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自分のストーカーに恋をしてしましました
🌟あらすじ
ストーカーの異常な献身に心を揺さぶられた葵は、彼の唯一の空白である**「土曜日」を利用して、彼がいつも潜んでいる場所の近くにある私書箱レンタルオフィス**へと向かう。
そこで葵が見つけたのは、「監視」の異常な専門性と、彼の意外な職業を示唆する決定的な手がかりだった。彼の正体が**「プロ」である可能性が浮上し、葵の感情は好奇心と道徳的な葛藤**の間で激しく揺れ動く。
本文
金曜日の夜、いつものように姿を見た黒い影に、心の奥底で「ありがとう」と伝えた瞬間、葵のストーカーに対する認識は決定的に変わった。
(彼は、私に危害を加えたいわけじゃない。私の生活を支えたい、私の成功を見たい……そうとしか思えない)
それは、ストーカー行為としてはあまりに異質で、ある種の純粋な歪みを帯びていた。
そして、やってきた土曜日。
彼は現れない。いつもの定位置は、静まり返っている。
この空白の時間こそが、彼の正体を突き止める唯一のチャンスだと、葵は確信していた。
午前中、彼女は意を決して、彼の監視ルートの中心地である、コインランドリー向かいの私書箱レンタルオフィスへと向かった。
オフィスは、ビルの半地下にひっそりとあった。一見すると普通のシェアオフィスに見えるが、個人情報保護のためか、利用者の姿はほとんど見えない。
「何か、彼の手がかりがないかしら……」
葵は、利用客を装って受付に近づいた。受付の女性はにこやかだったが、個人情報に関する質問には当然ながら応じない。
諦めかけたとき、葵は受付カウンターの隅に置かれた、ある広報誌に目が留まった。それは、近隣のビジネスオーナー向けの地域情報誌だった。
広報誌の小さなコラム記事。タイトルは**「街の影の立役者たち」**。そこに、このオフィスを拠点に活動している、フリーランスの専門家たちが紹介されていた。
葵は広報誌を手に取り、パラパラとめくる。税理士、ウェブデザイナー、そして――
「リスクマネジメント・コンサルタント」
記事には、そのコンサルタントの顔写真と短いプロフィールが載っていた。写真の男性は、どこか精悍で、目を惹くような容貌をしていた。名は**「新堂 悠斗(しんどう ゆうと)」**。
彼の専門分野についての説明が、葵の目に飛び込んできた。
「新堂氏は、企業や個人の抱える情報セキュリティのリスク特定と対策を専門としています。特に、ターゲットの行動パターン分析や潜在的な脅威の早期発見において、業界内で高い評価を得ています」
(ターゲットの行動パターン分析……情報セキュリティ……)
葵の心臓が激しく脈打った。
彼が残した**「Recuva」**という復元ソフトのヒント。あれは、ただの偶然ではあり得ない。それは、情報リスク管理のプロが、プロの視点で解決策を提供したと考えるのが自然だった。
そして、何よりも、この記事に載っている新堂氏の顔は――黒いパーカーの影から、わずかに垣間見えた、あの顎のラインや眼差しと、どこか重なる気がした。確証はない。だが、直感的に「これだ」と感じた。
「あの……この新堂さんという方、いつもこのオフィスにいらっしゃるんですか?」
思わず受付の女性に尋ねると、女性は困ったように笑った。
「新堂様は、あまりオフィスにはお見えになりませんね。お忙しい方ですから、ほとんど現場でのお仕事だと聞いています」
現場。監視の現場。
葵は広報誌を握りしめた。ストーカーの正体は、彼女が想像していたような、単なる社会から逸脱した変質者ではないかもしれない。
もしかしたら、彼は情報分析やセキュリティの分野で、彼女の想像を超える能力を持っている。だからこそ、彼女の私的な情報も、職場の緊急事態も、完璧に把握できていたのだ。
しかし、同時に強い葛藤が湧き上がった。
(プロのコンサルタントが、私をストーキングしている?だとしたら、これは遊びではない。彼がこれほどの能力を、何の対価もなく私に使っているとしたら、その動機は、あまりにも異常だ)
「助けてくれてありがとう」という感謝の気持ちと、「プロによる異常な情報介入」への恐怖と、そして、記事の写真に見入ってしまう抗いがたい魅力。三つの感情が、彼女の胸で渦を巻いた。
葵は、私書箱オフィスを後にし、いつもの彼の定位置へと足を向けた。誰もいない電柱の影。
彼女は、そこに立っているであろう新堂悠斗という存在を想像した。
(もし、本当に彼がプロなら……私は今、プロの監視とプロの献身という、最も危険で、最も完璧な罠に、嵌り始めているのかもしれない)
彼女は、次に彼に会ったら、逃げるべきなのか、それとも対峙するべきなのか、答えを見つけられずにいた。だが、もう、彼の視線なしの生活には、戻れない気がしていた。