の密室を作れる属性は持っていないんですよ」
そう、カイルが鼻で笑う。だが、彼の背後に伸びる精神の糸が、一本の太い復讐という結び目で他の二人と繋がっているのを見逃さなかった。
「確かに、一人では不可能だ。だが、属性を組み合わせれば話は別なんだよ」
彼らの前に歩み寄り、推理のパズルを並べるように、私は言葉を続ける。
「最初に、カイルが微弱な『雷』を金属製の壁に流し、マダム・ローザの運動神経を麻痺させ、声を出すことや、火属性の魔法を使う暇すら与えなかった。
次に、リンが通気口から『風』の属性を送り込み、部屋の熱量を強制的に外へ排出する。暖房が強ければ強いほど、排出されるエネルギーの循環は加速する……つまり、熱が大きいほど、たちまちマダム・ローザの部屋は冷えていったというわけだ。
最後に、セバス。君は『木』の導管を使い、壁の僅かな隙間から植物に微弱に含む『水』を霧状に散布した。熱を奪われた空間に撒かれた水は、凄まじい結露を通して瞬時に凍りつくだろうね。
しかし、皮肉なものだ……彼女、マダム・ローザが最も信頼していた『火』が、君たちの連携によって彼女を凍らせるための燃料になったのだから」
続けた言葉に一息をつき、カイルが動くのを待つ。心配そうなリンとセバスの視線の中で、ようやくカイルだけが口を動かした。
「そ、そんなの、貴方の憶測でしょう?!何より、証拠ってものがない!」
「……証拠?そんなものは、この部屋に満ちている。だが、何より言い逃れができないのは、君たちの『糸』だよ。私の魔法の属性を忘れちゃいないだろうね?」
宙を舞う目に見えない三本の糸を指先で絡め取り、ゆっくりと流れ込むものを吐き出していく。
「復讐という名で固く結ばれたこの糸からは、凍りついたマダムの断末魔よりも冷たい、君たちの『達成感』が流れ込んでくるのだよ」
そう言い切った直後、リンが私の言葉に反応する。
「……全部、知ってるんだ……」
その瞬間、食堂車の空気は、外を覆う霧よりも重く沈んでいた。私は、彼ら三人の背後で複雑に絡まり、どす黒い変色を遂げた精神の糸を指先で弄ぶ。
「……君たちの動機は……『達成感』の糸がこれほどまでに固く結ばれている理由は、単なる金銭欲ではないようだね」
私は目を閉じ、指先に伝わるチクチクとした不快な感触、過去の記憶の残滓を読み解いていく。
「マダム・ローザ……彼女は『火』の属性を愛していたが、それ以上に、その熱で他人を支配し、焼き尽くすことに陶酔していた。……カイル、君の恋人、リンはこの列車でマダム・ローザから罰を受けているようだね。君はその真実を知り、騎士としての忠誠心を復讐心へと塗り替えた」
カイルの拳が震え、テーブルに置かれたグラスが雷の余波で小さく鳴った。
「そして、リン……君もそうだ。魔導技師としてこの列車の心臓部を守りながら、君はマダム・ローザから過酷な労働と、失敗するたびに浴びせられる火属性の『罰』を受けていた。君のその制服の下、頬だけに過ぎない魔法の残り火が、背中にもあるはずだ。君にとってこの列車は、動く牢獄そのものだったろう」
リンは視線を落とし、ただ黙って自分の腕を抱きしめる。
「最後、セバス。最も長く彼女に仕えてきた君が、この計画の立案者だろう?君はマダム・ローザが、どれほどの人間を『薪』にして、この豪華列車の栄華を維持してきたかを誰よりも近くで見てきた。植物を愛でる君の優しい『木』の属性は、彼女の傲慢な炎によって、幾度となく灰にされてきたのだから」
私は目を開け、星屑のような輝きを宿した瞳で、三人を静かに見据えた。
「『火』によって他人の人生を焼き続けてきた彼女が、自らが放った熱によって冷え切り、氷像となる……皮肉な詩的正義だ。君たちは、自分たちが受けた痛みを、そのまま物理法則の裏側に変換して彼女に返したに過ぎない」
沈黙が食堂車を支配する。列車の軋む音が、まるで彼らの罪を数える秒針のように響く。
「……さて、探偵の仕事は、真実を暴くところまでだ。この先、どんなに逃げようとも、この霧の向こうで君たちを待っているのが法の裁きか、それとも別の何かかは、私の知るところではない」
終わりを告げたそれが、カイルの拳を開くように幕を開く。
「……御託はもういい!あの女が死んでも、まだ俺たちの復讐の氷は終わってない!」
カイルが吠えると同時に、彼の全身からパチパチと青白い火花が弾け飛んだ。食堂車の照明が激しく明滅し、金属製の床を伝って微弱な電流が私の足元を掠める。
「リン、セバス! 行くぞ!」
カイルの合図とともに、リンが鋭く右手を振る。凝縮された“風”の圧力が食堂車の重厚なガラス窓を内側から粉砕していく。轟音と共に冷たい霧が車内に流れ込み、視界は一瞬で白一色に染まった。三人は、その混乱に乗じて粉砕された窓から走行中の列車の屋根へと躍り出ていた。
「行かせません!」
ルディが叫び、私の前に躍り出る。彼の瞳には、主を失った混乱よりも、目の前の罪人を逃さぬという強い意志が宿っていた。
「先生、指示を! 相手は三人、屋根の上は足場が悪すぎます!」
「……やれやれ、これだから現場仕事は嫌いなんだ。ルディ君、君の『金属』で道を作ってくれないか?私は彼らの『糸』を辿るよ」
私は割れた窓から身を乗り出し、ルディのおかげで道のようになった列車の外壁を駆け上がっていった。
時速80キロで突き進む列車の屋根の上は、暴風と黒煙が渦巻く地獄のような光景だった。前方、霧の向こう側に三人の影が霞んで見えている。
「大人しくする方が得策だよ、カイル」
私の指先から、目に見えない“無”の糸が何百本と放たれる。それは物理的なロープではなく、彼らの精神へと直結する概念の鎖に過ぎない。霧の中でも、彼らの焦りと恐怖が発光する標的のように私の脳裏に映し出される。
「くそっ、しつこいな!」
カイルが振り返り、掌から高電圧の槍を投擲する。直撃すれば即死。だが、私は動かない。動く必要はないと、指が教えている。
「ルディ君!」
「任せてください!」
ルディが列車の屋根に触れると、鉄板が生き物のように盛り上がり、カイルの電撃を列車の車体へと逃がす避雷針と化した。火花が激しく散り、ルディの顔が青白く照らされる。
「先生、今です!」
「感謝する!……さて、セバス。君の『木』はこの鉄の塊の上では分が悪いようだ」
精神の糸を一本、強く引き絞る。ターゲットは最後尾を走るセバス、一人だけだった。
セバスの精神に繋がる糸を指先で弾くと、彼の視界から平衡感覚という概念を一時的に消え、地面が消えたような錯覚に陥ったセバスが膝をついた。
「なっ……!? 足元が……!」
そこへルディが追撃を加え、地面が消えたような錯覚に陥ったセバスが膝をつく。その隙にルディが列車の屋根の表皮が剥離し、自律する蛇のようにセバスの四肢を縛り上げた。残るは二人。リンが泣きそうな顔で、残った力を振り絞り“風”の壁を作って私たちの接近を阻もうとする。
「来ないで! 私たちは、ただ自由になりたかっただけなのに!」
「自由と免罪は別物だ、リン……君たちの糸は、もう限界までささくれている」
私はパウダーを掌に薄く広げ、深く息を吸い込んだ。星屑のような輝きを放つ瞳が、霧の向こう側の真実を固定する。
カイルがリンを庇うように立ち、最大出力の雷を右腕に溜める。だが、その「攻撃をする」という思考そのものが、私の指先には糸として握られている。
「……氷は、そろそろ溶ける時間だ」
私は三本の糸を指に絡め、一気に引き抜く動作をした。カイルとリンの意識が、一瞬だけ私と、そしてお互いと強烈に連結される。
カイルの殺意が、リンの悲しみが、私の静寂が混ざり合い、彼らの脳に激しい負荷をかける。放たれようとした雷は霧散し、風の壁は霧の中に溶けて消えていく。意識を失いかける二人の体を、ルディの操る金属の蔦が優しく、確実に絡めとっていった。
黒煙を吐く列車が、ようやく霧の出口を見つけ始めた。
屋根の上に横たわる三人を見下ろしながら、私は乱れたネクタイを整え、ポケットから折り畳まれた新聞を取り出した。
「先生……お疲れ様でした。彼ら、どうなるんでしょうか」
ルディが寂しげに呟く。私は答えず、ただ新聞をパサリと広げた。そこには相変わらず、私の冴えない写真と“大昔の話”が載っているだけだ。
「さぁね……だが、この列車の霧が晴れる頃には、新しい記事が必要になるだろう……『炎は氷に還る』……悪くない見出しだと思わないかい?」
私は指先に絡みついた残りの糸を、今度こそ無造作に振り払った。瞳の星屑は、火が消えるように、氷が溶けるように、ゆっくりと輝きを失いつつあった。
▶設定元
No.02 (3つの固定テーマの日替わりお題)
https://tanpen.net/novel/2ef311a4-c696-41f9-a987-e0e24c8df7c5/